第5話 野乃花との遭遇

 夕飯を作るといっても冷蔵庫にはろくな食材がなかった。


「ちょっと買い出しに行ってくる」


「あ、それなら私も行きます」


「誰かに見られたらヤバいだろ。もし俺が三津山の家に泊まってるなんてバレたら、停学処分だぞ、きっと」


「えっ!? そうなんですか? 校則には書かれてないと思うんですが……」


「そりゃ『一人暮らしの女子生徒の家に男子が居候してはいけない』なんて、そんな特殊な事例書いていたら校則手帳が辞書のように分厚くなるからな」


 三津山は本当に天然が過ぎる子だ。


「大丈夫ですよ。スーパーでは誰とも会ったことありません。それにたまに同級生と道ですれ違うこともありますが、この格好だと気付かれません」


 そう言って三津山は帽子を被る。

 確かにジャージ姿で眼鏡をかけた三津山は学校で見る姿とは別人だ。

 しかもなぜかジャージ姿のときの三津山は少し猫背だし。


「まぁそれならいいか。一緒に来てもらったほうがなにが好きなのか分かるし。あ、一応マスクもつけとけよ」


「それじゃ出発です!」


 三津山はマスクをし、何やらアニメのディフォルトされたキャラが描かれたリュックを背負って玄関へ向かう。

 ……本当にこいつ、あの学校ナンバーワンの美少女の三津山だよな?


「ん? なんですか?」


「いや、なんでもない。さあ行くぞ」 


 完璧美少女が隣りにいたら落ち着かないが、この三津山なら男友達といるかのように平常心を保てるから俺としても助かる。



 スーパーまでの道中は順調だった。

 学校や通学路では常に人目を引く三津山だが、いまは誰も振り返らない。

 まさかこのメガネや帽子、マスクの下に見目麗しい美少女が隠れているとは思っていないのだろう。

 そう考えるとおかしくて、ついニヤけてしまう。


「何笑ってるんですか?」


「いや、なんでもない」


 笑いを噛み殺して答えると、三津山は不思議そうに首を傾げていた。


「着きました。ここがいつものスーパーです」


「ここって輸入品とかも置いている高級スーパーだろ」


「そうなんですか? よく分からないですけど、我が家はいつもここで買い物してました」


 やはり俺と三津山では育ってきた環境がまるで違うんだな。

 こんなスーパー、冷やかしでしか入ったことないぞ。


「うわ、なにこれっ。高っ。わ、こっちも」


 肉も魚も野菜も驚くほど高級だ。

 下手したら一回の買い物で我が家の食費一ヶ月分かかるぞ、これ。


「そんなに高いんですか? でもほら、このお肉は598円ですよ」


「よく見ろ。それは100グラムの値段だ」


「あ、ほんとだ」


 普段絶対に値段を見ずに買ってるな、こいつ。


「今日はここで買うけど、次からはもっと安いスーパーで買い出しするからな」


「えー。ここのパンとかお菓子、美味しいのに」


「家事は俺に任せるんだろ? それなら買い出しも任せてもらう」


「はぁい」


 ふてくされた子どものような返事だが、一応従ってくれたようだ。


「そんなにここのお菓子が好きなら今日のうちに買ってきたら?」


「そうですね。選んできます!」


 三津山は親の買い物についてきた小学生のように、いそいそとお菓子売り場へと向かう。

 そのとき──


「いらっしゃいませー」


 三津山の親友である野乃花が入店してきてしまった。


 ヤバい……

 三津山と二人で買い物に来ているところを見られたら、変に勘ぐられてしまう。


 三津山も野乃花に気付いたらしく、慌てて顔を伏せた。

 しかし野乃花の方は三津山に気づいた様子もなく、そのすぐ隣を通り過ぎる。


 ホッとしたのも束の間、野乃花は俺を見つけて手を振って来た。


「あー、蒼斗。やっほー。学校の外で会うなんて珍しいね」


「よ、よう……買い物か?」


「ここで売ってるオーストリアから輸入してるお菓子、美味しいんだよねー、高いけど。美鞠に教えてもらったんだ」


「へ、へぇ、三津山から……そっか」


「じゃーね」


 野乃花は俺に手を振り、お菓子売り場へ向かう。

 緊張でガチガチに硬直した三津山の隣を通り、お菓子を手にしてレジへと向かっていった。


 あんな至近距離なのにバレないのか……

 まあ見た目、別人だもんな。


 野乃花が店を出ていってから三津山が俺のもとに駆け寄ってきた。


「し、心臓止まるかと思いました!」


「俺もだ」


 また誰かとばったり会う前に、急いで買い物を済ませてマンションへと戻る。



 今夜の夕飯は筑前煮とごぼうサラダ、わかめと豆腐の味噌汁にした。

 普段あまり野菜を食べてなさそうだったのでヘルシーなメニューだ。


「和食はあまり好きではなかったんですが、積田くんが作ると美味しいですね!」


「それはよかった」


 はじめは地味なメニューだと不服そうだった三津山だが、気に入ってくれたようだ。


「それにしても野乃花と遭遇した時は焦ったよなー」


 笑いながら言うと、三津山は急に緊張した顔になり、箸を置いて俺を見た。


「野乃花ちゃんは積田くんのことを『蒼斗』って呼ぶんですね。積田くんも『野乃花』って下の名前で呼んでますし」


「ん? まあそうだな」


「私達も下の名前で呼び合いませんか? 共同生活してるわけですし」


「いきなり呼び方変わったらみんなに変に思われるだろ」


「じゃあこの家の中だけでも」


「まあそれならいいけど」


 クセで学校でも呼ばないように気をつけないとな。


「それじゃ、これからもよろしくお願いします。蒼斗くん」


「よろしくな、美鞠」


「はいっ!」


 三津山改め美鞠は照れくさそうに笑う。

 なんだかこちらも照れくささが伝播してむず痒くなってしまった。



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