第23話 蒼斗の家
とにかく美鞠に謝らなくちゃ。
美鞠の部屋のドアをノックする。
「ごめん、美鞠。ちょっと言い過ぎた」
「……今は話したくありません」
ドアの向こうから静かな声で拒絶される。
「美鞠がどんな生活をしていたとか、親がどれくらい厳しい人かとか、全く知らないのに勝手なこと言ってごめん」
扉の向こうからはなんの返事もない。
しかし俺は構わずに続ける。
「俺は親から愛情なんか一ミリもかけられずに育った。ノートがなくなってもなかなか買ってもらえず、授業参観も一度も来たことがなく、遊びに連れて行ってもらうこともなかった。休みの日は朝からパチンコに行ってたからな、あの人ら」
思い出すと腹立たしさを通り越して笑えてきた。
「一度だけ気まぐれで運動会を見に来たことが会ったけど、それだけだな。俺の服なんてまったく買ってくれないのに、自分らばっか高そうな服を買ってさ。マジ最低だろ」
今ならそれが育児放棄だと分かるが、その当時はそれが当たり前のことだと思っていた。
「そんな生活をしていたから、ぶっちゃけ美鞠に嫉妬したんだよ。まともな親がいて、衣食住に困らず、子供の将来を心配して叱ってくれる親がいるってことに。
最低だよな。美鞠には美鞠の、俺には分からない苦しみや辛さがあるのに。それを考えもせず、甘えてるとか思っちまった。ほんと、ごめんな」
ドアの向こうからは相変わらずなにも聞こえて来ないが、言いたいことを全て言えてスッキリした。
俺は自室に戻り、荷物の整理を始めた。
美鞠を傷つけてしまったからには、出ていくしかない。
少ない荷物を鞄にまとめた頃、遠慮がちにドアがノックされる。
「はい」
ドアを開けると涙目でうつ向く美鞠が立っていた。
「ごめんなさい……蒼斗くんの言うとおり、私は甘えていました」
「そんなことないって。どれだけ大変だったかなんて人それぞれだし。俺は自分の不幸な身の上から美鞠に嫉妬していただけなんだ」
「いいえ……蒼斗くんに言われ、自分の甘さに痛感しました。この家だって親からもらったものです。それなのに一丁前に自立してるかのような気分でした」
美鞠は潤んだ瞳で俺を見詰める。
「そうかもしれないけど、そのおかげで俺は行き場を失って路頭に迷わなかった。ちょっと美鞠の家出に感謝してるかも」
冗談めかして笑うと、ようやく美鞠の表情も少し明るくなった。
「そう言ってもらえると、私の軽はずみな家出も少しは救われますね」
「家出少女に拾われた男子なんて、前代未聞だけどな」
「あはは。確かに聞いたことない設定ですね」
おかしそうに笑う美鞠だったが、俺の部屋に視線を移し、ピタッと笑顔が固まった。
「なんで荷物まとめてるんですか?」
「あ、いや、これは、その……美鞠を傷付けちゃったし、この家を出ていかなきゃと思って」
「はぁあ!? そんなこと許しません!」
美鞠はびっくりした顔で怒り出す。
聞いたことないくらい大きな声だった。
「でも居候の身で偉そうに説教して美鞠を傷付けるとか、あり得ないし」
「一緒に暮らしていたら喧嘩くらいします。それくらいで出ていくとか、そんなの無責任すぎますよ」
「それはそうかもしれないけど。でもここは美鞠の家だ」
「ここはもう私だけの家ではありません。蒼斗くんの家でもあるんです」
美鞠は腕を組んで、フンッと鼻息を荒くする。
「いやいやいや……俺の家っていうのは流石に図々し過ぎるだろ」
「いいえ。ここは蒼斗くんの家でもあります。所有権が誰とか、そんなこと関係ありません。蒼斗くんはここに住んでるんですから。子どもだって自分の家だって思うでしょ? 親の家だなんて夢にも思ってません」
「それとこれとは違うような……」
「それにちょっと喧嘩しただけで家出するなんて私と一緒ですよ。甘えん坊のわがままです!」
美鞠は笑いを堪えた顔で俺を睨む。
俺が耐えきれずに笑うと、美鞠もつられて笑った。
「確かにそうだな。ごめん。逃げようとしてた」
「わかればよろしい。さあ、蒼斗くん、お茶にしましょう」
「はいはい、お嬢様。いまご用意しますよ」
他人と暮らすというのは、当然ながら大変だ。
気を遣うし、我慢しなきゃいけないこともあるし、ときには喧嘩もする。
でも確実に一人でいるより楽しい。
美鞠に感謝しながら、俺は紅茶葉にお湯を注いで蒸らしていた。
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