第12話 冷えたお茶会
二人きりでお茶会をしましょう、とマルコを誘ってみた。
にこにこと笑みを浮かべてレンは彼からの返答を待つ。もちろん断らせる気など毛頭なかった。
押せばいけるはずだ、と確信もしている。
日々の小さなやりとりを重ねてきて、現在のレンの中での見立てはそのようになっていた。対外的に弱腰なわけではないだろうが、要求を通そうと食い下がってくる年下の少女を振り切れない甘さが彼にはある。
もしかしたら家族に妹でもいたのかもしれない。
案の定、レンからの提案をマルコは無下にできなかった。
仮にフランチェスコであったなら即答で否を突きつけてくるだろうが、マルコは手を口元に充てて「お茶会、ですか」と考えこんでいる。
好感触とみたレンがさらに畳みかけていく。
「語学に歴史、政治情勢。いつも仮想敵国であるニルバドについての勉強ばかりでは息が詰まります。わたし、マルコの目から見ても結構頑張っていますよね? たまにはこれくらいの可愛いわがままも許されるのではありませんか?」
「つい先日にも無理をおっしゃられたように記憶していますが……」
マルコの眉間に刻まれた一本の縦皺がより深くなっている。
彼が指摘しているのは短剣を借り受けた件だろう。
「あれをわがままだと認識されているのは、いささか寂しさを感じますね。わたしなりの覚悟だと受け止めてもらいたいものです」
「これは失礼を」
慌ててマルコが頭を下げた。
「ね、お願いです。せめて一度くらい、お茶を飲みながらゆっくりあなたと話をしてみたいのですよ。〈鳥籠〉に生きる者同士として」
上目遣いでマルコを見つめ、最後の一押しをしておく。
彼にはもう抗弁の余地は残されてなさそうだった。
◇
マルコの仕事は早かった。
翌日にはポットに入ったお茶と、籐の籠いっぱいに敷き詰められた焼き菓子を階下から運ばせていた。
机に敷くクロスまで用意しているあたり、彼の気遣いぶりがうかがえる。
「先に断っておきますが、お茶は相当温くなっていますからね。味にはあまり期待しないでください」
「とんでもない。ここまで持ってきていただいただけで感謝の念に堪えません」
レンは素直にお礼の言葉を述べる。
水ではなく香りのあるお茶を飲めるだけで、気分は高揚するものだ。
籠にある焼き菓子も相当に充実していた。使われているのは木の実に野苺、焦がした砂糖、初めて目にする色鮮やかな果物。
交易も盛んなヴァレリア共和国だからこその贅沢な品々である。
「こんなに美味しそうなお菓子、サラとも一緒に食べてみたかったなあ」
つい口をついて出た、レンの本心だ。
黙々と準備を進めているマルコも「先代のサラ様ですね」と反応した。
「立派な〈遠見〉であられた方だと、将軍から常々聞かされております」
これを聞いてレンはうれしさを抑え切れなかった。
今でもフランチェスコはサラを忘れていないし、かつてと変わらず敬意を払っている。そこにはもっと別の感情もあるのだとレンは信じたい。
だからこそ確かめねばならないのだ。
もしもフランチェスコの言う「大それた夢」がヴァレリア共和国への反乱を指しているのであれば、それは明らかにサラへの裏切りとなる。
彼女が命を削るのも厭わず、死んでいった一族の人々への鎮魂も込めて〈遠見〉としての力を行使していたのがわからないフランチェスコではないはずだ。
にもかかわらず、あの優しく太陽さながらだったサラを孤独へ追いやったダルマツィオ・ディ・ルーカと同じ道を選ぶつもりであれば、レンとしても見過ごすことなど絶対にできない。
マルコが注いでくれたお茶に口をつけ、心を平静に戻す。
仮に将軍フランチェスコが何かしらの謀略を企図していた場合、おそらく腹心であるマルコにも概要は知らされているはずだ。
「いかがでしょうか?」
レンの内心を知る由もなく、お茶に満足したかどうかをマルコが訊ねてくる。
そもそも色と香りのついたお茶を飲むこと自体、レンはこれまでに数えるほどの機会しか得られていない。論評できる立場になどなく、本来ならただ体験できるだけで大きな喜びを感じただろう。
できるなら何の意図もなく、お茶とお菓子とおしゃべりを楽しみたかったのがレンの本音である。
しかしこれから待っているのは、マルコの口から将軍フランチェスコの企みを吐かせるための対決だ。
「美味しいです。冷めていてもちゃんと香りが残っていますし。さすがにヴァレリア、いい茶葉も集まってくるのですね」
「ならよかった」
レンからの反応が上々だったので、マルコも胸を撫で下ろしているようだ。
このまま彼を多弁にさせよう、とばかりに他の話題を振ってみる。
「ところで、ニルバド皇国ではどういったお茶を飲んでいるのでしょうか」
「こちらとさほど変わりありませんよ。赤い色なのは同じです」
ニルバドに関する授業の一環のような流れになり、マルコもすっかりいつもの調子で語りだしていた。
「ただ、向こうの方が濃い目に淹れてはいますね。噂で聞いたところによると、香辛料を入れる飲み方もあるのだとか」
「へえ。それはまた随分と変わっていますね」
「もちろん香辛料はとても平民の手に入る代物ではありませんので、あくまで皇族や高位の貴族たちに限られますよ。そういえばジャズイール第六皇子もその飲み方を好まれているそうです」
「じゃあ、後で〈遠見〉の力を使って観察してみましょうか」
将軍には内緒ですよ、と舌を出して悪戯っぽく笑ってみせる。
マルコもつられたかのようにぎこちなく笑った。
「なるほど。それも面白いかもしれません」
この軽率な相槌をレンは待っていたのだ。
「嘘つき」
表情からすぐさま笑みを消し、マルコを冷たく睨みつける。
いきなり核心を突かれて動揺しない人間はいないはず、そうレンは踏んでいた。
だが唐突な糾弾を受けても、マルコは顔色を変えず流そうとする。
「嘘つき、とは? レン様のおっしゃっている意味がわかりかねます」
もちろんレンもここで手を緩めはしない。
「嘘つきは嘘つき、言葉通りじゃない。まだとぼけるつもりなの? さすがにあのフランチェスコの部下だけあるね」
さらに続けて追い討ちをかける。
「だってあなたは知っているはずよ。〈遠見〉でありながら、わたしにはサラたちのような力はないってね。地位を騙っているだけのただの偽物だと」
フランチェスコからそう聞かされているはずよね、と念を押す。
「でも誤解しないでちょうだい。そのことを隠していたからって責めるつもりなんてないし、心の中で笑い者にしていたって別に構わない。わたしが知りたいのは、フランチェスコがこれから何を為そうとしているのか。ただそれだけよ」
そして彼女は深々と頭を下げた。
「お願いだから、教えてほしい」
真っ直ぐに詰問し、情にも訴える。
まだ短い付き合いながらもマルコの人となりを信じたからこそ、レンはこのやり方を選べた。
後は彼の誠実さに賭けるのみだ。
しかし落ち着き払ったマルコから返ってきたのは予期せぬ問いかけだった。
「レン様は、フランチェスコ様のことをお嫌いですか」
こんなやりとりはレンも想定しておらず、言葉に詰まってしまう。
「嫌いとか、別にそういうわけでは……」
しどろもどろな返事になったのも当然である。
レンの中でフランチェスコ・ディ・ルーカという男の評価は、いまだに定まっていないのだ。そんなところはサラに似たのかもしれない。
胡散臭いし、信用できないし、だからといって憎んでいるわけではない。
彼が生前のサラを大切に想っていたのは確かだ。なのに今ではすっかり忘れているようにも見えてしまい、横っ面を引っ叩いてやりたくもなる。
水の中の月みたいにつかみようのない男なのだ、あのフランチェスコは。
答えあぐねているレンに代わって、今度はマルコが口を開いた。
「おれはね、あの人を殺そうとしたこともありますよ」
「えっ」
とんでもないことをさらりと告げられ、レンの体は固まってしまう。
当のマルコからは「秘密を語っているぞ」といった力みはまるで感じられず、普段と変わらぬ淡々とした口調のままである。
「順を追って話しましょう。すっかり冷たくなっているお茶がお供ですが、おれの思い出話に少しばかり付き合ってください」
そう言って彼はカップのお茶を静かに飲み干した。
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