第24話 幸福はのんびりと、不幸は唐突に

 不幸というのは無遠慮に突然やって来るものである。 

 俺の短い人生経験で得た教訓だ。


 たとえば土曜日の朝。

 パンケーキの朝食後、散歩がてらに買い物に出掛けようとしたときなんかにやって来る。


「蒼斗」


 マンションを出た瞬間、いきなり呼び止められて振り返った。

 電信柱の影から現れた人物を見て、瞬間的に怒りと嫌悪感が湧いた。


「あんたら……」


 そこにいたのは俺を捨てて夜逃げした両親だった。

 帽子を深々と被り、マスクをして人目を憚る姿をしていたが一瞬で分かる。

 隣に立っているジャージ姿の美鞠は状況が分からず、ポカンとしていた。


「ごめんね、蒼斗。突然のことでお前を置いて出ていってしまって。ずっと心配してたのよ」


 母は猫なで声で近づいて来る。

 話の内容でこいつらが何者か勘づいた美鞠は、俺の隣で固まっていた。


「なにをしに来た? あんたらとは縁を切ったはずだが?」


「縁を切るなんて、そんな。親子なのよ」


「お前を連れて行かなかったことは謝る。悪かった」


 父は帽子を被ったまま深々と頭を下げてくる。


「謝らなくていいからさっさとどっかに行ってくれ。迷惑だ」


「せっかく会えたのにそんなこと言わないで。少しお話しましょう」


 母は強引に俺の腕を取り、歩き始める。

 美鞠は不安そうに俺の目を見ながら頷き、ついてきてくれた。

 仕方なく俺たちは近くの喫茶店に移動する。

 閑静な住宅街に相応しい、落ち着いた雰囲気の店だった。

 ここなら借金取りに見つかる心配はないと思ったのか、二人ともマスクを外していた。


「元気にしてた? 少し痩せたんじゃない?」


「は? 体重なら変わってない。適当なこと言うな」


 心配する振りをする母を冷たくあしらう。

 美鞠は気まずそうに座っていた。

 っていうか、こいつらは一度も美鞠の方を見ていない。

 無視しているかのようだ。

 俺の友達を無視するという態度もムカつく。


「蒼斗、危険な目に遭わなかった? ごめんね」


「あんたらが借金作って逃げるからだろ」


「俺たちはちゃんと返済した。それなのにあいつらが法外な利子をつけてきたんだ」


 父親は憤慨したようにそう言い、自らの正当性を訴えていた。


「そんなところから金を借りるのが悪いんだろ。自業自得だ」


 こいつらは甘い顔をすればすぐにつけあがる。

 もはや自分とは無関係の人間というスタンスを崩さずに向き合い続けた。


「いま法律事務所に相談してるの。ちゃんとまともな利子も含めてお金は返したんだから問題ないって弁護士さんも言ってくれてるわ」


「なんの心配もない」と言いたげに母は笑顔を見せる。

 しかしそんな安っぽい作り笑いを見せられても、俺にはどうでもいいことだった。


「そりゃ良かったな。もう心配ないなら好きに暮らせよ。とにかく二度と俺の人生に関わらないでくれ」


 伝票を手に取り、立ち上がる。

 まだコーヒーは届いていないが、そんなことより一刻も早くこいつらの前から立ち去りたかった。


「待って、蒼斗。あなた最近三津山さんのお嬢さんと仲いいらしいじゃない」


 母が慌てた様子で俺の手を握ってくる。


「……は?」


 冷めかけていた怒りが再び湧き上がる。

 しかも今度は先ほどとは比較にならないほどの激しい怒りだった。


「お前が三津山さんのお嬢様と一緒に下校しているところを見かけてな」


 父は愉快そうに笑ってニヤニヤと俺を見る。

 唐突に自分の話になり、美鞠は驚いた顔をした。

 両親は気付いていない。

 俺の隣にいる、このジャージを来てデカい眼鏡をかけた女の子が正にその三津山家のお嬢様だということに。


「お前もなかなかやるじゃないか。俺も若い頃は結構モテたもんだけどな」


「美鞠とはそういう関係じゃない」


「美鞠ちゃんっていうの? 素敵な名前」


 母は黄色い声を上げて、キャッキャとはしゃぐ。


「あんたとは関係ないだろ。二度と俺のことを検索するな」


 無視して立ち上がろうとすると、いきなり父がテーブルに両手をつけて頭を下げた。


「頼むっ、蒼斗っ! 三津山さんからお金を借りられないか?」


「はっ!? なに言ってんだ、あんた!」


 思わず声を荒げてしまう。


「こんなことを息子に頼むのは最低だと分かっている。しかしかなりやばい奴らなんだ……このままだと命の保証もない」


「そんなこと知るか。だいたいさっき弁護士に相談して解決したって言ってただろ」


「法的なことなんて関係ない奴らだ。なにをされるか分からない」


「あんたらがどうなろうが、俺には関係ないんだよ」


「あなたのためでもあるのよ、蒼斗」


 母が俺の手をぎゅっと握ってくる。

 気持ち悪くて急いでその手を払い除けた。


「どういう意味だ」


「あの人たちはあなたにも危害を加えてくるかもしれない。そうならないためにもお金が必要なの……」


「美鞠さんは彼女なんだろ? 事情を説明して、なんとかお金の都合をつけてもらえないか? 頼むっ……この通りだ」


 こいつらが突然俺の前に現れた理由がやっと分かった。

 俺が三津山家と繋がったと思い、甘い蜜を吸いに来ただけだ。

 本当にどこまで腐ってるんだ、こいつらは……

 虫酸が走るとは、こういうことを言うんだな。



 バンッッッッ──


 テーブルを叩く音がして、俺たちは反射的にそちらに視線を向ける。

 美鞠がテーブルを勢いよく叩き、俯向いていた。


「本当に最低ですね……」


 美鞠がゆらーっと顔を上げ、感情を失くした目で俺達を見る。


「な、なんだ、君は……家族の話に割り込むな」


 父が狼狽えながら美鞠を見る。


「……私がその三津山美鞠です」


 ヤバ……

 美鞠さん、もしやブチギレてる……?

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