006:交易都市ヴァレニエ

 ヴァンからの突然の勧誘。

 それを半ば強引に受けた俺は、奴が乗って来たという車に乗り込んだ。

 奴は自信満々に俺に愛車を紹介してきたが、見てくれは完全にオンボロな四駆だった。

 元は綺麗なカーキ色だっただろうそれは、塗装が至る所で剥げていて。

 中に乗り込んでみれば”簡易システム”すらも無いかなり古いタイプだと分かった。

 辛うじて後付けのナビゲートシステムは組み込まれていたが、あまり信用は出来ない。

 俺の記憶にある限りでは、完全自動運転機能はどの車にも付けるように義務付けられるようになったのは三十年以上も前だ。

 

 ……いや、義務付けられるようになっただけでその前から機能自体は完成されていた。

 

 が、今乗っているこのオンボロにはそれがない。

 それどころかさっきも言ったように簡易システムも無いのだ。

 万が一、故障しようものなら助けも呼べない上に自分で原因を探す必要がある。

 此処が何処か詳しく調べようにも、システムが無いから詳細な位置を特定する事も難しい。

 頼みの綱は、この何十年前のものなのかも分からないナビだけだ。

 恐らくは、”救援プログラム”にもこの男は加入していないだろう。


 少しだけ不安になりながらも、俺はヴァンにプログラムに加入しているか聞いた。

 すると、奴はケラケラと笑いながら「いらねぇよ。そんなの」と行った。

 

 ……この男は何時の時代の人間なんだ?


 車は明らかに時代遅れの骨董品で。

 動いているのが奇跡だと思えるほどのボロさだ。

 そして、今の時代であれば生活の苦しい人間であろうとも、一番下のランクのプログラムに加入している筈だ。

 物騒な世の中であり、身を守る為の最低限必要な保険のようなもので。

 もしも、他の人間から害を与えられて負傷したり危機的状況に陥れば。

 すぐに救援プログラムのランクに応じて”救出隊”が動き出す。

 

 救出隊は全国各地に配置されていて。

 例え、人が容易に入り込めないような危険地帯であろうとも。

 契約内容に反していない限りは出動してくれる。

 

 ランクが高ければ高いほど、受けられるサービスは高まるが。

 最低ランクであろうとも、命を守ってくれるのはどのランクも共通だ。

 都市部以外の街では人身売買が蔓延り、あの街にいたような裏の人間が往来を歩いている時代だ。

 このプログラムに入っていれば、少なくとも誘拐されても助けは来る。

 裏の人間から逃れる事は出来ないかもしれないが、最適な方法を提示してくれると聞いたことがある。

 面倒な手続きに関しても代行してくれて、保険というサービスが崩壊した今のこの時代では無くてはならないものだ。

 何より、救援プログラムは俺たちのような異分子でも契約できるようになっている。

 色々と問題視はされていたようだが、彼らの理念は”命は平等”らしい。


 俺も最初はそんなものはいらないと考えていた。

 しかし、ある任務で囚われた要人の救出へと向かう時に。

 偶々、その要人が最高ランクの救援プログラムと契約してくれていたお陰で助かった事がある。

 彼らの指示は的確であり、誘拐した相手もプロではあったが。

 彼らの協力のお陰で、無事に要人を救出する事が出来た。


 救出チームの中でも、彼らは選ばれた人間なんだろう。

 アイツ等は俺たちが異分子であろうとも他と変わらない対応をして。

 自分たちも動きながら、俺たちの支援をしてくれていた。

 八年間の戦いの中で、今でも彼らの統率のとれた動きは脳裏に焼き付いている。


「……今も生きているのか」

「あ? どうしたよ。便所行くか?」

「……前を見ろ」

 

 想い出を振り返っていれば、奴は的外れな事を言ってきた。

 俺はヴァンに前を見て運転するように言いながら。

 永遠と続くアスファルトの道路の先を見つめていた。

 周りの景色は変わって、荒野から自然がぽつぽつと見えてきて。

 今では綺麗に舗装された道の上を走っていてあまり車内は揺れない。

 が、それでもまだ着かない。

 最初は、会社まではすぐに着くと言っていたが……今日で四日目だぞ?


 べらべらと喋りながら奴は運転していて。

 途中、レストランによって飯を食ったり。

 燃料の補給をする為に本で見た事のある寂れたスタンドに寄っていた。

 まだ稼働しているのかと聞けば、自分と同じようにガソリンの車が好きな奴は沢山いると言っていた。

 よく分からないが、奴が持っていたカードを翳せば燃料は出ていた。


 そんな事を繰り返しながら、車で寝泊まりする事暫く……俺は騙されたのか。


 こいつはこんな顔をして本当は人さらいの類なのか。

 そんな事も考えたが、俺を攫ったところでメリットはほぼ無い。

 恐らくは、ただ己の感覚ですぐ近くと言っただけだ。


「……はぁ」

「何だぁ。ため息ばっかりだな。ほら、もうすぐ着くぞ!」

「……それは何度目だ?」

「いやいや、今度こそ本当だって……あ、ほら! アレだよアレ!」


 奴が必死になって指を指している。

 俺は目を細めながら奴の指さす方を見て――アレか?


 薄っすらと、道の先に何かが見える。

 薄いドーム状に何かが広がっているが。

 確かにそこには巨大な何かが見えた。

 今はまだ小さい形にしか見えないが……此処からの距離で見えるんだったらかなりの規模だな。


 恐らくは、アレが俺が仮初の自由を手にして最初に踏み入る――都市だろう。


「いやぁカレスから遠路はるばるよくぞお越しに……てな」

「……カレス?」

「……え? いや、俺たちが出会った街だよ。知らなかったのか?」

「……あぁ、あまり詳しくはないんだ」

「……まぁ、そうだよな……忘れてたけど、異分子なんだよな……ま、いっか!」


 深刻な顔でもするかと思えば。

 ヴァンはケロッとした顔で気持ちを入れ替えた。

 そうして、俺を見ながらニカリと笑う。


「ようこそ! ”交易都市ヴァレニエ”へ! 俺がお前を歓迎するぜ!」

「……どうも」


 奴は大げさに腕を広げながら歓迎してきた。

 俺はそんな奴に少しだけ感謝して――ッ!!


「前ッ!! 前ッ!!」

「あぁ何――うあぉ!!」


 ヴァンが手を離した瞬間に車は右へと逸れた。

 そうして、あと一歩のところで立てかけてあった看板にぶち当たりそうになって。

 気づいたヴァンは咄嗟にハンドルを切って何とか車を道に戻した。

 ガタンと車が大きく揺れて、俺は心臓の鼓動を早めた。

 俺たちは呼吸を荒げながら互いを見た。


「……せ、セーフ!」

「……アウトだ! バカ!」


 俺はヴァンを睨みながら、もうするなと目で訴えかける。

 ヴァンは乾いた笑みを零しながらシュンとした。

 

 出会ってからこの調子であり……本当に調子が狂う。


 今まで、こんなに陽気な奴と話した事は無い。

 人並みに明るい奴もいたが、そいつらは全員死んだ。

 話が好きだった奴も、死んでいく仲間に耐えられず。

 憶えている記憶の最後では一言も喋る事無く、死んでいった。


 

 楽しい時間、くだらない時間……俺は本当に自由になったのか。


 

 いや、違う。

 まだ俺は自由ではない。

 この首輪がある限り、俺に真の自由は訪れない。

 それを認識しているからこそ、俺は心から笑う事が出来ない。

 しかめっ面で、こんな俺と話しても面白くない筈なのに……この男は変わっている。


 聞いてもいない事をべらべらと喋って。

 会って間もない俺に本心を容易に明かすんだ。

 どんなに突き放そうとも俺に纏わりついてきて……でも、嫌いじゃない。


「……お前が、俺と同じなら……」

「あぁ? 何か言ったか」

「……何も言ってない」

「あ、そう?」


 自然とよくない事を呟いてしまった。

 運の良い事に奴の耳に俺の言葉は届いていなかった。

 俺は自分の弱さを恥じながら、もう二度と言わないと――奴が何かを俺に渡してきた。

 

「やるよ。プレゼントだ」

「……これは」


 俺の膝に置かれたそれは布だ。

 何の飾り気も無い灰色の布で。

 丁度、首を隠せるほどの大きさのそれは……まさか。


「……ダメだ」

「ん? ダメな事はねぇだろう。首輪を付けろって決まりはあるが。その上に何かをつけてはダメなんて法はねぇぞ」

「……俺以外の奴はつけていないじゃないか。此処に来るまでに見ていただろう」


 レストランで働いていた異分子の男。

 彼も首輪をつけていて、その体はやせ細っていた。

 表情は笑っていても、その瞳には小さな光も無い。

 全てを諦めて、己の立場を受け入れてしまった人間の目。

 首輪を隠せるものなら誰だって隠したいだろう。

 しかし、彼の主人はそれを許さない。


 彼だけじゃない。

 寄った所には異分子は少なからずいた。

 そして、そのどれもが首輪を隠していなかった。


 ……俺だけが隠すなんて、彼らに失礼だ……そんなのは卑怯だ。


 俺が布を掴みながら返そうとすれば。

 ヴァンはゆっくりと路肩に車を寄せて止まった。

 そうして、サイドブレーキを引いてからくしゃくしゃと髪を掻く。


 ヴァンは真剣な表情で視線を俺に向ける。

 そうして、堂々と言葉を送って来た。

 

「……いいか。ナナシよ。お前は何だ?」

「……異分子だ」

「違う。異分子の前に、お前は何だ?」

「……人間だ」

「そうだ! そして人間ってのは――自由なんだぜ」


 ヴァンは俺から布を取る。

 そうして、俺の抵抗も無視して強引にそれを俺の首に巻いた。

 温かくて柔らかいそれが首に当たる。

 ひんやりとした首輪を包み込むように。


 ヴァンは小さく笑う。

 そして、強い光を宿した目を俺に向ける。


「お前は人間で、名前は……ナナシだ。他の奴の事は一旦忘れろ。お前はお前の好きなように生きたらいいんだ」

「……随分、簡単に言うな……」

「……はぁぁ、だったら! こうだ。お前の主人は俺! 俺が命令する! それつけて後は好きに生きろ! これで満足か?」


 ヴァンはどんと胸を叩いてそう宣言する。

 間違ってはいない。

 今から俺はこのヴァンという男の会社で雇われるかもしれないのだ。

 だったら、雇われの身の俺は奴の部下になり……理屈では分かっていても少し抵抗がある。


 分かっている。

 ヴァンは俺の為に、態々そう言ったんだ。

 そう言えば俺が楽になると考えたから……今は考えるな。


 俺は無言で静かに頷く。

 すると、ヴァンは疲れたように息を吐いた。


「あぁ良かった……じゃ、もう考えるなよ。絶対だからな」

「……それも命令か?」

「……はいはい。それでいいよぉ」


 俺は少しだけ嫌味ったらしく言う。

 すると、奴は手をひらひらさせながら受け流した。

 サイドブレーキを解除して、再び車を動かし始める。

 俺はもう何も言わない。

 これ以上は、ヴァンを怒らせてしまうかもしれないからな。


「……ふ」


 ゆっくりと首に巻いたそれを撫でる。

 そうして、自然と笑みが零れた気がした。

 ハッとして横を見たが、ヴァンは気づいていないようで欠伸を掻いていた。

 俺は内心でホッと胸を撫でおろしながら。

 こいつとの旅を楽しんでいる自分がいる事に少しだけ戸惑いを覚えていた。

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