第6話 それぞれの事情
美鞠の家に居候して四日。
学校では一切絡まず、この家では普通に会話する。
共同生活なんて絶対に無理だと思っていたのに、意外と自然に過ごせていた。
とはいえ気まずいこともある。
お風呂のタイミングや順番、トイレの音の問題、そして洗濯である。
「はぁ……」
ソファーの上にごちゃっと置かれた衣服を見てため息が漏れる。
美鞠は洗い上がったものを畳んでしまうという習慣はないらしい。
ドラム式乾燥機付き洗濯機なので、洗濯自体は簡単である。
洗い上がったもののうち美鞠のものだけ纏めて渡しているが、彼女はそれをそのままソファーの上に置いて終わりだ。
「仕方ない」
こんもり溜まった洗濯物を畳んでいく。
これは布。
そう、布だ。
このシャツも、スカートも、ソックスも、三角形でひらひらがついたやつも、大きなカップが二つ付いたホック付きのやつも、みんな布である。
ただの布、ただ布……ミンナタダノ布ダ……
「お先に失礼しました。蒼斗くんもお風呂に──ちょっと、なにしてるんですかー!」
風呂上がり濡れ髪の美鞠がすっ飛んでくる。
「コレハタダノ布ダ。美鞠が洗濯物を畳んでしまわないから代わりにやってるだけだ。俺はハウスキーパーだからな。与えられた仕事は確実にこなす」
「わかりました、片付けますから!」
美鞠はワシっと洗濯物を抱えて部屋へと帰っていく。
風呂上がりの美鞠の爽やかで甘い香りだけが部屋に残っていた。
お湯が冷めるともったいないので風呂に入る。少しのんびり湯に浸かってからリビングに戻ってくると、美鞠がソファーに座ってタブレットで絵を描いていた。
頭にはターバンのようにタオルが巻かれている。
ここ数日で見慣れた光景だ。
なにを描いているのかは知らないが、かなり集中している。
俺と美鞠は共に暮らしているが、家族ではないし、恋人でもない。
俺は彼女の生活に干渉しないことを心掛けていた。
そっとキッチンに行き、コップに水を汲んで自室に戻ろうとした。
絵を描いているときの美鞠は集中しているので、大きな音を立てなければ気付かれない。
しかしそのとき、テーブルに足をぶつけてしまう。
「痛ぁあっ!」
激痛が走り、思わず大声を上げて転げ回る。
「だ、大丈夫ですが、蒼斗くん!?」
美鞠は驚いてすっ飛んでくる、
「全然大丈夫。ごめん、邪魔しちゃって」
痛くないふりをして笑顔で立ち上がる。
「いえ。そろそろ休憩しようと思っていたので。コーヒーを淹れるんでご一緒にいかがですか?」
「いや、俺はいいや。おやすみ」
「なんか蒼斗くん、私のこと避けてます?」
「そんなことないけど……」
「じゃあそこに座って下さい。いまコーヒー淹れますんで」
強制的に座らされ、マグカップに注がれたコーヒーを置かれる。
「なんか蒼斗くんって、よそよそしいですよね」
「そんなことないと思うけど」
「だってなんにも訊いてこないじゃないですか。なんで一人暮らししてるのかとか、親はどうしたんだとか」
なんか美鞠、怒ってる……?
いや怒っているというより、拗ねている感じか。
「色々事情があるんだろ? プライベートなことを訊くのは失礼かなと思って。それに美鞠も俺の家庭環境について全く訊いてこなかったし」
「あー、お互い気を遣ってたんですね。でもひとつ屋根の下で暮らしてるんですから、それじゃなんか寂しくないですか?」
美鞠はコーヒーの湯気で曇った眼鏡を外して俺を見る。
眼鏡を外されると学校の美鞠感が強くなり、ドキッとしてしまう。
「まあ、そうかな……じゃあ訊くけど、なんで美鞠は一人暮らしなんだ?」
「私は父と喧嘩して、家出中なんです」
「家出中!? ここが美鞠の実家じゃないのか?」
てっきり親は海外にでも行っていて、今は留守とかなのかと思っていた。
「はい。ここは高校入学時に母からプレゼントされたマンションです。学校から近いんで、遅くなったときに泊まれるからって理由で」
「マジかよ……」
そんな理由でこんな立派なマンションをプレゼントするって、どれだけ裕福なんだよ。
まあそれは一旦置いておいて──
「なんで喧嘩したんだ?」
「父は私の趣味や生き方、考え方を全て否定してくるんです。たとえば漫画とかアニメとかゲームとか動画とか。自分の価値観に合うものだけを押し付けてきました。生け花とか、茶道とか、日本舞踊とか」
「あー……なるほど。それが嫌で家出したのか?」
「そうです。高校だって幼稚園からエスカレート式の女子校に行かせようとしてたんで、反発しました。母も味方してくれて、なんとか今の高校に入学できたんです」
美鞠は少し不安そうな顔をして俺を見てきた。
「そんなつまらない事情で家出したんだって思われましたか?」
「いや。別にそんなことは思ってない」
事情や状況は正反対ではあるが、俺だって親に振り回されて暮らしてきた。
美鞠の気持ちが分からなくもない。
「家出するって行動に移せるのが凄いって思うよ」
「まあ家出と言っても、母からもらった家に住んでるんですから、全然ダメダメなんですけど」
まさか褒められると思っていなかったのか、美鞠は照れくさそうに顔を赤らめてうつむく。
「そこはまあ、美鞠らしいって感じはするけど。でもそんな厳しいお父さんに逆らったってのは凄いと思うよ」
「そうでしょうか?」
「悪いけど美鞠って、もっと流されて生きていると思ってた。自らそんなに行動に移せるなんてえらいと思うよ」
「あ、ありがとうございます……」
いずれは親と和解しなければならないとは思うけど、ひとまずはその度胸を讃えておこう。
「なんか話せてスッキリしました! 正直こんな理由を話したら嫌われるかもって思ってましたし」
「そんなわけないだろ」
金持ちとか貧乏とか関係なく、親子関係というものは難しいものだ。
美鞠もそんな苦労を背負ってると知り、むしろ少し親近感が湧いていた。
それにしても俺は家出少女に拾われていたのか。
そんな奴、人類史上初なのではないだろうか?
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