005:運命からの勧誘

 目の前に置かれた料理を見つめる。

 見たところ炊き込みご飯のように見えるが……米が黄色いな。


 香ばしいスパイスの香りが湯気と共に鼻腔を擽る。

 特徴的な細長い米は黄色く着色されて、何かの肉が混ぜられていた。

 肉はこんがり焼けていて、タレのようなものが付着している。

 米の上に小さな葉っぱが散りばめられている……美味そうだな。


 銀行で必要な分だけの金を下ろし、服飾店へと行った。

 ローブばかりが売っている店がほとんどだったが。

 中には旅行客向けの服飾店も存在した。

 その店で無難な服を購入してそのまま着て来た。

 少しだけ穴が空いている古めかしいジーンズに、灰色のシャツ。

 そして、念の為に買っておいた薄手の紺色のジャケットを羽織っている。

 この地域では暑さを感じる服装だが問題はない。

 照り付けるような太陽の下では、肌を露出させる服装よりも隠した方がマシだから。

 

 財布に残りの金を入れて。

 俺は男が勧めて来た店へと入った。

 客は疎らであり、そのほとんどが現地民で。

 彼らは見たことも無い食べ物やスープを飲んでいた。


 俺はまだ何も知らない。

 ほとんどが本で見た知識だ。

 目の前の料理を分析しようとしても、浅い部分しか見えてこない。

 奴を見れば俺と同じものを頼んでいた。

 スプーンを持ちながら食べようとして――俺を見て来た。


「どうした? 遠慮せず食えよ!」

「……ありがとう」

「はは、良いって事よ!」


 奴は笑みを浮かべながら、スプーンで掬ったそれを頬張る。

 そうして、満足そうに何度も頷きながらどんどん食べていった……毒は入っていないな。


 疑ってはいない。

 が、念の為に警戒していた。

 毒が無いだろうが、食べた瞬間に吐き出す場合も想定していたからな。

 どんなに見た目が美味しそうでも、俺の知らない未知の料理だ。

 この男が適当に店を選んで入った場合も考えて、先に食わせてみたが……大丈夫そうだな。


 俺は少しだけ安堵しながら、ゆっくりとスプーンを握る。

 そうして、ほかほかのそれを掬う。

 米と肉を合わせながらよそって――口に放り込んだ。


 ゆっくりと咀嚼しながら味を確かめる。

 米は匂いの通り、色々なスパイスが混ぜられている。

 少しだけピリッとはした。だが、全体的にはマイルドな味だ。

 そして、肉の正体は恐らくがチキンだろう。

 丁寧に焼き上げただろうそれはほろほろとしていて、噛めば容易く身が解れる。

 スパイスが効いた特徴的な米と、このチキンの相性は抜群で。

 掛ったタレもほどよく甘辛く調整されていて――


「美味い」

「だろぉ。この地域の料理でこれに外れはねぇぜ」


 奴は得意げに笑いながらどんどん食べていく。

 俺も少しだけ口角を上げながら、目の前の飯を食べていった。


 思えば、今までは碌な料理にありつけなかった。

 俺たちに回って来るのは、大抵が他の兵士の食べ残しで。

 ひどい時には、全く味のしない硬いだけのカビたパンが半分だけの時もあった。

 飲み水も最悪であり、俺が入隊したばかりの時はよく腹を下していた。

 腹が痛くて何度も吐いて……そんな状態でも休むことは許されなかった。


 衛生状態も最悪であり、湯あみが出来るのも月に一回程度だ。

 それも、仲間たちで少ない湯を使いまわす事になって。

 最後の人間に至っては、もうほとんど水だった。

 大抵は俺が最後の順番になっていたが……いつの間にか一番最初になっていたな。


 満足な食事は無く。

 体を清める事も自由に出来ない。

 払われる給料からはしっかりと引かれていたようで。

 俺が見た通帳の中には……96万バースしか入っていなかった。


 他の退役兵がいくら貰えるかは知らない。

 しかし、約八年もの間、休むことも無く戦い続けてきたのだ。

 その結果が、たったの96万だ。

 月に換算すれば一万であり、どんなに常識が欠落していてもこの数字の異常さは分かる。


 

 ……結局の所、死んで無かった事になるから。適当にされていたんだろう。


 

 怒りも憎しみも無い。

 何処まで行っても、俺の心は虚無でしかなかった。

 俺自身も、あの任務で人生に幕を下ろすつもりだった。

 最期まで自由は無かったが、俺は逃げる事無く戦い続けたから……結局、生き恥を晒す事になったがな。


 何故、俺だけが生き残ったのか今でも理解できない。

 敵の攻撃で死んでいれば、こんなに悩むことも無かった。

 死にたかった訳じゃないが、あそこが自分の死に場所だと思っていた。


 ……何もしていなければ、こんなことばかり考える。


 俺はゆっくりとスプーンをテーブルに置く。

 そうして、半分残ってしまった料理を見ながら。

 俺は自分の不甲斐なさを恨んで――


「そんな顔するなよ」

「……何も知らないだろう。俺も、仲間の事も」


 奴が無責任な言葉を吐く。

 俺はその言葉に少しだけイラついてしまう。

 そうして、らしくも無く八つ当たりをしてしまった。

 奴は俺の言葉を受けてもまるで動じない。


「あぁ知らねぇな……死んだ人間の心なんて分かんねぇよ」

「だったら」

「――でも、お前は生きてるんだろ?」


 奴はハッキリと言う。

 仲間は死んでも、お前は生きていると。

 そんな事は誰でも分かる事だ……だが、こいつが言いたいことは分かる。


 俺の顔は死人そのものだ。

 明日への希望も無く、ただ惰性で生きようとする人間の顔。

 瞳に生気は無く、何かを見ているようで何も見ていない。


 

 未来ではなく、過去に囚われている俺は――死んでいる事と同じだ。


 

 俺はこいつの言葉に何も言い返せなかった。

 自分は生きていると、お前には関係ないと言えなかった。

 俺は手にしたスプーンを握りしめながら、悔しさを滲ませる。

 すると、奴はゆっくりとスプーンを置く。


 視線を向ければ、奴は掌を合わせていた。

 そうして、静かに祈る様に言葉を発した。


「ごちそうさまでした」

「……何だ、それは」

「……さぁな。俺にも分かんねぇ……ただ俺の友人がな。よくやっていたんだ。食べ始める前にも似たような事するけど。俺は食べ終わった時のこれしかしねぇ……食べ物への、料理への感謝だったか……命に感謝して食す、てな」

「……くだらないな」


 俺は冷めたように笑う。

 すると、奴も笑みを浮かべながら「そうかもな」と言う。


「くだらねぇかもしれねぇけど。やる価値はある……俺の腹に入った肉や米も、喰われた甲斐があるってもんだろ?」


 奴は軽い口調でそう言う。

 いつの間にか、奴の言葉に俺は耳を傾けていた。

 聞き流す程度の存在から、黙って聞く存在になって。

 今しがた、奴が俺に聞かせた話も……そういう事なんだろう。


 何の意味も無いような祈り。

 しかし、命を奪われた物への感謝があれば。

 少なくとも死んでいった魂は救われる。

 何の理由も無く、何の言葉も無く殺されればそれで終わりだ。

 誰の記憶にも留まらず、誰からの想いも無い。


 奴が行った行為はただの偽善に過ぎない。

 殺されて喰われた鳥が、人間からの言葉で救われるのか。

 感謝したところで食われた鳥が蘇る訳でもない。


 

 だが、ただの偽善でも――価値が生まれる。


 

 無価値な存在が、たった一つの祈りで。

 その人間にとっては価値のある存在になる。

 他の誰もが気に留めなった存在でも。

 その行為をした瞬間は、記憶に残る存在になる。


「……同じか……俺も、仲間も……」

「……お前が仲間の事を覚えているのなら……祈ってやればいい。他の誰でも無い。お前がやるから、価値があるんだ」


 奴は知ったげな顔で言う。

 何も知らない筈で、軍人でも無い男が。

 目の前の異分子に対して説教をする。

 本当にくだらなくて、本当に訳が分からなくて――笑みが零れる。


「……何だ。ちゃんと笑えるじゃねぇか」

「……」


 俺は奴の言葉を無視する。

 そうして、再びスプーンを持って料理を食べ始めた。

 何口も何口も頬張り――完食する。


 俺はさきほどの男の行為を真似する。

 慣れない手つきで手を合わせながら。

 静かに目を閉じて、言葉を発した。


「……ごちそうさまでした」

「……中々、様になってるじゃねぇか」


 俺はゆっくりと目を開ける。

 すると、男は頬杖を突きながら俺を見ている。

 俺は無表情のまま男を見て、奴の真意を探ろうとした。

 

「……それで、要件は何だ……ただ飯を食わせたかっただけじゃないんだろ?」

「……あぁ、やっぱりバレてるか……うん、まぁそうだよなぁ」


 男はゆっくりと顔を上げる。

 そうして腕を組みながら一人でうんうんと頷いていた。

 俺はそんな男を見ながら、奴の出方を待つ。


 静かな店内で、時計の秒針の音がやけにクリアに聞こえた。

 カチ、カチ、カチという音を聞きながら暫く待って――奴が手を差し出してくる。


 

 

「お前をスカウトしたい。俺の会社で――傭兵にならないか?」

「……は?」

 


 

 こいつは、今、何と言った……?


 スカウトしたい、俺の会社で……いや、そんな事はどうでもいい。


 問題なのはその後で……傭兵だと?


 

 俺は目を細めながら、詳しく聞かせる様に言う。

 すると、奴は自らの立場について明かし始めた。


「実は俺は傭兵ビジネスをしていてな。俺自身は戦えないが、名のある傭兵をスカウトしては。そいつらを派遣して金を稼いでいるんだ! こう見えても広い人脈もあり、部下からの信頼も厚い! どんな仕事であろうとも取って来る自信はある……が、そのな……最近、雇っていた傭兵がな……や、辞めちまってなぁ……いや、理由は分からないけど……いや、本当に謎だけどなぁ。あはははは!」

「……何人辞めた」

「え、いや。そんな事聞いても」

「――言え」

「…………五人です。はい」


 先ほどまでの自信が消えていく。

 最後の質問の答えに関しては、蚊の鳴くような声だった。

 こいつの会社の規模は分からないが。

 一気に五名の傭兵が辞職したと言う事は……そういう事だろう。


 明らかに地雷だ。

 問題がなければ、一気に五人も辞める筈がない。

 こいつの事はほんの少しだけ見直していたが。

 明らかにこんな地雷原の上に建っているような会社に入ってはいけない。

 入ったが最期、どんな仕事をさせられるか分からないからな……いや、仕事すらあるかも怪しい。


 隣に置いたナップサックの紐を握る。

 椅子を軽く後ろへ引いてから俺は奴を見つめた。

 

「……飯は美味かった……それじゃ」

「待ってくれぇぇぇぇぇ!!! 行かないでぇぇぇぇ!! 見捨てないでぇぇぇぇ!!」


 俺が席を立ってそそくさと去ろうとすれば。

 こいつは席からずり落ちながら俺の服を掴んできた。

 良い歳した大人がむせび泣きながら、必死に俺を呼び止める。

 周りに視線を向ければ、俺たちの事を憐れみの目で見つめる現地民がいた……はぁ。


「……何で俺なんだ。他にもいるだろ……探せば」

「いいやお前だ! お前しかいない! 俺の勘がそう告げているんだ! これは運命だァ!!」

「……本心は?」

「いやぁ偶々用事で立ち寄った街で、何か凄そうな奴がいるなぁって思ってたら。今までメリウスに乗って戦っていて尚且つ生き残った元軍人のパイロットだったなんてなぁ。一から教えるのはコストに合わない上に面倒だし即戦力見つけてラッキ――ああぁぁぁ待ってぇぇぇ!!」


 打算だらけの馬鹿を引きずりながら立ち去ろうとした。

 すると、奴は俺の服を引っ張りながら引き下がらない。

 このままでは永遠に付き纏われる可能性が高かった。

 往生際の悪い奴であり……もう観念するしかないか。


 俺は奴の手を強引に振りほどく。

 そうして、服の皺を叩いて伸ばしながら奴を見た。

 目を潤ませながら、手を組んで祈っている馬鹿は哀れで……はぁ。

 

「…………どうせ。すぐに仕事は見つからない…………お前の会社は大都市に近いんだろ」

「――ッ! あ、あぁ! めっっっっちゃ近いぜ! 激近だ! ていうか有名な”交易都市”だ!」

「……お前の会社を見てから決める。だから……聞けよ」


 奴は俺が了承したと思い込んだのか。

 すっと立ち上がったかと思えば、ポケットから端末を取り出して何処かへと連絡を始めた。

 電話を掛けた相手はツーコールで出たようで、俺を置いて話し始めた。

 よく聞こえないものの、電話の相手と仲が良さそうに話して……いや、そうでもないな。


「あぁ、悪い悪い……いや、違う! 俺だって仕事をだな……いや、だからぁ……兎に角、即戦力を確保したからな! 今から戻るから、歓迎会もするからな! 全員参加で、これは社長命令だ! じゃあな!」


 奴は一方的に電話の相手に命令をする。

 そうして、電話を切ってからニコニコとした顔で俺にすり寄って来る。


「それじゃ行きましょうかね。期待のホープ!」

「……調子の良い奴だな」


 俺はため息を零しながら、小さく笑う。

 色々とだらしのない面はあるが……まぁ悪い奴じゃない気がする。


 奴は店員に金を渡してから扉に近寄る。

 そうして、俺についてくるように言ってきた。

 俺は言われた通りに奴の後を追う。

 

 扉を開けて外に出れば、疎らだった人通りも少しだけ活気づいていた。

 奴はそのまま何処かを目指して歩き出して――何かを思い出して顔だけ此方に向けて来た。


「そういえば聞いてなかったな……アンタ、名前は?」

「……ナナシだ。性は無い」

「……ふーん、。ナナシね……うし、憶えた!」


 奴はその場でくるりと回る。

 そうして、片手をポケットに突っ込みながら。

 もう片方の手を俺に差し出してきた。


 

「俺はヴァンだ。ヴァン・ロペスだ。よろしくな――ナナシ!」

「……よろしく」

 


 奴――ヴァン・ロペスの握手に応じる。


 奴の手を握れば、ゴツゴツとしていた。

 皮膚が固く、男らしい手をしていて。

 見かけによらず武闘派なのかと思いながら――新しい一日を記憶した。

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