6-5
「背中を向けていれば大丈夫だと伺いましたので」
しれっと八子先生がブーケトスについての解説をする。
立食形式でのパーティーが始まり、彼女は先ほどのウエディングドレスからややカジュアルダウンした格好へとお色直しをすませていた。
私がこれまで見てきたブーケトスとは似ても似つかぬまったくの別物だったが、この際そこは構うまい。
「あれはいったい何の罰ゲームよ。未婚女性が私一人って」
「ソフトボールをされていた間宮先生の目から見ても、結構フォームがさまになっていたんじゃないですか」
心優しい先輩からの抗議を涼しい顔で無視し、彼女が力強く親指を立てた。
「はいはい、そうね。トルネード投法ってとにかくバランスをとるのが難しいから、たしかによく投げられたなって思う。グッドよグッド」
「そこは教えてくれた人の手柄です」
にっこりと笑って謙遜しているが、その教えてくれた人というのはいったい誰なんだろう。
鵜野シェフも千尋くんも元バレーボール部だし、たぶん違うんじゃないかな。
「ユーキさん、やっぱり誰だか気になりますよねえ?」
食べ終わった皿を何枚も運んでいた晶奈ちゃんが足を止め、くりっとした目で私の顔を覗きこんできた。
これになぜか慌てたのは八子先生だ。
「や、その、晶奈さんそれはだめ」
「わーかってますってー」
いたずらっぽくウィンクをかまして晶奈ちゃんはまた仕事へと戻っていく。
結局、八子先生からはコーチ役を務めた人間が誰だったのかを教えてもらえなかった。そのかわりに何度も「ブーケ、ちゃんと持って帰ってくださいね」と念を押された。
「二次会に行ってべろべろになって、どこかに忘れてきちゃった──ってのはなしですよ」
「あんたの中の私はそこまでお酒にだらしない女なのか……」
ちょっとショック、と涙を拭うフリをするもまた軽くスルーされてしまった。
うむ、それでこそ八子先生。
ただ今夜、二次会は元々予定されていなかった。
妊娠中の宮坂先生はパーティーが終われば帰宅されるそうだし、何より新郎新婦の二人にはこの後寄るところがあるのだという。
行き先がどこなのかは私も訊ねなかった。
きっととても大切な用事なのだろう、というのは何となく伝わってきたのだ。
素敵な一日は瞬く間に終わりを迎えようとしている。
夕方と呼ぶにはまだ空も青いままの午後四時、お開きとなって列席者たちはそれぞれ帰路につくこととなった。
鵜野シェフと八子先生に見送られ、久々すぎるハイヒールのパンプスのまま私は一人で最寄りのバス停へとぷらぷら歩きだした。もちろん、引き出物の入った紙袋にはちゃんとブーケも忘れずに。
◇
バスは空いていた。
適当な座席に腰かけるとどっと疲れが押し寄せてきたように感じられてしまう。
こういうとき、「ああ、私ももう若くはないのだ」と痛感する。はしゃいだ分の疲労がきっちり計上されているわけだ。
背もたれへ体を投げだすような、だらしない姿勢のままで手元にブーケを置いて眺めてみる。花はワイヤーで頑丈に固定されており、なるほどこれならトルネード投法にも耐えられる。
恥ずかしながら私は花にはとんと疎い。
受け取ったブーケも、宮坂先生から「シンビジウムですねっ」と弾んだ声で教えられてようやくわかった次第だ。花言葉は飾らない心、素朴。
実にあの二人らしいセレクトだと思う。
いくつかの停留所を過ぎる間、ぼんやりと白いシンビジウムの花たちを愛でていたのだが、最寄りのバス停が近づいてきた頃になってようやく気づく。
ブーケの奥に名刺くらいの大きさのメッセージカードが挟まれていたのだ。
「わざわざ何かしらね」
花を傷めてしまわないよう、慎重な手つきでそっと薄いピンクのカードを取りだした。
そこにはとても綺麗な、見慣れた八子先生の筆跡でこう書かれていた。
『セカンドの彼、時にはリリーフとしてマウンドにも上がるそうですよ』
下には電話番号を添えて。
泣きたくなるほどに眩暈がした。
彼女にとって間違いなく人生で一度きりの結婚式だというのに、自分たちがどう幸せになるかだけを考えたってかまわないのに。
私のことなんて何も気にしなくていいのに。
今から引き返して「ばか!」と罵って、ぎゅっと強く強く抱き締めてやりたい衝動に駆られてしまう。
そうする代わりにクラッチブーケの茎の部分を握った。
バスを降りれば、きっと私はこの番号をコールするだろう。
そして二年前に飲みこんでしまった言葉を彼に告げるのだろう。
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