第11話 大それた夢
レンにとって、マルコ・カンナヴァーロという青年は謎の多い男だった。
護衛を務める傍ら、レンに対してニルバド皇国の言葉を手ほどきし、皇帝を絶対的な中心とするその政治体制についても講義してくれていた。
見るからにサラよりも年下であろう彼が、いったいなぜそこまで交流のない国の事情へ通じているのか。
とはいえ真正面から問い質したところで結果はわかっている。はぐらかされて別の話題へとすり替えられるのがせいぜいであろう。
あの食えない将軍フランチェスコが信頼する部下ならば、まず間違いなくまともな返答は得られないはずだ。
そこでレンは策を巡らせることにした。
といっても彼女の策など〈鑑定〉一辺倒でしかない。ドナートのときと同様、マルコが身につけている物の記憶を視ることで彼の秘密を探るのだ。
初対面時こそぶっきらぼうな男だったが、意外にも普段のマルコは柔らかさを感じさせる物腰であり、その点がドナートと大きく違った。
すでに薄れかけているドナートの印象は壁であったり線であったり、彼の外見よりもとにかく分け隔てる語句ばかりが先に浮かんでしまう。
もちろん、良好な関係を築けなかったのはレン自身に多大な非があるのを本人も自覚している。
仮に親しくなれたところで、その関係に先はない。
どこまでいっても所詮レンは偽物の〈遠見〉でしかないし、初代統領ルージアの言葉を借りれば「ヴァレリア最後の〈遠見〉」なのだ。
いずれすべては終わる。ヴァレリア共和国も、〈遠見〉も。
無力でお飾りのレンにできるのは、残された時間をせめてサラに恥じないよう精いっぱい生きるだけだ。
出会った日からひと月が過ぎ、今ではマルコといるのもそれほど悪くない時間だと思える。気も楽だ。
それでも心を許してしまうわけにはいかない。
秘密を抱えた相手に後で手ひどい仕打ちを受けるより、あらかじめ見抜いて心の準備をしておきたかった。
残る問題はどうやってマルコの所持品を手に入れるかだ。
くすねるか、借り受けるか、何なら譲ってもらうか。以上の三択である。
幸いにもドナートのときは何事もなく針をくすねることができたが、今回も上手くいくとは限らない。
レンにはかつて掏摸を働こうとした際、フランチェスコから強く腕を握られた苦い経験がある。
もし盗みを試みてマルコに見咎められた場合、次の好機は彼方へ遠のいてしまうだろう。
むしろ意図のみを隠し、直接マルコに頼んだ方が成功する確率が高いのではないか。彼の性格上、そのようにレンは考えた。
「ね、マルコ」
決めてしまえば後は行動に移すだけ。
すぐにマルコへと願い出ることにした。
「わたし、いざというときに自分の身を守るための武器がほしいのです。もしよければあなたの短剣を借り受けられませんか」
実際にあなたが使っていた物であれば心強い御守りになりますし、ともっともらしい理由を添える。
だがマルコの反応は芳しくない。
「短剣、ですか……」と口にして渋い表情を作った。
「言ってみれば、おれがあなたの武器ですよ。使い慣れない武具など、ご自身で持たれる必要は特にないと考えます」
彼の理屈はレンにもわかる。正論だ。
しかしマルコが躊躇しているのにはおそらく別の理由もある。そのことを始めから織り込んでレンは会話に臨んでいた。
ふふ、と笑って余裕を見せてから、マルコの腰にある短剣を指差す。
「その短剣でわたしが自死を選ぶとでも?」
いきなり勘所に切り込まれたとあって、マルコは言葉に詰まる。
この機を逃さずレンが主導権を握りにいった。
「あまり見くびらないでほしいな。もし死ぬつもりなら、どんな手段を使ってでもとっくにサラの後を追っているよ」
わたしはその道を選ばない、と断言する。
「仮にニルバドが野蛮にもこの〈鳥籠〉まで攻め入ってこようとも、最期の瞬間まで〈遠見〉であることを全うするつもりですから。本当に他意はないの。ただあなたの短剣を近くで感じ、支えてほしいだけ。それだけなのよ」
「レン様……」
「ね、お願いマルコ」
最も天に近い〈鳥籠〉で、さらにマルコが天を仰ぐ。
そしてレンの顔を見据えてきた。
「約束できますか? 絶対に、自ら命を絶つような真似はしないと」
「もちろんよ。そんなつもりなんて始めからないもの」
約束する、と力強く頷く。
ここに目的の第一関門は突破された。
◇
夜が待ち遠しかったのはレンにとって久々だ。
サラのいなくなった夜はとても長く、彼女と一緒であれば心躍らせて眺めていた星空も、今では闇に飲まれていく小さな光の群れにしか見えない。
そんなレンが今夜、マルコから渡された短剣を使って〈鑑定〉を行うのを楽しみにしていたのだ。
彼女の目の前には、鞘に納められた短剣が床の上へ無造作に置かれている。
「さて、どんな怪物が飛び出てくるのかな」
以前の〈鑑定〉でフランチェスコとマルコによる密談の記憶を視たはいいが、それ以降はまったくといっていいほど当たりを引いていない。
だが今回の品はマルコがずっと所持していた短剣だ。かなり核心に近い部分を覗けるのではないかと期待するのも当然の成り行きだろう。
レンは逸る心を鎮め、針の穴に糸を通すような感覚で集中していく。指先が短剣の柄に触れた瞬間から〈鑑定〉が始まる。
今回彼女が立ち会っているのは、どうやらマルコが同僚の兵士たちとともに軍の訓練場で鍛えている場面らしい。
剣で激しく切り結ぶ者、ひたすら槍で突きを繰り返す者、素手で格闘している者、各々が鍛錬に精を出している。
延々と同じ光景が続いた。
このような訓練は兵士たちにとって必要不可欠なのだろうが、それを眺めているレンにしてみればすこぶる退屈であった。〈鑑定〉のための集中を維持していくのも難しくなる。
早く動きがほしいな、と心の中で念じていると、見計らったかのように将軍フランチェスコ・ディ・ルーカが姿を現した。
訓練場の全員が動きを止めて敬礼の姿勢をとるが、当のフランチェスコは「いらんいらん」と手を横に振る。
「ちょっと用があって寄っただけだ。気にせず続けてくれ」
それから彼は「マルコはいるか」と呼ばわった。
「伝達しておきたいことがある。少し付き合え」
それ以上は不要とばかりにフランチェスコがそのまま背を向けて歩きだす。
マルコは訓練場の隅にいた。一つ一つの動作を確認するようにゆっくりと剣を振り、突き、受け、払っていたのが彼だ。
汗を拭い、身なりを整えてマルコはフランチェスコを追っていく。足取りに迷いがないあたり、行き先の見当はついているのだろう。
廊下を歩いてきた彼が入っていった先の部屋にレンも見覚えがあった。
以前の〈鑑定〉でマルコとフランチェスコが密談を交わしていた場所だ。
さっそく「来たか」とフランチェスコから口火を切る。
「この間の件だが、補足しておきたくてな」
ただレンが期待していたのとは裏腹に、ここからの会話の内容は前回のものとほとんど変わり映えがしなかった。
レンの〈遠見〉適性へのドナートの疑念、マルコの任務、ニルバド皇国の脅威。同じ場面をまた視ているのではないか、と勘違いしそうになるほどだ。
違いといえば、レンへニルバド皇国に関する学習をさせておけという部分くらいである。
欲していた新しい情報を得られず、レンも「外したっぽいな」と肩を落とし集中力が途切れかけていた。
そんなときだった。フランチェスコが気になる語句を口にしたのは。
会話の流れの中で、彼は「大それた夢」と言ったのだ。
「大それた夢を憂いなく実行するためにはマルコ、おまえの働きが欠かせんのだ」
血は争えない、という言い回しはレンも知っている。
一介の傭兵であった身から、すでにヴァレリア共和国軍の将軍という地位まで得たフランチェスコがこれ以上何を望むというのか。
レンに思い当たる答えは一つしかない。彼の父であったダルマツィオ・ディ・ルーカと同じく、この国を手中に収めることだ。
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