第5話 運が巡ってきた(※sideダリウス)

 やれやれ。疲れた…。


 どうにか話し合いの場をまとめ帰宅することができたのは、すでに空が白みはじめた頃だった。両親もぐったりした様子で、「ともかく一度休もう」と言い、寝室に入っていった。


 俺も自室に上がり、服を脱ぎ捨てるなりベッドに倒れ込む。ようやく山場は越えたといったところか。ジェニング侯爵夫妻は最後まで納得せずに裁判で争うなどと言っていたが、こちらも徹底抗戦でいくしかないだろう。クラリッサのヤツは最後まで陰気に俯いてメソメソしたままで何も喋らず、見ていて苛々した。


(だがまぁ、うちの両親とアレイナのところのフィールズ公爵夫妻はどうにか受け入れてくれたようだ。…これでやっと、アレイナと一緒になれる)


 そう思えばこの疲労感も吹き飛んでいきそうだった。






 クラリッサに大きな不満があったわけではない。

 幼少の頃に親から決められた婚約者。特別な感情はなかったが、クラリッサの外見はとても可愛らしく、そこは気に入っていた。

 ふわふわと揺れる長いピンクブロンドの髪は艶めいていて、真っ白な肌はまるで陶器の人形だ。その濁りのない美しい紫色の瞳といい、形の整ったピンク色の唇といい、伴侶として連れて歩くには申し分なかろうと満足していた。

 学園に入学するやいなや、男子生徒たちはクラリッサの話題で持ちきりだった。皆があいつを可愛い美しいと褒めそやしており、それを聞くたびに内心優越感で満たされていた。だが自由で楽しい学園生活を送るのに、婚約者の存在は必要ない。俺はクラリッサが自分の婚約者であることは積極的に口外しなかった。あいつ以外にも魅力的な女性は学園にたくさんいた。

 クラリッサは特に構ってやらなくても文句を言ってきたりいじけたりしない。その上俺のためによく働いた。普段はほったらかしにしていても、俺が頼れば喜々としてレポートや宿題を手伝い、おだてればおだてるほどやる気を出し、しまいには代行して全てやってくれるまでになった。そんなに俺のことが好きか。チョロい女だ。

 きっと俺に尽くす良き妻となるだろう。こいつと結婚すれば、領地の仕事まで張り切って一人で回してくれる未来が手に取るように見える。

 美しく自慢できる妻でもあり、俺を楽させてもくれる。不満などあるはずもなかった。




 しかし、学園に入学して半年ほどが経つ頃、俺に人生最大の運が巡ってきたのだ。




 ある日突然、アレイナ・フィールズ公爵令嬢から呼び出された。人気のない放課後の教室の中、彼女は俺に愛を打ち明けてきたのだ。


「私ね…、あなたのことが好きなの」

「……っ、ア、アレイナ嬢……っ。…だ、だが、あなたには婚約者が…」

「婚約者なんて関係ない!ただ親が決めただけの相手よ。私はあなたのことが好き。…あなたの妻に、なりたいの…!」


 そう言って突然俺の胸に飛び込んできたのだ。驚いたなんてものじゃなかった。アレイナ・フィールズ公爵令嬢は、このティナレイン王国で最も古い歴史を持つ、由緒正しい公爵家の長女。国内最大の、広大な領土を持つ最高位の貴族家だ。その娘が……俺のことを……?


「……っ、」


 俺は無意識のうちにアレイナ嬢の背中に手を回しながら、瞬時に頭を回転させた。金髪に赤銅色の瞳はそれなりに美しく、クラリッサには劣るかもしれないが、まぁ充分に及第点だ。しかもこの人の妹君のミリー嬢は、この国の王太子であるエリオット殿下の婚約者…。

 ……ちょっと待て……。クラリッサと結婚するよりも、こっちの方がはるかに俺の格が上がるじゃないか……。

 だが……、


「…アレイナ嬢……、あなたはあのフィールズ公爵家の長女でしょう…。妹君は王家に嫁ぐことが決まっている…。他にご兄弟はなく、つまり、あなたはフィールズ公爵家を継がなければならないはず。…俺だって、ディンズモア公爵家を…」


 そう。俺はディンズモア公爵家の一人息子であり、アレイナ嬢もまた二人姉妹の長女。互いに公爵家を継がなければならない立場なのだ。


「そんなの!どうにでもなるわ!うちが親戚から養子でも迎えればいいだけですもの。…ねぇ、家のしがらみは忘れてちょうだい、ダリウス様。…あなたの気持ちを教えてほしいの。……やっぱり、クラリッサさんを愛しているの……?私ではダメ……?」

「……っ、」


 アレイナ嬢の背中を抱いたまま、俺はごくりと生唾を呑んだ。さぁ、どうする?どう答えるのが最善か。たしかにアレイナ嬢が俺に嫁いできてくれるのなら旨味は大きい。うちにとっても、俺自身にとっても。…しかし、クラリッサはよく尽くしてくれる。加えてあの美しさ。ジェニング侯爵家も、向こうに何も落ち度がないのに一方的に婚約破棄など言い渡したところで、簡単には認めてくれないだろう……。下手したら多額の慰謝料を背負うはめに……。


 必死で頭を巡らせながら、すぐには返事ができずにいると、俺の腕の中のアレイナ嬢が潤んだ瞳で俺を見上げて言った。


「私……私ね……。ずっと我慢していたことがあるの……。……実は私、あなたの婚約者のクラリッサさんから、ひどい虐めを受けているんです…」





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