瀬川課長代理の新しい挑戦

黒星★チーコ

全1話

 1月1日の朝、冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み、俺は近所にある大きめの公園でストレッチをしていた。

 一年の計は元旦にあり。

 ……なんて言葉もあったなぁ。今や死語だけど。


 元旦なんておせち食ってコタツでゴロゴロして酒飲んでテレビ見てたらあっという間だ。それが一年を表してるなら、一年ずっと幸せに喰っちゃ寝出来るって事だろ? だが現実はどうだ。少なくとも去年一年間の俺は毎日毎日遅くまで働いてへとへとだったぜ。


 今の会社でコツコツ働いて早20年あまり。一応は「課長代理」の肩書きを貰えるまで頑張ってきたけどさぁ、肩書き……つまり係長以上の管理職になるとうちの会社は残業代がみなし扱いになるから、遅くまで働いても一円も手取りが増えない。そのくせ年々責任だけは増えやがる。


 部下のミスの尻拭いで残業するのはまだ良い方で、その部下がミスでくよくよしてるのまでケアしてやらにゃならん。俺の若い時代なんか「やる気無いやつは辞めろ!」の言葉しか上司に貰えなかったぜ。

 ……というか、令和の世でも変わらず部下に対してそういうノリだった二課の課長が今、会社を休職してるんだけど。


 どうも課長直属の部下が8月から9月にかけてゴソっと辞めちまったもんだから、責任を追求された課長が今度は病んじまったってのが休職の理由らしい。なんだよそれ。


 まあそんなわけで。「瀬川君はもうちょっと皆の様子を小まめに見てくれよ。こっちもできる限りのサポートはするから」って言う人事部長と直属の部長のW攻撃をかわせなかった俺は、一課の係長から「二課課長代理」の仮昇進……という建前で役目を押し付けられたわけだ。完全に貧乏くじでトホホってやつじゃね? ……あ、トホホも死語だな。


 でもさぁ、最近の若いやつの考えなんてわかんねぇよ。俺45だぜ? 18歳の実の娘の気持ちもわからんのに、赤の他人の、突然部下になったやつなんて理解できるわけないじゃん。

 一緒に酒でも飲めば心の壁が取れるかなと思ったけど、仕事終わりに誘っても断られるし。案の定年末の忘年会も不参加のやつが多かった。


 そんな状況なのに、忘年会でほろ酔いの部長が笑顔で恐ぇ事を言ってくるわけよ。


「瀬川君~。冬休み明けに、部下が出勤してこないとかやめてね~? 全員揃って仕事始めを迎えるのが君のミッションだ・か・ら!」


 やめてね~? じゃねえーーーーー!!! できる限りサポートするって話はどこ行ったよ!! 一気に酔いが醒めて、心が安らぐ筈の冬休みが恐ろしいものに思えてきた。


 ……そんなわけで。俺は冬休みの間、ほぼ毎日公園で走り込みをしている。去年のゴロゴロ寝正月とは全く違う元旦になったなぁ。

 でも意外とこれはこれで悪くなかった。若い頃と違ってすぐ息も上がるし、出た腹は揺れる。ちょっと筋肉痛らしき物も出た。だが走るのは案外楽しいものだと再発見できた。


 俺は公園を何周か走ったあと、ボディーバッグからスマホを取り出して確認する。「二課」のグループLINEをもう一度見たが公園に来る前となんら変化はなかった。年末の挨拶も年始の挨拶もしたんだが、皆ひと言なりスタンプなりでどちらかには返信をくれるなか、山崎からだけ一切返信が無い。全員分の既読が付いているにも関わらず、だ。これは嫌な予感がする。


 山崎は二課でもちょっと浮いている感じの若者だった。悪いやつじゃないんだが、寡黙というか、あんまり多くを語らない為、何を考えているのか掴めない。他人とも積極的に関わろうとしなかった。でもこっちから積極的に行くと、その分後ろに下がる感じなんだよなぁ。


 正直、あいつが冬休み明けに五月病(今1月だけど)になって出勤してこない可能性も全然ありそうだ。もしそうなったとしても俺のせいではないかもしれないけどさ……なんとなくそれは気分が良くないし、部長のプレッシャーもヤバい。


「やっぱり、やるしかないか……」


 俺はひとり、そう呟くとメッセージを入力した。


『俺、テレビ出るわ! 皆見ろよ!』






 沿道には見物客が既に沢山集まっていた。


「ねえ、ホントに走るの? やめたら? あなたの歳じゃ無茶よ……」


 妻が呆れ気味に言う横で念入りにストレッチをし、ウォーミングアップで身体を温め、水分を取る。チャンスは一瞬で、しかも二度しかない。かなり運も左右する。全力を尽くしたところで上手く行かないかもしれない。


 それでも。山崎の同期から聞き出した情報は、彼は学生時代陸上部だったらしいということだけだ。俺に出来るのは走る事ぐらいしか思いつかなかった。


 赤いジャージに身を包んだ俺はスタンバイした。まもなくスタートだ。見物客の歓声が遠くに聞こえた。それは徐々に大きくなり、波のようにこちらに押し寄せてくる。


 今だ。


 俺は自分でスタートのタイミングを感じ、走り出した。切りつけるような冬の空気が俺を包み、ほぼ同時に真横で熱い歓声が上がっている。だが歓声はあっという間に俺の先へ先へ進んでしまう。俺は全力を振り絞って走ったが、一位の選手の背中はみるみる小さくなり、遠くへ行ってしまった。七秒……いや、五秒ももたなかったかもしれない。


「はぁ……はぁ……なんだあれ」


 立ち止まった俺の横を、二位集団の選手たちが駆け抜けていった。






 天は俺に味方した。正直、運次第だと思っていたが五秒間テレビには映っていた。ダメだったら明日も走ることになっていたので助かった。

 そして俺のスマホは暫く鳴動しまくっていた。多くの知り合いが何事かとメッセージを送ってきたのだ。俺は「二課」のグループLINEにメッセージを返した。


『休み明けに話すよ。あと、マラソン大会に出ようかなと思ってる。アドバイスできる奴いたらよろしく』






 休み明け、仕事始めの出勤。ちょっとだけ緊張しながらオフィスに「おはよう」と入ると、二課のメンバーは全員揃っている。それも皆がニヤニヤしながら俺に言ってきた。


「瀬川さん、何やってんすか~」

「課長代理、一瞬で画面から消えてましたよ」


 俺もニヤけながら返答する。


「いやぁー、さすが箱根駅伝だね。あの選手めっちゃ早いよ? 原チャリくらいのスピードあったもん」

「そりゃそうですよ、知らなかったんですか?」

「瀬川さん、ちょっとダイエットした方がいいですよ。お腹ブルブルしてましたよ」


 誰もが楽しそうだ。山崎も少し口元がほころんでいるように見えた。


「やぁ、でも走るの楽しくなっちゃってさぁ。ホントにマラソンでも参加しようかなって。走ればダイエットにもなるかな?」


 わざと山崎に訊くように言ってみた。二課の皆の視線が彼に集中する。だが山崎はいつもと違い、少しもじもじとしながらもきちんと話をしてくれた。


「まあ、良いんじゃないですか……でも体重が重いと膝に負担がくるんで、減量と平行して走る方が良いと思いますけど……」

「そっか! じゃあこれからも何かあったら教えてくれよ!」

「……はい」


 良かった。酷い方法だったかもしれないが、山崎は不快感を抱いていないどころか、わりと好感触な気がする。


 俺は1月2日、箱根駅伝の中継に映りこむように、一位の選手が来るのを待って全力で並走してみたのだ。たまにテレビ中継で見かける、若者とか子供がふざけて走ってるあれだが、40代の腹の出たオッサンが赤いジャージで真剣に走ってるのはなかなか珍しかったらしく、たった五秒間でもしっかり爪痕を残せたらしい。


 俺は詳細を敢えて多く語らず、休み明けに会社で話すことで皆が出勤するように誘導したわけだ。


 とりあえず部長からのミッションはクリアしたし、山崎とも少し関係が良くなりそうだし、走る楽しさにも目覚めたし。うん、良かったな。


 ……ただ、娘に「パパ最低。恥ずかしすぎる!」って言われて暫く口を聞いて貰えなかったのだけがトホホだったなぁ……。

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