ノンシュガー

あおきひび

ノンシュガー

 お母さんの妹だというその人は、私の小さい頃よく家に遊びに来た。

 ダイニングで母と語り合いながら、ふと私に微笑みかける顔。目じりに泣きぼくろが点々とあったのをなぜかよく記憶している。

 手土産の甘いクッキーを開けて、おやつの時間になった。嬉々としてぱくつく私を前に、彼女はゆったりとコーヒーを飲んでいた。

 一度頼んで飲ませてもらったけれど、あまりの苦さに私はうえぇとなった。

「ブラックだからね、そりゃあ苦いか」

 彼女はいたずらっぽく笑って、母に肘で小突かれていた。

 彼女はクッキーには手を付けないで、持参した袋入りのビターチョコをつまんでいた。不思議に思って尋ねると、「苦いの好きなんだ」と返す声。

 ビターチョコなんてまずくて食べられない。彼女は大人だなぁ。子供ながらに、ちょっと憧れた。

 帰り際、彼女は手を伸ばして、私の頭をわしわしと撫でた。少し骨ばった手のひら、白くて細い指先。「くすぐったいよ」と照れながら、私はなぜかクラリと頭が熱くなるのを感じていた。


 記憶の中の彼女は、いつも素敵なおねえさんで。淡い思い出が心をじんわり温めた。それとともに、彼女への仄かな慕情は年を経るごとにつのっていく。


 後になって私は知ることになった。彼女が心の病で長い間伏せっていること。体調の良いわずかな時間を充てて、わざわざ私を訪ねてきていたこと。たいそうな可愛がりようだったのよ、と母は言う。遠くの方を見ながら、憂い顔をわずかに見せた。

 彼女は味覚障害を患っていた。苦味や辛味はわずかに感じるものの、普通の食事は不味くてとても受け付けないのだそうだ。どれもこれも、私に知らされたのはずいぶん後になってからだった。

 ほの温かい愛情にくるまれて、私はとても大切にされていた。そのせいで、大切なひとの苦しみにさえ、気づけないままで。


 キッチンに立ち、チョコレートを湯煎しながら、考える。鈍感な私には、彼女のつらさの一欠片だって理解できやしないだろう。それでも、独りよがりなこの思いを伝えたい。砂糖をたっぷり溶かし込んで甘ったるくしたチョコは、ハイカロリーな栄養食品だ。あなたがその甘さを感じられないとしても、私はこのバレンタインチョコを贈るのだ。

 出来上がったチョコを、包装紙で丁寧にくるむ。明日の今頃、私は彼女の部屋の戸を叩くだろう。

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ノンシュガー あおきひび @nobelu_hibikito

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