第8話 お母さん、襲来

 休日の朝だが、俺はいつも通り六時には起床した。

 長年染み付いた習慣だから自然と目が覚めてしまう。


 朝食を作っているとリビングに美鞠がやってくる気配を感じた。


「おはよう、未鞠。休みなのに早いんだな。ちょっと待ってて。いま朝ご飯を作っ──」


 振り返ると見覚えのないおばさんが立っていた。


「へ……?」


「えっ……?」


 驚きのあまり、お互いに大声を出していると、パジャマ姿の未鞠が部屋から飛び出してきた。


「お母さんっ!?」


 えっ……この人、美鞠のお母さんなの!?

 やば……

 一人暮らしの娘の部屋に男が上がり込んでるとか、確実に通報案件だろ……

 ははは……終わった……

 俺、再び人生終了のお知らせだ……





「なるほど……そういう事情だったのね」 


 説明を聞いた美鞠のお母さんは、呆れたように笑って美鞠を見ていた。


「勝手に上がり込んで泊めてもらうなんて非常識なことをしてしまい、本ッッ当にすいませんっっっっ!」


 俺は額を床に擦り付けて土下座する。


「いいのよ、蒼斗くん。困っていたんでしょ。それに勝手に上がったんじゃなくて、美鞠が勧めたんだし」


「それでも同級生の女の子の家に居候するなんて非常識過ぎました。すいません。美鞠さんの厚意に甘えた自分の責任です」


 どうやら警察に通報は免れたようだが、とにかく必死で謝る。


「ごめんなさい。でも蒼斗くんが困っていたし……それにお料理とかお掃除とかすごく上手なんだよ!」


 美鞠も必死に俺のことを庇ってくれていた。


「情けない。それは美鞠がすることでしょ。彼氏にそんなことさせて」


「は!? いやいや、彼氏じゃありません!」


「お、お母さんっ! 蒼斗くんと私はお付き合いしてませんから!」


「あら、そうなの? なぁんだ。残念」


 いったい何を聞いていたんだ!?

 娘さん同様、お母様も天然なのか……?


「すぐ出ていきますんで。本当にすいませんでした」 


「どうして? ここで暮らしていていいのよ、蒼斗くん」


「へ? い、いや、でも」 


「いいの、お母さん!?」


 さすがの展開に美鞠も驚いていた。


「困っている人がいるなら助ける。それが三津山家の家訓ですから」


 以前美鞠が言っていたことをお母さんが口にした。


「ありがとう、お母さん!」


「それに美鞠が一人暮しするなんて無理があるのよ。いつ来ても家の中がめちゃくちゃだったのに、今日はきれいに片付いているからおかしいと思ったのよ。。蒼斗くんがしてくれていたのね」


「い、いえ……家事をするのが俺の役割なので」


「健康的な食事も作ってくれているそうですし、助かるわぁ。ありがとう」


「あと一人暮らしだと防犯とか不安だったけど、蒼斗くんがいると心強いの」


「そうね。蒼斗くん、背が高くて強そうだし。あとイケメンだし」


 母娘は笑いながら語り合っている。


 年頃の娘がクラスメイトと同居するということに抵抗はないのだろうか?


 もしかしてそんなことを意識する俺の方がおかしいのか?

 今ってそういう時代?

 いやいや、そんなことはないはずだ。


「あの、すいません」


「なにかしら?」


「娘さんがクラスメイトの男子と二人きりで暮らすことに、その、抵抗ないんでしょうか?」


「大丈夫よ。蒼斗くん優しくて真面目そうだし」


「いや、まあ……そうですけど、心配とかしないんですか?」


「この子はアニメとか二次元ばかりで、生身の男の子には恋をしないの。むしろそっちの方が心配なくらい」


「ちょっとお母さん! それは内緒にしてたのに!」


 否定はしないんだな、美鞠……

 数々の男子がコクって撃沈してきたのはそういう理由だったのか。

 いま初めて知った。

 てっきり家が厳しいとか、理想が高すぎるとか、そういう理由かと思っていた。


「でも俺が襲いかかったら?」


 そう言うと、母娘は目を見合わせておかしそうに笑い出す。


「なんで笑うんですか?」


「ごめんなさい。実は美鞠は三歳の頃から合気道を習っているの。ピアノも生け花も茶道も真面目にやらなかったけど、合気道だけは真剣に取り組んでいてね。

 かなりの腕前だから、襲いかかったら逆に蒼斗くんが押さえ込まれるわ。しかも反射的に相手をねじ伏せちゃうから、怪我したくなかったら襲いかからない方が身のためよ」


「そ、そうなんですか……ははは……」


「もしかして襲いかかろうと思ってました?」


「思うか、そんなこと!」


 美鞠やお母さんが貞操の心配をしてない理由が分かった。


 取り敢えずこれからも居候させてもらえるということが決まり、お母さんも一緒に朝食ということになった。


 味噌汁と玉子焼き、焼き鮭というありきたりなメニューである。


 味噌汁をひと口飲むと、お母さんは驚いたように目を見開いた。


「美味しい」


「でしょー!」


「しっかりと昆布とかつお節で出汁をとってるのね」


「まあ、一応」


 美鞠とお母さんが目を輝かせて俺を見詰めてくる。

 こうして見るとやはり親子だけあって似てるな。


「焼き鮭も表面をパリッと焼き上げてるのに、身の水分がしっかり残っていてふっくらしてるわ」


「ね、すごいでしょ、蒼斗くん」


 その後も二人はやたら絶賛しながら朝食を食べていた。


 食事が終わると、お母さんはカバンを持って立ち上がる。


「それじゃお母さんは帰るね」


「え? もう帰るの? なにか用事があったんじゃないの?」


「お母さんは部屋の掃除やら洗濯をしに来ただけ。でも蒼斗くんがしてくれていたからその必要もないみたいだし」


 お母さんは俺を見て、にっこり笑う。


「だらしない子で申し訳ないけど、美鞠をよろしくね」


「はい、こちらこそ」


「だらしなくないもん!」


 美鞠はムスッとして反論する。

 ていうか、美鞠ってお母さんと喋る時はずいぶんと甘えた感じになるんだな。

 学校での優等生、家でのポンコツに続く、第三の形態だ。



 お母さんが帰ったあと、洗い物をしていると美鞠が手伝いに来てくれた。


「お母さん、蒼斗くんのこと、ずいぶん気に入ってたみたいです」


「そうなのか?」


「うん。だからこれからも気兼ねなくここで暮らしてくださいね」


「ありがと」


 家事をしない親のことを恨めしく思っていたけど、そのおかげで美鞠のお母さんからは気に入られたみたいだ。

 まったく人生というのは、何があるか分からないものである。

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