スタートにギャグを

南天

第1話

 スタート地点に落とし穴がある、とは昔からよく言われる訓示のようなもので、事実それは当人の勘違いだったり縁故あるものの妨げであったりと幅広いパターンで確かに存在すると思う。

勢い良くスタートを切ってやって来たぴっちぴちの活きのいい若魚を何もわからぬうちに爪で捉えてしまえばヨシ。大人しくさせて、暗示でもかけて、頂けるものは頂こうという不届き者も多く出てくるのが年明けから春の頃であると社会人なら大抵の皆様がご存知である。

毎年繰り返される挨拶のようなものだと開き直る輩もいるからタチが悪い。見ている側も、あ〜あ、引っ掛かってる、やられてる、と見ているだけなのは良くないことなどわかっているが、私の場合、なかなか救えないのは無関係と無関心と両方の事情であるから個人主義だの何だのと大した言葉は持ち出して欲しくない。関係無いのに口は出せないし、関心も無いのに若者を守る活動になど心を砕くことは出来ない。おばさんもそれなりに忙しいのである。

 私見であり偏見かもしれないが、出来ることがあまり無い人は他人に自身を追随させることで優越を感じようとするところがある。これは思想や政治的主張も当てはまる。昔はよく若者なんてチョロいものだと主権を奪いにやって来た。そのくせ勿論、責任など取らない。権利侵害としか思えないが、それはちゃんと理解してやっているのだから怖い。ハラスメントなんて、おばさんの時代にはまるで意味の無い言葉だったのだ。鮭のとか、美味しいよね、てな事を口にする人も本当にいたし、私もそれを聞いて笑わなければならなかった。

逆に自信を持っている、というより持ちすぎている人は、自分は間違っていない、どころか、間違うはずがないという超人の領域にも踏み込んでしまう。人間をやめるという超常は意外と身近で起こり得る事であったのか。若かった私は驚いたものだ。が、しかし無いとは言い切れないのが対処の難しいところである。

そんなこんなで地味にダメージを与えてくる人、ぶっ飛び理論で攻撃してくる人、いろんな人がいて、人間関係は色々あるものだ。

 仕事のルールや作業手順のような真面目な話ならともかく全く関係の無いところに力を注ぐ人には要注意である。

おばさんの時代はやはり、国家、文化、経済、政治。女性なら品格とか女子力カースト、オンナとして先輩だの後輩だのといった考え方がものを言った。プライドや人生観、価値観、その他諸々に揺さぶりをかけてくる時は、当時の若者の苦手分野とキャリア不足(当たり前)を攻めてきたものだ。仕事に誇るものが無いのは致命的なので、頑張って聞かないふりをして過ごしたのも、今となっては貴重な経験なのかもしれない。そうだといいけれど。

 新しいスタートを切る時には、"気をつけなはれや!"というちょっと懐かしいギャグが丁度いい。ギャグは世にある諸々の事象と言葉にならない空気を一言で表現し完結させてくれる素晴らしい文化である。と、思う。笑いの奥深さなんかは全然解っていないし、よくは知らんけどね。

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