7.本屋の店員は熱く語りかける
ホーム画面に戻ったスマホをバッグに仕舞い、車を走らせた先は自宅では無かった。帰り道のとある店に車を停め、「本」のネオンが赤く光る看板を確認すると、知希は自動ドアに誘われるかのように店舗へと足を踏み入れた。
結局父のスマホについてはどうするかを決めかねたので、一旦持ち帰って保留する。
本屋と言えば、普段ならコミックコーナーにしか用事は無かったが、この日は別だ。
探し物は、父の書いた小説である。
文庫本のコーナーに並ぶ無数の本の背表紙を一冊一冊目で追いながら目当ての物を探したのだが、あまりの書籍の多さに目眩がしてくる。棚はカテゴリで分けられていて、作者順で並んでもいるのだが、まるで砂の中の一粒を探すような錯覚に陥ってしまった。
何故だろう。漫画だったらすぐに見つけられるのにな、と知希は口をへの字に曲げる。
「何か、お探し物ですか?」
しかめっ面でぐるぐると店内を回る様子を見かねたのか、店員の若い女性が声をかけてくれた。
「あ、はい」知希は本一冊見つけられない自分を少し恥ずかしく思った。「テナス王国物語という、小説はありますか?」
そして聞いて、少し怖いとも感じた。嫌な考えが浮かんだのだ。もしも父の本がほとんどの人に理解されず、評価の低い駄作だとしたら、知希の中で少しずつ形成されていっている父親像が一気に崩れてしまいそうだったからだ。「あれはやめた方がいい」とか「そんな作品は知らない」とも言われたら、自分のことのように辛い。
しかし、店員の反応はそうではなかった。
「はい、ありますよ!」
周りの客がこちらに視線を向けるほど、店員の返事は店内で大きく弾けた。それはどこか彼女の嬉しさが爆発したかのようで、丸眼鏡の奥でうるうると揺らめく瞳は「待っていました」と言わんばかりに知希の顔を見つめていた。まるでこの時を何十年と待ち焦がれていたかのように。
「あ、あの……」
どうしたことかと困惑する知希の手を、店員はぐいと引っ張った。突然のことに理解が追いつかなかったが、彼女はしばし興奮気味に握った腕を離さなかった。
「こちらにございます!」
そうして案内されたのは、探していたラノベコーナーとは反対側のヒューマンドラマコーナーの一角であった。
もともと、その内容を読んでいたわけではなかったから、タイトルだけでラノベやファンタジージャンルあたりにでもあるのだろうと思い違いをしていたが、まさかあのタイトルでヒューマンドラマなのだとまでは考えもしなかった。
目的の本は全部で三冊。作者名「あ行」の片隅に埋もれていた三冊は第一章から第三章までの各一冊ずつで、残りが少ないのは売れているから、というわけではなさそうだ。
「ありがとうございました」
丁寧に礼を言うと、店員は満面の笑みを浮かべた。
「いえ!」
とりあえず、と知希は三冊を引っ張り出し、手に取った。背表紙にはタイトルと作者名が。裏表紙には簡単なあらすじが載っているところは、他の小説たちとなんら変わりない。
そして表紙には若い男と、中年くらいの渋い顔をした髭面の男、二人の絵が描かれている。裏には父と子、親子の物語と書かれていたから、この二人はたぶん親子なのだろう。
父が、親子の物語を描いていた……? 離婚を経験し、しばらくは独り身であっただろう父が? その内容がいかようなものか、知希はいますぐにでも本を開きたい衝動に駆られた。
眺めていた表紙から目を離し、思慮に耽ろうとした時、目が合ってしまった。
「あの……何か?」
先程の女性店員が、期待に輝く瞳をこちらに向けていたのである。
「ご、ごめんなさい」たじろぐ店員。「でも私、すごく好きなんです。テナス王国物語」
「え?」
彼女の嬉しそうな顔は、そのせいか。
「だけどマイナーな作品だし、なかなか感想を言い合えるような相手もいないしで、でももっと色んな人に読んでもらいたいなって思ってたから、今日お客様の口から本の名前が出てきたことがすごく嬉しくて」
頬を赤らめながら話す彼女の声はとても明瞭で、耳に心地良い。
少しばかり地味な印象の女性で、それがどこか知希にとって親近感が湧いたのかもしれない。
大きな黒縁の丸眼鏡に、三つ編みのツインテール。上は某有名店の白いTシャツに、膝のすり減ったジーンズ。自分の好きなものとなると歯止めが利かなくなる質らしい。その名札にちらりと視線をやり、白石という名前を確認した。
「そう、なんですか」
どんな作品であるにせよ、父の本を好きだと推してくれる読者が居るということは、単純に嬉しかったし、誇らしくもあった。
それから店員の白石は、いかに父の作品が素晴らしいかを熱弁し出す。
「一見してファンタジー作品なんですけど、一人一人の設定や描写がとにかく細かくて、各キャラクターのバックボーンがとても丁寧に描かれているんです。だからキャラ同士で衝突が起きたり、時には共闘したり、そうして過去を克服したり、新しい出会いやスタートがあったりと、とにかくドラマに溢れているんです。最近流行りの海外ドラマのような展開と言えば、想像つきますよね」
と、言われても海外ドラマを見たことが無い知希だったから、答えに困って頷くだけにとどめた。
「特にこの青谷先生は「愛」や「家族」をテーマにすることが多くて、それがすごく心に沁みるんです」
「家族や愛……」
父とは無縁と思っていた言葉が、この本には詰め込まれているのか。瑛二が聞いたらなんと言うか。
「でも最後に第三章が出たのが五年くらい前で、それから続きが出ていないんです」
そう言った白石は、少し俯き加減で苦い表情をした
「五年前……?」
確かオーナーも五年ほど前から父の姿を見ていないと言っていた。そうなると、良くも悪くも父の人生は五年前になんらかの変化があったと言っても良いのだろう。もしかしたら、そこで第二の運命の女性(ひと)に出会ったのかもしれない。
五年前……十八だった知希はちょうど高校卒業の年だった。あの頃はどんな行動をして、どんな考えを持っていただろうか。少なくとも、いまのように悩み多き年頃ではなかったはずだ。ふと、まだ楽しかった学校生活を思い出そうとした、その時だった。
「痛っ……」
まるで釘を打ち込まれたかのような、激しい頭痛が知希を襲った。耳鳴りが体に張り付き、視界も朦朧とする。
僅かな時間の後に痛みは過ぎ去ったが、二度と体験したくないほどの痛みだった。日頃の疲れから来るものなのだろうか。
「――この作品以外には何も執筆されていないようですし、先生は引退でもされてしまったのでしょうか。素晴らしい作品なのに、もったいないな」
白石は頭を抱える知希をよそに、いまだ熱く語り続けていた。それほどまでに父の作品には、読んだ者の心に訴えかける何かがあるというのだろうか。
「あ、申し訳ありません。つい、熱くなってしまいました」
ようやく自制に努めた白石だったが、その表情はまだ語り尽くしてはいないと言いたげな不完全燃焼気味の眼差しを携えていた。
別に聞いていて嫌な思いはしなかったし、読んだだけでは分からない彼女なりの考察があるのだろうから、是非続きを聞いてみたいという思いはある。
しかし夜も随分と遅くなったし、あまり母に心配をかけさせるものではないなとも思った知希は、白石の二の句が飛び出してくる前にこの場を切り上げることにした。
「い、いえ。ありがとうございました」
店が逃げるわけでもない。またここへ来て、彼女の話を聞くことも出来るだろう。
終始もの言いたげな表情の白石は、スキップをしたい衝動を抑えるように小走りにレジ裏へと飛び込み、知希の買い物の会計を済ませた。
紙のカバーを被せてもらい、何の本かが分からないようにしてもらう。母に見つかりでもすれば、彼女自身が嫌な記憶を思い起こしてしまう原因にもなりかねない。あくまで今日の買い物は自分だけの秘密だ。
「あの」白石が名残惜しそうに声を出した。「読み終わったら、是非感想を聞かせてくださいね」
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