015:この世で生きる異物

 不可解な依頼をやり遂げてから三日が過ぎた。

 あの日は誰も話す気力は残っておらず。

 その日はそのまま解散となった。

 そして、次の日に皆が会社に集まってヴァンに質問をした。

 その結果分かった事は――彼も何も聞かされてなかったという事実だけだ。

 

 依頼者は勿論、アイツも調べていた。

 しかし、相手は三大企業であり巧妙に情報が偽装されていた。

 その為、ヴァンは安心してしまって依頼を俺たちに回してしまった。

 アイツはそれを気にしていて、何度も謝って来た。

 普段のおちゃらけた態度とは打って変わって真剣な顔で……調子が狂う。


 イザベラはへらへらと笑いながら「これも貸しだね」と言っていた。

 彼女はそれで許すつもりで、俺はヴァンを責めるつもりはなかった。

 どんなに優れた人間であろうとも、企業の嘘を見破る事は難しい。

 それも、最初から分かっていたならいざ知らず。

 俺たちは相手が誰なのかさえ分かっていなかったからな。


 奴らが渡してきたデータ。

 それはある事に関する調査書で。

 それは俺にも深く関係しているものだった。

 

 

 異分子の国――それに関する情報だ。



 奴らは何故、そんなものを俺たちに渡したのか。

 そして、奴らが去り際に言っていた計画とは……何も分からない。


 奴らの試験に合格してしまったが故に。

 奴らの計画の駒の一つとして組み込まれてしまった。

 ヴァンは嫌なら断ると言うが、それは出来ないだろう。

 計画というほどの事なら相当に重要な案件な筈だ。

 それを断わろうものなら、どんな弊害があるかも分からない。

 相手は三大企業の一つで……あのSAWなのだ。


 イカれた技術屋たちの集まり。

 突飛で奇抜なアイデアで、誰もが想像できない物を日夜開発する者たち。

 中には何に使うのかも分からない品もあるが、そのほとんどが素晴らしい物だと人々は言う。

 一度狙ったものならば、どんなに大金を積もうとも手に入れようとするとも聞いたことがある。

 だからこそ、奴らにロックオンされてしまった時点で俺たちに逃げ場は無い。

 大人しく奴らが俺たちを招集するまで待つしかないのだ……イザベラは特に気にしてはいなかったがな。


 大きくため息を吐く。

 そうして、俺の前をパラパラと髪が落ちていった。

 頭上でチョキチョキと鋏を動かして俺の髪をカットするガタイのいい大男。

 分厚い唇にはこれでもかとルージュの口紅が塗られていて。

 香水の匂いを漂わせるそいつの腕には天使のようなタトゥーが彫られていた。

 金髪のモヒカンヘアーであり、目は恐ろしいほどに綺麗な青色だった。

 何故かは分からないが目に刺激的なピンク色のエプロンを掛けていて……フリルが凄い。

 

 奴は鼻歌を歌いながら、ご機嫌な様子で伸びに伸びた俺の髪をカットしてくれていた。

 腕は一流だろう。ミッシェルがそう言っていたから。

 そして、関係無いように思えるボディータッチも凄い。

 まるで、ピアノを奏でるように俺の肩を指で叩き。

 ツゥっと這わせる様に俺の首を撫でる。

 かつてないほどに俺の中の危機感が激しく警鐘を鳴らしていた。

 心なしか鼻息も荒く、目から妖しい光を感じる。


「ふ、ふふふ……良いわ。良いのよ……どんどん想像力が。私のリビドーが……あぁ!」

「……」

 

 意味不明な言葉が聞こえる。

 俺は真顔のまま、この時間が終わる事を願っていた。

 

 目が合えばウィンクされて、背筋をゾクゾクさせられる。

 そうして、助けを求めるように後ろの席で座るミッシェルに視線を向けた。

 彼女は店に置かれていた昔の紙の漫画本を読んでいた。

 店内には疎らだが客もいる。そんな客の迷惑を考えて声は抑えているが、笑みが零れていた。

 それほどまでに面白いのかと興味が湧いて――肩を叩かれる。


「はぁい。終わりましたよぉ……うーん。やっぱり貴方、中々のイケメンね!」

「……どうも」

「んん! クールなのも私好み! お客じゃなきゃ今すぐにでも食べ――んん! 何でもないわ」


 大男の目が一瞬だけギラリとした。

 血に飢えた野獣のような目で、俺は背筋を大きく震わせた。

 早々に、この店からは立ち去った方が良い。

 奴がニコニコと笑いながら、俺の体からケープを取る。

 手慣れた様子で体についた毛を払っていった。

 そうして、くるりと椅子を回してミッシェルに知らせた。


「終わったわよぉ。ミッシェルぅ。アンタ、こんな上玉を連れて来るなんてやるじゃない!」

「……あぁ? 別にテメェの好みなんざ関係ねぇよ……うっとおしい髪は……あぁ? お前、その傷跡は何だよ」

「……うーん。そうよねぇ。私もカットしている時に気づいたけど……もっと残した方が良かったかしら?」


 店長とミッシェルが俺の傷跡を見る。

 額に出来た銃創であり、これは嫌が応にも人目を集めてしまう。

 普段は髪で隠しているから見えないが、これでは風などが吹けば見えてしまうだろう。

 カット中は他の事に気を取られてしまって言えなかったが……何かを巻くか。


「……店長。何か巻く物は無いか? 傷跡を隠したい」

「……そうねぇ……あ! じゃあアレが良いわね。ちょっと待っててぇ!」


 店長はパンと手を叩く。

 そうして、店の奥へと走って行ってしまった。


 俺とミッシェルは互いに視線を向け合う。

 彼女は「すぐ来るだろう」と言う。

 俺は椅子に座りながら、改めて店内を見た。


 此処は境界線から出た街の内側で。

 流石に壁の向こう側だからか、怪しげな人間もいない。

 平日の昼間だからか客も疎らなようだが、それなりに繁盛している様子だ。


 白を基調とした内装で、店の外も白い塗装が施されていた。

 此処へ来るまでにミッシェルから聞いてはいたが。

 この店のコンセプトは美と調和らしく。

 美しい彫刻などが飾られて、遥か昔の神話の時代に存在した建物の様だった。


 ……まぁ、一番調和していないのはあの店長だろうが。それは言わない方がいい。


 俺はそんな事を考えながら、静かなミッシェルに視線を向ける。

 すると、彼女は俺の視線に気が付いてサッと視線を外した。


「……どうした?」

「……いや、隠していたから見られたくないんじゃないかって思って……ごめん」


 珍しく弱気な発言だ。

 此処へ連れて来たのは彼女で。

 俺の言葉も聞かずに強引に連れて来たのは事実だ。

 しかし、俺自身も長い前髪などにはうんざりしていた。

 そろそろ切っておきたいと思ったのも事実で。

 彼女はそんな俺にきっかけを与えてくれたに過ぎない。

 そして何よりも、この傷は目立つからと言うだけで隠しただけで……


「……この傷に深い意味はない……俺自身も何でこうなったのかを知らないんだ」

「……分かんないって……憶えていないのか?」

「あぁ、気づいたらこうなっていて。俺は異分子として……軍に入らざるを得なかった」

「……そっか……うし、もう聞かねぇ! お前も無理に話さなくていいからな……その、お前の今の居場所は……此処だからな」


 彼女は頬を人差し指で掻きながら言う。

 その頬は少しだけ赤く、照れているのだと分かった。

 先輩なりの気遣いであり、俺はくすりと笑う。

 すると、彼女はそんな俺の態度が気に入らないのか怒り始める。


「はいはーい! お待たせぇ……あら、お邪魔だった?」

「じゃ、邪魔じゃねぇよ……ほら、さっさとそれ寄越せ!」

「はいはい……これなんだけどぉ」


 彼はゆっくりと俺にそれを渡す。

 見かけはただの赤いバンダナであり、薄っすらと金の刺繍が入っている。

 赤というものは俺が軍人の時につけていた腕章を思い出すが……いや、そうでもないな。


 俺はそう言い聞かせながら、彼に礼を言って受け取る。

 そうして、それをつけながら二人に見せた。

 すると、店長はパチパチと手を叩きながら「似合ってるわ!」と言う。


「……悪くねぇな」

「もおぉ! 素直になりなさいよぉ! そんなんだから男が出来ないのよ!」

「ああぁ!? んなもん欲しかねぇんだよ! ゴリマッチョ乙女!」

「――あぁ? 表出ろや」

「……ごめんなさい」


 店長の堪忍袋が切れたのか。

 彼はどすの効いた漢らしい声でを発して先輩を睨む。

 その瞬間に先輩は小動物のように縮こまり謝罪した。

 先輩でも敵わない相手がいる事を認識しながら、俺は鏡に映った自分を見つめる。


 赤いバンダナは傷を完璧に隠している。

 カットされた髪型とも違和感は無く。

 自分で言うのも何だが、似合っていると思った。

 俺はそんな自分に良かったと思って。

 ゆっくりと席を立つ。


「ありがとう……えっと」

「ルージュ。ルージュちゃんでいいわ」

「……また来る。ルージュ……ちゃん」

「んん! 良いわぁ!! さいっこうよぉぉぉ!」


 ルージュ店長はその逞しい腕で自分の体を掻き抱く。

 体をくねくねと動かしながら、呪文のように熱のこもった言葉を吐いていた。

 そうして、完全に自分の世界に入ってしまっていた。

 ミッシェル先輩を見れば、もう既に他の店員さんを通じて会計を済ませている。


「ほら、行くぞ。そいつ、自分の世界に入ったら中々帰って来ねぇから」

「……分かった」


 俺はミッシェル先輩を追う。

 彼女と共に店を出てから、周りに目を向けた。

 スーツを着た人間や制服を着た学生など。

 美しい街並みには、それ相応の人間が住んでいる。

 最初に訪れた街は荒れていたが、それでも人はいた。


 色々な人間がいて、互いに助け合い生きている。

 世界は広く、探せば探すほど人間は多くいる……それでも、俺たちだけは認められない。


 此処で首に巻いた布を取ればどうなるか。

 今は誰も何とも思っていなくとも。

 またあの頃のように軽蔑するような目で彼らは俺を見て来る。

 石を投げられ、公共施設も利用できなくなり。

 俺たちは自由を奪われて――彼女が俺の手を取る。


「ほら、ボサッとすんなよ。次は俺の用事に付き合ってもらうからな」

「……あぁ、そうだな」


 彼女は気づいていない。

 俺が悩んでいる事も、また暗い世界に閉じこもりそうになった事も。

 知らないままに、彼女は俺の手を取ってくれた。

 手を取り掬い上げてくれた。


 彼女は俺よりも小柄だが、力は強い。

 俺はそんな彼女に手を引かれながら歩いていく。


 

 

『――』

「……ぇ」


 


 一瞬、何がか見えた。

 脳裏を過ったのは暖かな世界で。

 見上げた先にて立っていたそれは俺に言葉を送って来た。

 言葉は分からない。誰なのかも知らない……今のは一体……。


 俺は先輩に手を引かれながら、今しがた見た光景を考えた。

 しかし、先輩が声を挙げた事によって思考は中断された。


「しまった! この時計十分遅れてたんだ!」

「……というと?」

「セールに間に合わなくなっちまう! 急ぐぞ!」


 彼女はそう言うや否や駆けだした。

 俺も先輩を追って走る。

 こんな慌ただしい日常も――悪くは無かった。

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