第10話 美鞠さん、暴走する
週明けの月曜日。
英語の論理表現の授業で美鞠は発表を行っていた。
テーマは貧困と飢餓。
難しいテーマを英語でスラスラと語るのを見て、クラスメイトたちは圧巻させられていた。
発音もネイティブのように滑らかで、原稿を読んでいる感はゼロである。
古文の時は平安時代からタイムスリップした大和撫子に見えたけど、今は帰国子女のように見えるから不思議だ。
家ではポンコツにしか見えないくせに。
美鞠の発表が終わると、クラス中から拍手が沸き起こった。
ちゃんと全てを聞き取れた人なんて一握りもいないだろうけど。
もちろん俺もその一人である。
授業が終わると親友の野乃花を始め、たくさんのクラスメイトが美鞠を囲む。
「美鞠の英語はいつ聞いてもすごいね」
「子供の頃、少しだけイギリスに住んでいただけです。住めば誰でも喋れるようになりますから」
美鞠は手をパタパタ振りながら恐縮している。
「とか言って。本当は家で猛勉強してるんじゃないの? 家庭教師とか雇って」
「そんなことしてません。家ではボーッとしてほとんど勉強してませんから」
「美鞠がボーッとしてる? 絶対ウソ!」
それが本当なんだ。
いや、むしろ少しマシに言ってるまである。
家での彼女は遊んでばかりで、家事すらしないポンコツだ。
なんて、そんなこと口が裂けても言えない。
俺と美鞠は無関係。
学校ではそのスタンスを貫いていた。
そんな(学校では)完璧美少女の美鞠にも欠点はある。
運動全般が苦手ということだ。
体育の授業は来月六月開催の体育祭の練習をしている。
美鞠は胸を反らし、ドタドタと不格好に走っていた。
「三津山って運動苦手だよな」
「でもそこが可愛い」
「おっぱいがたゆんたゆんしてるな」
男子たちがニヤけながら美鞠を見ている。
駄目なところまで魅力になるとは、さすが美鞠だ。
とはいえあの走り方はさすがになんとかしなければならないだろうな……
体育の授業の最後になんの種目で参加するかを決めるミーティングが行われる。
足の速い駿は当然花形競技である800メートルリレーに選ばれていた。
次々と参加種目が決まっていく中、『ボール運び二人三脚』だけはなかなか決まらない。
足首を結ぶのではなく、ボールを二人の顔で挟んで走る二人三脚という、完全なネタ競技である。
「私、ボール運び二人三脚に参加します」
突如美鞠が手を上げて立候補した。
「ええー!? 美鞠がボール運び!?」
「俺やる!俺もボール運び!」
「お前は障害物競走だろ! 俺がやる!」
「俺もボール運びしたいと思ってたんだ!」
突然の美鞠参戦で一気にみんなが騒ぎ出した。
そりゃ学校一のアイドルと二人三脚出来るチャンスとあれば色めき立つのもわかるが、露骨すぎるだろ、お前ら。
美鞠は困惑した顔であたりを見て、それから視線をスッと俺の方に向けてきた。
嫌な予感がする……
「私は蒼……積田くんと参加したいです」
美鞠が俺を指差し、時が止まったかのような静寂が訪れる。
「……は?」
なに言ってんの、コイツ……
「マジで!?」
「ええー!? なんで積田なんだよ!」
「ズルいぞ、蒼斗!」
爆発的な騒ぎが起きる。
驚きと嫉妬の眼差しが俺に集中していた。
「俺はしないからな!」
そんな俺の訴えも騒ぎで掻き消されてしまっていた。
「おい、美鞠っ!」
家に帰って声を荒らげると、美鞠が自室から出てくる。
「蒼斗くん、お帰りなさい。どうしたんですか?」
今日も安定のダサジャージに眼鏡姿で、キョトンとしていた。
「どうしたんですかじゃないだろ! なんでボール運び二人三脚に俺を巻き込むんだよ!」
「あの競技なら走る距離も短いんで楽そうかなと思いまして」
「やるのは勝手だけど俺を巻き込むなって」
「だって他の男子はほとんどまともに話したことないんで」
美鞠は当たり前のことのように、そう告げる。
「俺と美鞠の関係を勘繰られたらどうするんだよ」
「大丈夫ですって。『三津山が二人三脚のパートナーに積田くんを選んだ。もしや二人は同棲している?』なんて思う人はいませんから」
「そりゃそうだけど……」
確かに美鞠の言うとおりだが、なんだか釈然としない。
っていうか同棲ではなく共同生活だ。
同棲だとニュアンスが随分と変わってくる。
「それより蒼斗くん、一緒にゲームしましょう」
「なんでそうなるんだよ。ゲームより二人三脚の練習だろ」
「えー? 今日は疲れました。明日からしましょう。明日なら頑張れると思うんです」
ダメな奴の典型的な逃げ方だ。
「ただでさえ俺と美鞠では身長差があるんだ。よく練習しておかないと本番で恥をかくことになるぞ」
「えー? 面倒くさいですよ」
「美鞠が二人三脚なんかにエントリーするから悪いんだろ」
「仕方ないですね。分かりました」
美鞠は渋々了承する。
「よし、じゃあ行くぞ」
「ちょっと待ってください。着替えていますから」
「着替えるって、ジャージ着てるだろ?」
「これは部屋着なんです」
そう言って美鞠は自室に着替えに行ってしまう。
ちなみに俺はまだ一度も美鞠の部屋に入ったことがない。
「お待たせしました」
「早っ!?」
相変わらず早着替えだけは取り柄のようだ。
「って、ジャージじゃん!?」
「これは運動用のジャージです」
なにが違うのか分からないが、美鞠の中では明確な違いがあるようだ。
誰かに見られるとややこしいので、お互い帽子を被って大きな公園に向かう。
ボールは家にあったゴム毬を持ってきた。
本物と大きさは違うだろうが、感覚は掴めるだろう。
と、気合を入れてやってきたものの、やはり互いの顔でボールを挟むというのは気恥ずかしい。
「ま、まずは息を合わせて走る練習だな」
「それよりボールを挟む練習のほうが大切じゃないですか? 全速力で走るわけじゃないんですから」
「ま、まぁ、そうか……」
「はい、いきますよ」
美鞠が右頬にボールを当てて構える。
「こ、こうか……」
「もっとギュッと強く挟まないと落ちますよ」
「……そうだよな」
「ほら肩も組んで下さい」
美鞠はなんの躊躇もなく俺の肩に腕を回す。
俺も恐る恐る美鞠の肩に腕を回した。
うわっ……
肩、細っ!
そんで柔らかい!
しかもなんかいい匂いするし……
「どうしました?」
「なんでもない。行くぞ。いち、に、いち、に!」
気まずさを隠すように走り出すと、スポンっとボールが抜ける。
「ひゃうっ!?」
「うわっ!?」
ゴツンっと互いの頭がぶつかる。
もちろん頬と頬もぶつかった。
「ご、ごめん」
「い、いいいえ……私の方こそ……」
「走ることより、まずはボールをしっかり固定することを考えたほうがいいかもな」
「そうですね。落とさずに動けたら速くなくても勝てますもんね」
姿勢やボールの挟み方、身体の寄せ合い方をあれこれ試してみる。
「これはどうでしょう?」
「え? い、いや、これは……」
「この方法ならそう簡単には落ちません。最強のフォームです!」
互いに正面で向かい合い、美鞠が俺に抱きついている姿勢である。
俺達の間にボールがなければ、美鞠の顔は俺の鎖骨あたりに埋まっている格好である。
当然まっすぐは走れないので、横歩きのように走らなければならない。
足を縛らない二人三脚だからこそ出来る技である。
ちなみにあと二つのボールも俺の胸でムニューっと柔らかく潰れていて、かなり気まずい。
確かにこの体勢ならボールは落ちないかもしれないけど……
「……こんな格好出来るわけないだろ?」
「大丈夫です。練習をすればこの姿勢でも走れるはずです!」
「いや、そうじゃなくて……全校生徒の前でこんな正面から抱き締めあった格好したら、とんでもない騒ぎになるだろ。」
「あっ……それを失念してました」
「いや、失念するなよ……」
やっぱり美鞠は頭はいいけどバカなようだ。
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