9.あとがきに残るは父の想い
綾の部屋を出た知希は、沸々とたぎる怒りにまかせて父の書いた物語を自室の机に広げた。
どんな想いを持って、どんな物語を描いたのか。そこに、自分達に対する気持ちは少しなりとも含まれているのだろうか。そんなことを考えながら。
そうでも無ければ、父不在の十数年間が報われない。そうでも無ければ、この怒りは収まりそうにない。離婚の理由が何であったにしろ、瑛二が言う「裏切り者」という言葉も理解できなくはない気がしてきた。
綾や母のことを想うと、そう悲観的にならざるを得ないのだ。
怒りは我を忘れさせ、母が腕を振るって用意してくれた夕食の味を消し、母の言葉も音を失わせてしまった。
何が愛だ。何が家族だ。父にそんなことを書く資格があるのか。父が居てくれさえすれば、もっともっと有意義な生活を送れたに違いない。母だって苦労しなくて済んだはずだ。自分達が悩んだ時に、背中を押してくれたはずなのだ。
父と子のイラストが描かれた表紙を恨めしく眺めながら、ページをめくる。知希はおよそ小説というものに触れたことが無かった。絵の無い本など、読むに堪えないと思っていたからだ。
しかし、それは子供の頃の先入観だと気付かされる。読み始めると、時間を忘れるほどに没入してしまっていた。字を読み、文から作り出される物語を、大人になった知希が理解し、想像できるようになったからだろう。一字一句が情景を、人物を、想いを、知希の頭の中に新たな世界を創り上げていく。
一冊が薄く、一話完結の話が多かった為か、夜中のうちに三巻すべてを読み終えてしまった。最後のページをめくり、本を閉じた時、知希はテーブルの上に伏して、涙の粒を溢した。
「なんだよ、これ」
物語の中には、主人公の人生が詰まっていた。主人公の父と送る毎日、その中に愛があり、葛藤が巡り、そして絆が生まれる。周りの登場人物に揉まれたり、感化されたり、時には助け合ったり、平凡な日々の中に楽しいことがあれば、辛いこともある。主人公とその父とは、そんなことを共有することが出来る、まさに理想の家族であった。
「俺だって、こんな毎日が送りたかったよ……」
知希はやっと自分の胸のうちに溜め込んできた想いを言葉にすることが出来た。父が居なかったことに、何も感じていなかったわけでは無かった。ただ、それをなんと口にして良いのか、分からなかっただけなのだ。
父も同じようなことを想ってこの作品を書いたのだろうか。それは最後のあとがきに記されていた。
本を持つ手が震え出す。
––あとがき
私には三人の愛すべき子供達が居る。訳あってしばらくの間会えていないし、これからも会えるのかは難しいところだろう。それだけのことをしてしまったのだから。
子供の成長というものは、超特急だ。私が仕事をして帰ってきてみれば、いつの間にか掴まり立ちできていたり、いつの間にか言葉を話すようになっていたり、いつの間にかランドセルをからっていてそれらしいことを生意気に語り始める。毎日が成長の日々で、一日たりともその成長ぶりからは目が離せない。
だから、こうして執筆している間にも彼らが成長を続けていることを考えると、最悪の道を選んでしまった過去の自分を恨みたくもなる。彼らの成長を、傍で見ていたかった。
彼らにはもっと多くのものや景色、個性豊かな人達との出逢いを通じて、たくさんのことを学んで欲しい。そうして立派な大人となって、是非「親」になるということを楽しんで欲しいと思う。私に出来なかったことを。
最後になるが、彼らがこの本を手に取ることがあるかは分からないが、いずれ私の作品に触れる時が来た時のために、この言葉を残しておきたい。
私はいまでもお前達のことを愛している。お前達のことを忘れることなど一日たりともなかった。必要とする時に居てやれなくて、すまない。
父親らしいことなど何もしてやれなかったが、この本で家族の絆や愛情に気づいてくれることを願う。
この本は、私の想いだ。
青谷 信明––
そっと第三巻目を閉じた知希は、ぽつりと独り言を呟いた。
「これじゃ、まるで遺言だろ」
父が、どんな人間だったのか、分かったような気がした。少なくとも心の汚れた人間に、こんな物語やあとがきは書けないだろう。
感情の波がうねり狂っている間に、その勢いに身を任せた知希は、充電の完了した父のスマホに手を伸ばした。
電源を入れてみる。
聞き慣れないチープな起動音が鳴り、知希の心を揺さぶった。父のアパートのドアノブに手を触れた時の感覚と同じ。これから踏み入れる先は、知希の運命を変える。
静かに電源を落とし、引き返すのならいましかない。
父との再会を諦めて?
……嫌だ。せっかくここまで来た。いま父がどんな状況にあるにしろ、父には言いたいこと、聞きたいことが山ほどある。
父を探す。その第一歩を踏み出すために、知希はスマホのホーム画面を呼び出した。
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