第2話 毎日がディズニーランド

  食品から新聞・テレビ・インターネットに溢れる人工的なニュース・記事、街中のケバケバしい・品のない広告宣伝やデコレーション、下手くそな漫才、幼稚な脚本とこれまた下手くそな役者による安物テレビドラマや映画、すべてが本物の人間からかけ離れた人工的・作り物文化の現代日本社会。


50~60年前の在来種純粋日本人が中心となって運営されていた日本、とは全く異なる日本がいま目の前に広がっている。つまり、ごく自然な人間社会から、全く人工的で・作り物で・偽物の・架空の、もっと言えば狂気の世界へ入り込んだかのようだ。


「50~60年前の在来種純粋日本人社会」から、2024年の「現代日本というディズニーランド(おとぎの国)」へ迷い込んだ私は、まるで「不思議の国のアリス」(1865年刊)。或いは、入ったはいいが永久に出られない映画館で観る「時計仕掛けのオレンジ」(1971年)の観客。

50~60年前の日本社会では絶対に見られないような、奇っ怪な生き物(人造人間)、醜悪な風景、化学調味料と化学的処理がなされた気味の悪い食べ物、そしてなによりも、いびつな人格・歪な社会といった奇妙な精神世界を体験させられているのが、現代の日本人ではないだろうか。


「芝居が生きるか死ぬかは、輝く灯火・ぜいたくな舞台装置や衣装、人物や装置の効果的な配置によるのではなくて、劇作家の主義主張によることを片時も忘れてはならない。脚本の構想に於ける欠陥は、何ものを以てしても覆い隠すことはできない。如何なる演劇的虚飾も役に立たない。」

スタニスラフスキー

「つまらない役というものはない。あるのはつまらない役者の方である。」

シチュープキン

「舞台に見えるのが人間ではなくて役者であるとき、芝居はつまらない。」

クルチェフスキー


頭につける油はヴァージン・オリーブオイル、歯磨きは塩で行ない、食べ物はアミノ酸フリーの天然物(貧乏なので、芋が多い)、着るものは綿か毛、履き物は素足に下駄、無香料・無着色の洗濯石けんで身体も衣服も洗い、移動は徒歩か自転車、聞くラジオは天気予報だけ、テレビも(銭湯以外では)見ないし、ネットの動画は大学日本拳法の試合(それも小手先の人工的技術ではなく、闘魂スピリッツの感じられる試合だけ)という、極力天然・自然に近い生活にこだわる私。


貧乏だから、やむなくそういう生活になるのだろう、と思われるかもしれませんが、今どきの日本では、天然物・自然素材による生活の方がよほどカネがかかるというか、何万点もの食品・商品がある巨大スーパーへ行っても、私にとって99パーセント買うものがない。これは台湾でも日本でも同じ。


ドイツやイタリア、聞くところによるとロシアなどでは、日本と逆で、ほとんどが天然素材・食材らしい。

何しろ、日本で認可されている人工食品化合物は1,500、ドイツでは50、あのアメリカでさえ、130というのですから、私の「狂気」も、国際標準に合致しているということで、まんざらでもないのかもしれません。


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