第22話 初喧嘩

 俺と美鞠は同居しているとはいえ、プライベートには干渉しあわない。

 夕食は一緒に食べるが、食後はまちまちだ。

 リビングで一緒にゲームをしたり話をすることもあるが、すぐにそれぞれの部屋に戻ることもある。


 食事中の会話も学校の出来事や、美鞠の趣味の漫画やアニメの話がメインだ。

 お互いの詳細な生い立ちや、ものの考え方を真剣に話したりはしない。

 そんな風にお互い程よい距離感を保って生活をしていた。

 

 五月半ばから一緒に暮らし始め、一ヶ月半。

 はじめは違和感もあったが、今ではずいぶんと慣れた。

 俺たちの共同生活はそんな感じで喧嘩もなく順調だった。


 ある夜、夕食の片付けをしていると美鞠がノートや教科書を持ってリビングにやって来た。


「蒼斗くん。今夜は一緒に勉強をしましょう」


「テスト勉強? 一人でやったほうが集中できるんじゃないのか?」


「私の目があった方が蒼斗くんがサボらずに勉強するんじゃないですか」


「人聞きの悪いことを言うな。一人でもちゃんとやるって」


「期末テストだけじゃないです。大学受験に向けた勉強をするんですよ」


「だから大学には行かないんだって」


 行かないというよりは行けない。

 小学校の先生になりたいという気持ちはあるが、この状況では無理だ。


「いいえ。蒼斗くんは大学に行きます。そして学校の先生になるんです」


「悪いがそこまで世話にはなれない。高校卒業したらすぐに働くつもりだ」


 洗った皿を片付けようと振り返ると、いつの間にか美鞠が俺の眼の前に立っていた。

 美鞠は俺の頬をピシャっと両手で挟んで、真っ直ぐに瞳を覗き込んできた。


「な、なにしてんだよ」


「お金は私がなんとかします。蒼斗くんは大学に進学してください」


「だからそれは──」


 無理だと言おうとすると、美鞠は更にギューッと俺の頬を挟んできた。


「せっかく素敵な夢があるんです。諦めないでください」


 ちょ、顔近いっ!

 近づいてくんなっ!


「わ、わかったから離せって」


「なにがわかったんですか?」


「勉強する。大学受験に向けて勉強するから」


「絶対ですよ。約束ですからね」


「約束するって」


 半泣き状態で約束すると、ようやく美鞠は手を離してくれた。


「じゃあ夢に向かって頑張りましょう!」


 美鞠は握った拳をグッと上げて気合いを入れていた。


 約束したからには破らない。

『大学受験に向けた勉強』はする。

 しかし大学に行くとは約束していない。

 お金に都合がつくという奇跡が起きない限り、大学に行くつもりはなかった。


 美鞠の気持ちはありがたい。

 しかしその反面、少しモヤッとした。

 お金の苦労をしていない美鞠にはこの俺のモヤモヤは分からないだろう。


 人は誰でもなりたいものになれるわけではない。

 生きたいように生きられるわけではない。

 産まれ落ちた瞬間から閉ざされている可能性というものもあるのだ。

 それなのに大人たちは無限の可能性があるかのように子供たちに夢を見させる。

 それでも子どもたちはいつか気付いてしまう。自分はみにくいだけのアヒルの子で、白鳥のヒナなんかではないという事実を。


 片付けのあと、リビングのテーブルでノートを広げると、美鞠が隣に座ってきた。


「なんで隣に来るんだ? ふつう向かい同士に座るだろ」


「向かいだとノートも教科書も逆さまでしょ。横並びのほうが教えやすいです」


「あー、なるほど。って、なんで教える気満々なんだよ」


「私もわからないところを教えてもらいたいんです」


 などと言っていたが、優秀な美鞠に教えることなどあるはずもなく、すべて俺が教わる結果となった。

 確かに勉強は捗る。

 しかしピタッと隣に座られると、ぶっちゃけ気まずかった。


「ありがとな、美鞠。おかげで捗ったよ」


「どういたしまして」


「しかし美鞠は頭いいよな。これだけ勉強出来るなら、相当いい大学に行けるんじゃないのか?」


「全然大したことないです。お姉ちゃんなんて私よりもっと頭いいですから」


「へー……それはすごいな」


 先日会った美琴さんのことを思い出す。

 美鞠よりぽーっとして天然っぽかったけど、頭はいいようだ。


「お父さんはすぐにお姉ちゃんと比較して、私にもっと勉強しろってうるさかったんです。漫画なんて読んでるから馬鹿なんだとも言われました」


 そのときのことを思い出したのか、美鞠は不機嫌な顔になる。

 その姿を見て、胸のモヤモヤが再び沸き起こった。


「それは確かに言い過ぎだと思うけど、家出するほどのことか?」


「え? そりゃしますよ。漫画を否定されるなんて、私の人格まで否定されたようなものですから」


「誰だって親にそれくらいのことは言われてるぞ。勉強しろだの、動画ばっか観てるなとか、ゲームやめろとか」


「それはそうかもしれませんが……」


「美鞠のお父さんはしっかり働いて、不自由なく育ててくれたんだろ? それなのにお姉さんと比べられたり、叱られたくらいで家出とか、甘えてるんじゃないか?」


 なに不自由ない暮らしを当たり前のように送っている美鞠に嫉妬して、つい強く当ってしまった。


「ひどい。甘えとかじゃありません。漫画は私の全てなんです。蒼斗くんだって漫画の夢を応援してくれたじゃないですか!」


「友だちは応援するだろ。でも親の立場なら別だ。未来を心配して口出しくらいする。美鞠はお父さんとちゃんと話し合ったのか? もっと本格的に漫画を学びたいとか、理解して欲しいとか」


「いいえ。してません。そんなこと言ったってお父さんは聞きもしません。頭ごなしに否定するだけです」


「理解してもらえるように話をするのが説得だろ。美鞠はただ逃げてるだけだ」


「逃げるだなんて、ひどいっ! なんにも知らないくせに」


「あ、おい、美鞠っ……」


 美鞠は目に涙を溜め、自室へと駆けていってしまった。


 最低だ……

 恵まれない自分の環境に僻み、美鞠を傷付けてしまった……

 俺ってこんなに歪んだ、最低の奴だったのか……


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