第43話 エリオット殿下と婚約?

 その日私が学園から帰宅すると、居間から父と母の話し声が聞こえてきた。


(あら、珍しいわね。お父様がこの時間にいらっしゃるなんて…。……あ、お兄様もいる……?)


 兄の声もしたので私は嬉しくなって、挨拶をしようと居間の方に近付いた。


「……本当に、よかったですわね、あなた…」

「…ああ、……焦って次を決めておかなくてよかったよ、ははは。……まさかこんなことに……」

「…畏れ多いけれど……、こんな名誉なことって……」

「クラリッサにとっても良いことだよ。殿下は素晴らしい人格者で……」


(……?何のお話かしら…)


「ただいま戻りましたわ、お父様、お母様、お兄様」

「まぁっ!クラリッサ…」

「やあ、お帰り」

「おお、帰ったかクラリッサ。ちょうどいいところに…。座りなさい」

「?……はい」


 一体何のお話かしら。怪訝に思いながらも私は父に言われたとおりに居間のソファーに腰かけた。父はとても上機嫌だ。母も兄もニコニコしている。


「クラリッサ、エリオット王太子殿下とフィールズ公爵家のミリー嬢の婚約が破談になったことは知っているか?」

「あ、ええ。はい。先日学園中で大騒ぎに」

「そうだろうな。……それでな、先ほど国王陛下から私に打診があったのだ。クラリッサ、お前をエリオット殿下の新しい婚約者に据えたいと」

「……。…………。えっ?!わっ、……私、で、ございますか……っ?!」

「ああ」


 私が……?

 エ、エリオット殿下と、……婚約?


 突然の話に頭が真っ白になる。母は満面の笑みで言った。


「よかったわね、クラリッサ。エリオット殿下はとても穏やかで誠実なお人柄…。あなたのことも気遣ってとても親切にしてくださっていたでしょう?あんなお方となら、きっとあなたも幸せになれるわ」

「ああ。それに我がジェニング侯爵家にとってもこの上なく名誉なことだ。お前の優秀さが評価されたのだよ」

「…………そ、……それは……、はぁ…」


 じわじわと理解するにつれ、私の心臓は大きな音を立てて騒ぎはじめた。深く呼吸をして自分を落ち着かせながら、私は一生懸命考えた。たしかに…、ミリー嬢があんなことになってしまって、アレイナ嬢にはもうディンズモア公爵令息という婚約者がいる。というか、先日の裁判で責任を負う立場となった今、王家に嫁ぐというのは無理があるだろう。

 それで、……私に……?


(と、いうことは……、……え?わ、私が王太子妃になるということ?!えぇっ……!)


 辿り着いた事実に、ドッと汗が出る。わ……、私にそんな大役がまわってくるなんて……。


「……私などに、務まるのでしょうか……」


 父は私の言いたいことを理解してくれたようだ。


「国王陛下や王太子殿下がお前をと所望され、議会でも可決されたことだ。自信を持ちなさい、クラリッサ」

「そうよ。あなたの勤勉さや優秀さが認められたの。それに、あなたは公平で優しい子。…きっと良き王太子妃になれますよ」

「…お父様…、お母様…」

「よかったな、クラリッサ。殿下ならば間違いない。お前を大切にしてくださるよ。毎日見ている俺が保証する」

「お、お兄様…」






 いまだ夢を見ているようで、心の準備もあまりできていないまま、私はエリオット殿下との謁見の日を迎えた。

 緊張しながら王宮に上がり、エリオット殿下にご挨拶に行く。普段お手紙のやり取りをしているけれど、こうして直接お顔を拝見するのは久しぶりだ。


「やぁ、…久しぶりだね、クラリッサ嬢」

「殿下…。…ご、ご無沙汰しております…」


 なぜだか殿下のお顔を見た途端、くすぐったいような気恥ずかしさに頬がじわじわと熱を帯びてくる。心臓がうるさい…。

 殿下のご様子も、何となくいつもと違う気がする。


「……こちらへ。…突然のことで、驚いただろう?」

「は、はい。…私などに務まるのかと不安ではありますが、精一杯努力いたします。一日も早く、殿下の妃として相応しい知識を身に付けられるよう…」

「……ということは、……この話を受けてもらえる、ということでいいんだよね?」

「え?は、はい。もちろん」

「……君は、大丈夫かい?…それで、いいの?」


 …………ん?

 え、どういう意味だろう…。

 それでいいも何も、王家からのこの上なく名誉なお声がけだ。断る貴族家などあるはずがない。

 …私個人の気持ちということ、かしら?それなら…、


「…は、はい。私は……、嬉しゅうございます。エ、エリオット殿下の生涯の伴侶になれるなど、…夢にも思っておりませんでした、ので」


 …あ、あれ。…どうしよう。何だか言えば言うほど恥ずかしくて、どんどん顔が真っ赤になってしまう。そんな自分を意識してますます頬が熱くなる。


「…そうか。よかった。…コホン。……君に嫌がられたらどうしようかと、気が気でなかったものだから。…そう言ってもらえて、僕の方こそ嬉しいよ」

「…………。」


 エリオット殿下のお顔も赤い。いつもと違う殿下の様子に、なんだかいたたまれないような恥ずかしさを感じ、思わず俯く。


「……。あのね、クラリッサ。…そう呼んでも、いいかな」

「はっ、はい。もちろん」

「…クラリッサ。……こんなこと、今ここで言われても君も困るかもしれないけれど、僕はね、…本当は子どもの頃から、君のことがずっと好きだったんだ」

「……。………………っ、……え?」



 …………え?



 数秒間沈黙した後、私は驚いて顔を上げた。エリオット殿下は耳まで赤く染めながら恥ずかしそうに笑った。


「だけど僕は王太子という立場にあって、自分が好きになった子だからといって簡単に想いを伝えたりそばに置くことはできない。君への恋心は、生涯胸に秘めておくつもりだったんだ」

「……っ、」


 そ…………


 そんなこと……、全然気付かなかった……。


 殿下が、私を……?本当に……?


「今回、フィールズ公爵令嬢との婚約がああいった形で破談になって、僕が真っ先に君のことを頭に思い浮かべたのは、…正直に言って、私情もだいぶ混じってる。…いや、もちろん父上にも納得してもらえているし、正式に議会でも承認されてはいるけどね。でも…、若干の後ろめたさはあったんだ。立場のある身でありながら、好きな人のことを真っ先に考えてしまったことに」

「で……殿下……っ」

「だから……、君が僕との結婚に前向きでいてくれることが、とても嬉しいよ。……ありがとう、クラリッサ」


 そう言うと殿下は私の両手をそっと握った。


「っ!!」

「これから大変になるだろうけれど、…心配しないで。僕が君のそばにいるし、いつでも君の味方でいるから。僕を信じて、ついてきておくれ」

「……は……はい、殿下…。…よろしくお願い、いたします…」

「うん。こちらこそ」


 殿下の心から幸せそうな笑顔を見ているうちに、私の胸にも形容しがたい歓びが込み上げてきた。こんなにも優しくて素敵な方が、ずっと私を想っていてくださったなんて……。


(どうしよう……嬉しい……)


 ティナレイン王国王太子殿下との突然の婚約話に混乱し、動揺していた私だけれど、殿下の優しい光を湛えた瞳を見つめているうちに強い気持ちが芽生えてきた。


(…頑張らなきゃ。私、この方を支える良き妻になるわ。私のそばにいて、いつでも味方でいてくださるというこのお優しい方の気持ちに応えるためにも)


 必ず立派な王太子妃にならなくては。






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