第2話
復讐と言っても、父がされた様に騙して会社を倒産させるなんてことをするつもりはない。
そんなことをしたら無関係の社員にまで迷惑をかけてしまう。
あくまで私が復讐したいのは藤二だけなんだ。
和希さんの話では、藤二は父にコンプレックスを抱いていたのだそうだ。
私も知らなかったことだけれど、父たちが学生のころ藤二はそこまで裕福な家庭ではなかったらしい。
そんな中親しくしてくれていた父に、憎しみに近い劣等感を覚えていたんだとか。
三年前、祝い酒だと言って自宅で高級ワインを口にしながら語っていたと聞いた。
勝手な私怨で人を不幸に陥れておきながら、祝い酒だなんて……。
その話を聞いたときは本気であの男をくびり殺してやりたいと思った。
とにかく、そういう経緯だからきっと父の娘である私と和希さんが結婚して家庭を持つことになれば藤二は発狂したくなるくらい悔しがるだろう、と。
人を騙すことに長けた藤二を嫌悪していた和希さんにそう提案されたんだ。
放課後になり、フワフワの綿雪が細雪に変わっていた。
雪がちらつく中、ダッフルコートに身を包み校門に立っている私の前に一台の高級車が停まる。
助手席側の窓が開き、見えた運転手は黒い前髪をサラリと揺らし少しかがみながら私を見上げた。
涼やかに整った顔が申し訳なさそうに眉を下げている。
「悪い、待たせたか?」
「いいえ。一、二分程度だから、そんなに待ってないですよ」
運転手――数時間前に夫となった湯島和希さんに笑いかけながら、私は助手席に乗り込んだ。
シートベルトを締めたことを確認すると車を出した和希さんは、前方から視線を逸らさないまま口を開く。
「結婚指輪、間に合わなかったな。残念だ」
淡々と話す声音には残念そうな様子はない。
でも、よく見ると眉尻が下がっていて実際に残念だと思ってくれていることが分かった。
「確かに残念かもしれないですが、どうせ学校ではつけられないですもん。卒業までに間に合えば問題ないと思います」
大丈夫だと伝えた私をチラリと見た和希さんは、左手をハンドルから離し私の頭を軽くわしゃわしゃする。
「確かに、出来るだけずっとつけた方がいいからな」
「ああっやめてください和希さん! 髪乱れちゃうじゃないですか⁉」
抗議する私に、和希さんは「ははは」と笑う。
「いいじゃないか、どうせもうあとは家に帰るだけなんだから」
「そう、ですけど……」
乱れたボブヘアを手ぐしで整えながら文句をのみ込む。
そう、正式に夫婦となった今日から私は和希さんが住んでいるマンションで暮らすことになっていた。
もともと母の元から離れて一人暮らししていた私は身軽だ。
今日から和希さんのマンションに住めるようにと引っ越しも済ませてある。
結婚した実感はまだ湧かないけれど、和希さんのマンションに『ただいま』と言って帰れば何かしらの実感が湧くかもしれない。
結婚したのだという実感を求め思いを馳せていると、ふと思い出す。
「あ、和希さん。そういえば結婚したら教えてくれるといいましたよね? 私と契約結婚した場合の和希さんのメリット」
契約結婚を提案されたときにも聞いたけれど、和希さんは『結婚したら教える』としか言わなかった。
もう結婚したのだから、今度こそ教えてくれるだろうと質問してみる。
「ああ、そうだな……帰ったら教えるよ」
薄い唇の端を上げて笑う和希さんに、私は今教えてもらえないのかと少し残念に思う。
でもまあ、ちゃんと教えてはくれるようなので今は口を閉じた。
***
マンションの駐車場に着いた私たちは、車を降りてエントランスへと向かう。
でも、そのエントランスに招かれざる客人がいた。
「和希!」
私たちを見つけた途端目を吊り上げながら近付いて来た壮年の男性。
湯島藤二だ。
「お前、どういうつもりなんだ⁉」
「っ!……どういうつもり、とは?」
乱暴に胸倉をつかむ藤二に、和希さんは極めて落ち着いた声で対応する。
しかもさり気なく私を背にかばってくれていた。
「わかっているだろう⁉ その娘のことだ!」
和希さんの胸倉をつかんだまま、藤二は視線だけで私を睨む。
その怒りの強さに私は一瞬怯みそうになった。
けれど、藤二のその怒りは寧ろ私の望んでいたものだと気を取り直す。
「結婚するとは聞いていたが、相手が三浦の娘だとは聞いていないぞ⁉」
「父さん、俺ももう二十四だ。自分の結婚相手は自分で決める。……父さんが認めてくれなかったとしてもだ」
「ぐっ……」
冷たく言い放つ和希さんに、藤二は言葉を詰まらせる。
社会人で言えば二十四はまだまだ若いのかもしれない。
でも、親が口を出さなければならない程子どもでもない。
和希さんの人生は和希さんが決める。
藤二より背の高い和希さんは、睨み上げてくる父親を冷たい眼差しで見下ろした。
「くっ! まあいい、下の者を見下して自尊心を高めるような奴の娘だ。そのうち愛想を尽かして離婚することになる」
「なっ⁉」
和希さんの胸倉を離す代わりに、捨て台詞の様な言葉を放った藤二に私はカッとなった。
父の優しさと人の好さを歪んでとらえることしか出来ない藤二に怒りが湧く。
そのままの勢いで文句を叫ぼうとしたけれど、その前に和希さんが藤二の腕を掴み低い声を出した。
「いくら父さんでも、俺の妻の家族を侮辱することは許さないぞ?」
口調は淡々としていたけれど、声は低く冷たい。
私と同じくらいの怒りを感じ取って、思わず息をのんだ。
「くっ、放せ!」
腕を振り和希の手から逃れた藤二は、「ふん」と忌々し気に鼻を鳴らした。
「とにかく私は認めんからな!」
今度こそ本当の捨て台詞を口にして、藤二はエントランスから出て行く。
憎い男の後ろ姿を見送りながら、思った。
あの様子だと藤二は私と和希さんを別れさせようとするかもしれない、と。
この結婚は復讐のスタートだったけれど、もしかしたら藤二との戦いのスタートでもあったのかもしれない。
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