万華の君と水仙の僕

有沢楓

第1話 万華の君と水仙の僕

「あの子、最近『王子』と仲良いらしいよ」


 女子生徒の声が、霜で凍った道の上をつるつると滑っていく。

 モダンなレンガ敷きの道は、中・高等部の全生徒と教師を集めて学園祭を開催してもなお広い敷地を縦横に走り、それぞれに歴史ある風貌の校舎や体育館、ガラス張りの温室とその向こうのカフェテリアに続いていた。


 そして温室の裏手、休眠中の薔薇の植え込みの陰に建つ素朴な東屋あずまやにも声は届く。

 彼女たちは平凡だった転入生の女の子が見違えるように模範的になり、何か月もしないうちに学園の『王子』と親しくなったというエピソードをつぶさに語ったので、それはすっかり椿つばき雪仁ゆきひとの耳にも入った。


 彼は一重の瞼を閉じ、切り揃えた濃い藍の髪をさらりと別けて静かに耳を澄ませていた。

 別に隠すこともない。誰もこちらを覗きこまないのを知っているからだ。

 この東屋のベンチ、高校二年生になる雪仁が昼休みに使うと決めた入学時の春からずっと、誰かが訪れたことがない。

 長い歴史と敷地の広さ、建物設備の豪華さから容易に想像されうる名門校の学生からすれば、敷地の隅っこ、かろうじて雨をしのぐのに使えるかどうかという場所は眼中にないのだろう。

 だからこのあたりを通る人はみな気安く、噂話をするのだ。


(どうやら、「今回」の「彼女」は学園一有名な王子と付き合うことになるらしいな)


 声が去ってから、雪仁はゆっくりとまぶたを上げ、弁当箱に残ったハムとレタスのサンドイッチを咀嚼する。


(しかし二人の距離が近すぎる気がする。年明けまでのペースだと、王子の「好感度」を稼ぎ終わるのは春休みが終わるギリギリだと思ったのに)


 雪仁はサンドイッチを腹の中に収めてランチバックを片付けると、鞄の中から短い筒を取り出した。

 眼鏡の銀のフレームを白く細い指先で押し上げると、桜色の和紙で包まれているその筒を片目に当てる。

 その中に無限の桜色が広がっている。


 万華鏡カレイドスコープだった。

 色とりどりのビーズや桜の花をかたどったフィルムが、回すたびに色と形を変えてひとつとして同じではない模様を鏡の中に作り出す。


 彼はある女子生徒――噂の的の「彼女」がここを初めて訪れた時に、この万華鏡を渡すことになっていた。

 そして次からは種々の噂を聞かれることになれば、特に男女間の人間関係やものの好き嫌いなどを伝えていた。

 求められれば、「アイテム」を交換もした。

 そういう「役目」を担っていた。


 今までの「彼女」なら12月1日の「ゲーム開始」からここが「解放」される12月第二週以降、早いうちには来ていたはずだが、「今回」は2月になってもまだ姿を見せない。


(フラグ管理というやつを完璧にやっているのか?)


 雪仁はだから「今回」は暇で暇で仕方なくて、先日から他愛もないことを考え始めてしまったのである。

 自分はゲームの登場人物で、この世界はループしているのではないか、と。



***



 彼が、自分が『桜花の万華鏡(カレイドスコープ)』と呼ばれる乙女ゲームの登場人物であると自覚したのは、高校二年の冬から春までを何度か……はっきりした記憶はないが、多分十何度か繰り返した後だった。


 しかし現状にぼんやりと疑問を持ち始めたのは、今年――「今回」の高校入学時からだった。


 まず、何となく今後の出来事が予想できるようになっていた。

 成功失敗は変わっても毎回起こる同じトラブル。何の接点もないが噂によく上る魅力的な男子生徒たちのプロフィールの知識。

 二年の冬に転入してくる、不思議と見覚えがある初対面の少女、つまりゲームの主人公プレイヤー・キャラクターである「彼女」。


 それから、クラスメートに押し付けられた幾つかの恋愛シミュレーションゲームをプレイしたら、自分がプレイのアドバイスやアイテム販売をするいわゆる「サポートキャラ」が使う用語――アイコンとかリセットとか、イベントとか、画面右上とか――を何故か以前からよく知っていた。

 画面右上に表示される~とか何とか、「以前」に言った記憶もぼんやりとある。


 更に、二学期の始まりとともに、奨学金の条件だと学園長名義で送られてきたリュックサック。これは同封された手紙によれば可能な限り学園内に持参するよう書かれていて、「彼女」が望むなら桜の花の模型と物々交換するようにということだった。

 流石に毎日持参は面倒で、東屋の小さなガーデニング用品入れに突っ込んである。

 中身は見たこともない虹色の羽根やら桜色のしおりやら、和菓子やら。このアイテムそれぞれの効果も「以前」渡したことがあるのかよく知っていた。


 このひと気のない東屋も、そんな怪しい物々交換をするにも、他人に聞かれたくない噂話を盗み聞くにも、主人公に話すにも、丁度良くお膳立てされているようだった。


 何故なんだろうと疑問を抱き、あれこれ考えた挙句にここはループしている世界なのではと思い当たったのが先日のこと。

 その瞬間、何故だかゲームのオープニングのような映像が頭に流れ込んできて、「タイトル画面」が脳裏に展開されて、すべて理解してしまったのだ。


 そしてひとたび自覚してみれば、今までの十何回に及ぶループがはっきりと思い出せた。

 勿論妄想だと人は言うだろうから、親兄弟にも友人にも話したことはない。たとえ主人公の「彼女」に会っても話すどころか態度に出すつもりもない。 


 それからはなるべく平穏に「サポートキャラ」の役割を果たそうと意気込んだが、以降どころか「今回」のループでは「彼女」には一度たりとも会わず、噂話も「彼女」のためでなく、自分がゲームの進行状況を知るためだけに聞いているのだった。



***



 雪仁は息をついて、万華鏡を更に何度か回した。カシャリカシャリと軽い音を立てて展開する模様は一度たりとも同じ形にはならないが、大よその形や色味はいくつかに大別される。

 雪仁はもう知っている。

 この形と色味の組み合わせが、どれだけ「彼女」が「攻略対象」に近づけたかを表す好感度バロメーターなのである。

 それは「彼女」も知っているらしく、今までのループで一度は必ず雪仁に会いに来たのは、このアイテムを手に入れるためだったろう。


 そして「今回」の先月覗いたときには薄い桜色がぼんやり広がるだけだった模様は、今では見たこともないほど上品な、ほのかに金色を帯びた桜色が複雑なレースを織っていた。


(生徒会の会長も、副会長も、サッカー部のエースも、美術部の不登校気味の天才も覚えがある。何度も何度も見た。……これが最後の王子の模様か)


 それなら、今の「彼女」はどんな姿なのか少し気になった。

 彼女はすべてのループにおいて、「攻略対象」によって得意な科目も趣味も髪型も、好みの服も、口調すらある程度変えていた。

 別にゲームならおかしくはない。最適解というものがある。


 しかしその中でも必ず身に着けていたお気に入りのスカートや鞄に、その向こうの何かを見て、雪仁は「彼女」――いや「彼女」の中身を知った気になっていたのも事実だ。

 必ず起こすイベントや、だいたい失敗させるイベントも知っている。

 それは「攻略対象」の誰も知らないであろう自分だけの秘密で、勝手に「彼女」に対して仲間意識のようなものを抱くに至っていた。


(今回のループでは最高難易度キャラを最速攻略しているだろう。それでもまだ「彼女」はこだわりがあるのかな。……一度くらいは会いたかったな)


 まあいずれにせよ、ほどなくハッピーエンドを迎えるだろう。

 自分なんかこの世界に必要とされなくても。


 ――そう考えた時、急に胸の中に湧き上がるものがあった。

 

 ゲームの終了は春休みの終わりとともにやってくる。

 ゲームのタイトル画面で中央に描かれていた王子とのエンディングはきっと豪華で、余韻のあるものに違いない。

 その時この世界は閉ざされて、終わってしまうのか。それともずっと続くのだろうか、それが知りたい。

 彼女はいつまでループを繰り返すつもりなのか、それが知りたい。


 雪仁は万華鏡を眼から放すと、接合部に手をかけた。



***



「……何か、用事かな?」


 ある冷え込みがひどい冬の日、雪仁は初めて「彼女」に手紙を書いた。

 東屋に呼び出された「彼女」は心底意外そうに、人好きのする丸い目をこちらに向けていた。

 花のように可憐で華やかで、ただそれは雪仁には色もかたちもなかなか定まらない、変化する万華ばんかのようにも思えた。

 ああでも、お気に入りブランドのヘアピンは付けていたけれど。


「これを受け取ってください」


 ただ挨拶もなく一言、雪仁が差し出したのはあの万華鏡だった。


「あの、これはもう要らないんです……」


 「彼女」が丸い目をますます丸くするのを見て、彼は確信した。

 と同時に、驚かせているならいいなと、どこかやましい気持ちが雪仁にめばえる。 自分でも「予定外」を起こせているのかと思って。


「知っているんですね」

「……う、うん」

「もう必要ないでしょうが、どうか見てください。……『彼女』ではなく、そこにいるはずの“あなた”が」


 「彼女」は勢いに気圧されるように万華鏡を覗くと、あっと小さく声を上げた。


 中身は桜色ではなかった。

 ドライフラワーの水仙、桜の花、赤い落ち葉、冬の赤い実。すべて校庭で今まで彼が採集してきたものだ。


「あなたが見たことのないこの世界の四季を詰めました」


 雪仁は「彼女」からついと視線をあげて、薄曇りの空を見る。

 ひとつとして同じ形はない雪の白い花が空から舞いおりてくる。


「この世界が終わらないように、いままでの四季もこれからの四季も超えて、ずっと続くように……孤独にならないようにと思えば、願えば、いつかこの世界のかたちは変わりますか」


 桜色の万華鏡があらゆる色と形を映しても、自分の色はない。

 けれどこのうぬぼれた水仙の万華鏡は、閉じ込められていても自分の生きた証だけを映してくれる。


「次のループはありますか。今回のように、気付いて、変えていけるでしょうか。

 変えられるまで、会えるでしょうか。

 僕は“あなた”の記憶に残りますか」


 言葉がいつか届くよう願いながら口にする。


「画面、映っていますか。どうしたらシナリオが追加されますか、……きっとまたどうか――」


 この声がいつか「スタート画面」を見ている誰かに届くように。

 「スタート画面」で響くように。


「スタートボタンを押してください」

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