第64話 茶会にて

 毎日が慌ただしく過ぎていく。王太子妃としての日々は目の回るほどだった。

 

 朝起きて、朝食はできるだけエリオット殿下と一緒にとる。互いに忙しい身だけれど、せめて一日の始まりと終わりだけは短い時間でも二人きりで過ごしたいと言ってくださる殿下のお気持ちが嬉しい。

 朝食をとりながら互いの今日一日の予定についてやその他のいろいろなことを話す。殿下は慌ただしく先に席を立つことが多いけれど、


「じゃあ、また後でねクラリッサ。君はゆっくり食べるんだよ」


などと私に声をかけて額や頬にキスをしてくれる。優しくて、温かい。


 朝食後侍女たちにしっかりと身支度を整えてもらうと次々にやって来る来客と面会したり、市井の様子を見に街へ出たりする。修道院への訪問や孤児院への慰問もある。そしてそれらの合間を縫っての王妃教育。

 夜は公務が終わった殿下が夫婦の部屋に戻ってくるまで待ち、別々に過ごした日は互いに今日一日の出来事を報告し合ったりして二人きりの穏やかな時間を過ごしながら眠りにつく。そんな毎日だった。

 殿下は毎夜私を労って優しい言葉をかけてくださる。ベッドの中で腕枕をして私の髪を撫で、何度もキスをしながら、今日も一日お疲れ様、疲れただろう、ゆっくり眠るんだよ、愛しているよ、と、いつまで経っても変わることのない愛情深さにくすぐったくなってしまうほどだ。


(こんなに幸せでいいのかしら…)


 責任を伴う立場はたしかに日々緊張の連続ではあったけれど、それ以上に得られた愛の素晴らしさに満たされていて心は穏やかだ。

 殿下の温もりに包まれて安心しきって瞼を閉じながら、私は時折自分の幸福が信じられないような気持ちになった。




 そんなある日、私は王宮で茶会を開いた。

 国内の高位貴族のご婦人やご令嬢方を招いた茶会は定期的に行っており、皆の貴重な情報交換の場になっている。私も王太子妃として常に主要な人々の状況や立場は把握しておかねばと、気を張り巡らせ最新の情報を得ようと奮闘していた。


 その日はとある侯爵夫人が隣国に行ってきた土産だと言って珍しいデザインの小物を皆に配ったり、私が選んだ紅茶を皆で美味しいと褒めてくれたりして和やかな時間が流れていたけれど、ふいに一人が話題を変えた。


「そういえば…、大変なことになっていますわね、元ディンズモア公爵家の…」

「ええ、やはりこうなってしまいましたわね」


 また別の一人が素早く反応する。


「先代の公爵がお亡くなりになったと聞いてからあっという間でしたわ。もう領地も全て手放してしまったのでしょう?その少し前にうちに来ましたのよ、ご令息が…。主人にお金を貸してほしいと頼んできたそうですわ」

「あら、うちにも来られたわよ。骨董品を買ってほしいと言って突然持ち込んできたのよ。なりふり構わずといった雰囲気でしたわ。怖かったもの」

「まぁっ、うちにも来ましたわよ、飛び込み営業…。もちろん何も買わずに追い返しましたけどね」

「ええ、もちろんうちもですわ!」


 私とディンズモア公爵家の関係を知らない人などこの場にはいない。皆私の機嫌を読むかのような言い回しをしながらこちらの様子を窺っているのが分かる。

 ディンズモア公爵家が完全に立ち行かなくなり領地を手放してしまったことはもちろん知っていた。アレイナ嬢の実家であるノリス男爵家も同様に残った領地を手放し、家族は住んでいた土地を去ったという。


「今はどこで何をされているのかしら…。あれほど歴史あるお家でしたのに、まさか両家揃ってこんなことになってしまうなんてねぇ…」

「栄華を極めたフィールズ公爵家も、莫大な資産があったはずのディンズモア公爵家も…、分からないものですわ」

「先代はどちらも商才のある立派な方でしたわ。だけど……ねぇ」

「ええ、ご子息とお嬢さんは……」

「まぁ、当然といえば当然の結果ですわね」


 茶会はすっかりあの二つの元公爵家の話題で持ちきりになった。皆の会話に口を出す気にもなれず、私は彼らに思いを馳せる。あの人たちとはいろいろなことがあった。随分深く傷付けられたし、今もいい感情はもちろん持っていない。それでも、こうして彼らが全てを失って生まれ育った土地を去ったと聞いて気分が晴れやかになるわけでもなかった。

 

 どこかの土地で再出発をしているのだろうか。

 せめて家族で支え合って、仲良く暮らしていればいいのだけれど。


 最初は私もそうして気にしていたし社交界の話題の的でもあった彼らだったけれど、時が経つにつれだんだんと誰もその話に触れることがなくなっていったのだった。






 それからおよそ2年の月日が流れた頃、私はエリオット殿下との間に最初の赤ん坊を産んだ。






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