第6話 美しい夜

 まぎれもなくサラは本物の〈遠見〉だった。

 しかしその特別さを鼻にかけたりすることなど一切なく、レンに対しても常に朗らかな笑みを絶やさず接してくれた。


「少しだけ年の離れたお姉ちゃんだと思ってくれていいからね」


 口癖のように彼女はそう言う。

 レンにしてみればこんな申し出を拒む理由などない。全力で慕った。


 まるで太陽みたいな女性だった。明るく優しく聡明で、傍にいるレンまで照らしてくれる存在。

 彼女といれば何者でもない自分だって、いつか輝きを放てるようになれるのではないか。そう思わせてくれるのだ。


 地上から隔絶しているはずの〈鳥籠〉だって、サラといればヴァレリア共和国でいちばん華やかな舞台にも劣らない。

 そんな二人の仲睦まじい様子を見て、事あるごとにぼやいていたのが将軍フランチェスコ・ディ・ルーカであった。


「ちょっとばかり仲が良すぎやしませんかね、お二人さん」


 たまに〈鳥籠〉まで顔を出すと、もはや挨拶代わりにそう口にするのが恒例となっていたほどだ。


「あら将軍、妬かれておいでですか」


 サラが笑いながら返すのもいつもの流れとなっている。


 季節が変わるほどに長い時間を共に過ごしたこの頃になると、レンにもサラが見せる笑顔の微妙な違いが判別できるようになっていた。

 フランチェスコといるとき、どういうわけかサラの笑みは格好の獲物を見つけたいたずらっ子のようなものへと変わる。


 なのでつい、レンも同調して悪ふざけをしてしまうのだ。


「妬いてもだめだよ、サラはわたしのお姉ちゃんなんだもん」


 サラに抱きつきながら流し目でフランチェスコを牽制する。


 元は何も特別な背景を持たない孤児であり、成り行きで遠見の一族の生き残りを詐称しているだけのレンが本物の〈遠見〉サラと一緒にいられるのは、彼が尽力してくれたおかげであった。

 一族に連なる者だという証拠を捏造し、フランチェスコ自らの説得で共和国政府の最高権力者、つまり第十三代目統領の首を縦に振らせたのだと後でサラから聞かされた。


 だがそれはそれ、これはこれだ。

 食えない男の見本のようなフランチェスコがサラの言動に翻弄され、振り回されている姿を見るのはそれだけで楽しい。

 自分もその遊びに加わることができるならよりいっそう面白くなる。


 そしていつしかレンは一つの推論を胸に温めていた。

 もしかしてこの二人は互いに想いを寄せ合っているのではないか、と。


 どういうわけか、護衛を務める兵士が近くにいることをサラは好まない。たとえフランチェスコが信頼して推挙した護衛兵であってもだ。

〈鳥籠〉に足を踏み入れるのを許されているのは当のフランチェスコだけ、というのが暗黙の了解になっていた。


 この疑問の答えを確認するのは夜をおいて他にない。それも星空が一面に広がって見える美しい夜がいい。

 そう考えたレンは望み通りの夜を待った。


 機会はすぐに訪れる。

 雲のない夜、いつもであれば二人で就寝するはずの時間になってもまだ〈鳥籠〉にいるレンへ、「おーい、寝ないの?」とサラが声をかけてきた。


 頬杖をついて窓から綺麗な星空を眺めていたレンだったが、すぐにサラも梯子を伝って階下から顔をひょこっと出してくる。

 小細工は無用だった。


「ねえ。サラはフランチェスコのことをどう思っているの?」


 いきなりの質問だったにもかかわらず、サラに動揺した素振りはない。

 そっとレンの隣に腰を下ろし、特に考えこむこともなく左手を広げた。


「とても頼もしくて、からかい甲斐があって、見た目はとっつきにくそうだけど、でも意外に可愛らしいところもある人だなって」


 指は四本折られて、小指だけが立ったまま残された。


「そうだけど、そういうんじゃなくてさあ」


 傍らのサラへと振り向いたレンは、両手の拳を握り締めてもどかしさを精いっぱい表現する。

 ふむ、と呟いたサラは少し間を空けてから言った。


「恋とか愛とか、そういう話?」


「そう、そうそう!」


 勢い込んで何度も大きく頷くレン。

 そんな彼女とは対照的に、サラは物静かな態度を崩さなかった。


「どうして〈遠見〉の一族がわたし以外みんないなくなってしまったのか、レンにまだ話してなかったよね。いい頃合いかな」


「え、何の話?」


「まあ聞いてよ。さっきの質問とも無関係じゃないから」


 こう前置きしてサラが語りだす。


「レンがここへやってくる少し前の出来事だよ。ヴァレリア共和国の防備を担っていた傭兵団の首領であり、フランチェスコ様の父でもあった男、ダルマツィオ・ディ・ルーカが反乱を企てたの」


「フランチェスコの?」


 驚きのあまり、レンは思わず大きな声を出してしまった。


「ええ。老いてゆく我が身を振り返り、一国の王となるにはもうこの時しかないと妄執に取り憑かれて暴挙に及んだみたいよ。フランチェスコ様によればね」


「自分の父親に対し、あの人も結構辛辣だな」


「それはそうよ。だってフランチェスコ様は反乱に合流するどころか、傭兵団の大部分を迅速にまとめて迎え撃ち、自分の手で父を討ち取ったんだもの」


「え……?」


「後世で〈父殺し〉の汚名を着せられるのも恐れず、国を守る本分を果たしたとしてフランチェスコ様はその功績を称えられ、新たに創設されることになった共和国軍の将軍となったのよ」


 レンにとって知らないことだらけだった。

 ただ、あのフランチェスコが容赦なく自身の父を手にかけた事実についてはさほどの衝撃はない。彼ならばそれくらいはやってのけるだろう。

 だがサラの話はまだここでは終わらなかった。


「ダルマツィオ・ディ・ルーカはね、親子といってもフランチェスコ様とは似ても似つかない粗暴で冷酷な男だった。そんな男が反乱を起こそうと決意して、まず何からやったと思う?」


 レンは黙ったまま首だけを横に振る。

 サラが続けて言う。


「あの男が目論んだのは〈遠見〉を独占して優位性を確保すること。そのためにはわたし以外に〈遠見〉となり得る存在が邪魔だったのよ。そんなバカげた理由のため、一族は居住地を襲われて皆殺しにされてしまった」


 あまりにもあっけなかったよ、と彼女は低い声で語った。


「当然わたしもさらわれかけたんだけど、すんでのところで助かったんだ。ダルマツィオの手の者が〈鳥籠〉へやってこようとしていたのを、事前に察知したフランチェスコ様が阻んでくれたおかげでね」


「あの人、サラの命の恩人だったんだ」


「そういうことになるね」


 サラが弱々しく微笑む。


「だからね、割り切れないのよ。どれほど憎んでも憎み足りない男の実の息子であり、命の恩人であり、力のないわたしに代わって仇をとってくれた英雄であり、そしていつまでも〈遠見〉への負い目を抱えてしまっている可哀想な人。それがわたしにとってのフランチェスコ様なの」


「サラ……」


 折られた指は四本、またしても最後の指だけが取り残されてしまう。

 これ以上、レンは姉同然に慕っている人に対してどんな言葉をかけてあげればいいのかわからなかった。

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