6-4
〈ポワソン・ダヴリル〉のさほど広いとはいえない店内にはばらばらな形をした椅子が並べられ、白いクロスがかけられたテーブルは端へと寄せられている。いずれここへ新郎自身による料理がやってくるのだろう。
そんな中、やけに場慣れした調子で、一人の女性が着席している総勢二十人いるかどうかの客たちへと朗らかに呼びかけた。
「わたくし、本日の司会進行役を仰せつかっております三浦雪絵と申します。新郎の鵜野浩一郎さんと新婦の八子香織さん、お二人がご列席の皆さまを証人として愛を誓いあう人前式からその後の小さくも心温まるパーティーまで、短い時間ではございますがどうぞお付き合いのほどをよろしくお願い申し上げます」
どちらかといえば人前で話すことに慣れている教員であっても、なかなかこうまで上手く仕切れるものではない。声の抑揚が明らかにプロのそれなのだ。
何者なのかしら、と疑問を抱いていた私に小声で答えをくれたのは、隣に座っている帯刀先生だった。
昨年度末をもって退職されたため、厳密にはもう「先生」をつける必要がないのかもしれないが、これからも教員としての私の師であることに変わりはなかった。
「雪絵さんは元々アナウンサーだった方ですから。今はあちらにいらっしゃる、〈ブーランジェリー・ミウラ〉のご主人と結婚されてお店に出られていますよ」
彼女が目線で示してくれた先にいたのは、ウェルカムドリンクをいただいたときにすれ違った強面の痩せた男性だ。
しかし彼を見て私はぎょっとしてしまった。すでに人目をはばからず涙を流しているのだ。もはや号泣の域である。
「美味しいですよね、ミウラさんのパン」
帯刀先生の向こう側で宮坂先生が言う。あの男泣きに気づいていないはずはないが、触れないのもまた大人の礼儀だろう。
「このお店でもずっと使っているそうですから」
「うわ、知らなんだ……」
次の休みにさっそく買いに行かねば、と私は固く心に誓う。汝、決して寝過ごすことなかれ。
そんな会話を交わしているうちに、三浦雪絵元アナの右手が入り口側へと向けられた。
「では皆さま、新郎新婦を温かい拍手でお迎えください!」
彼女の声に合わせ万雷の拍手が沸き起こる。ひと際力強い拍手の主は、やはりというべきか先ほどの三浦氏だった。
しばらくして入口から黒いタキシードを着こなした鵜野シェフ、そして真っ白なウェディングドレス姿の八子先生が姿を現した。
まったく、二人揃って一分の隙もない。ともに長身なのもあって様になりすぎている。他のお客さんたちも同様の感想を抱いたようで、あちこちから声にならないため息が伝わってきた。帯刀先生も、その隣の宮坂先生も。
緊張しているのか、表情の硬い八子先生と腕を組み新郎である鵜野シェフがこじんまりと設えられた高砂へと進んでいく。通路が狭いため歩くだけでも一苦労だ。
巨体の彼が身をよじらせている様はどこかユーモラスで、周りからも小さな笑い声があがった。
八子先生のドレスの裾は、彼女の伯母が付きっきりで持ち上げてくれていたためどこにも引っかかることなく歩けていた。その光景が不意に私の胸を突き、早くも涙腺が崩壊しそうなのをぐっと押しとどめる。
いかんいかん、このままだと先に私の方が脱水症状を起こしてしまいかねないぞ。
格好よくて素敵すぎるがどうにも所作のぎこちない新郎新婦を、三浦元アナが巧みな合いの手でフォローしつつ式は進行していった。
手作り感を醸しだしつつ、要所はプロフェッショナルが締める。
仮に、仮にだ。もしも私がいつか誰かと結婚式を挙げる日が来ようものなら、こんな感じでできたらいいなと切に願う。
互いが結婚誓約書にサインをし、指輪を交換。盛大な拍手によって全員からの承諾を得て晴れて二人は夫婦となった。
「香織さんとともに、一日一日を大事にして温かな家庭を築いていきます」
そんな新郎の挨拶で締めくくられた人前式の後にすぐパーティーが始まるのかと思いきや、次は再び駐車場へと場所を移しての写真撮影が待っていた。
千尋くんと晶奈ちゃんがすでに簡易のパイプ椅子を並べ終えており、私たちもぞろぞろと適当な位置に陣取ろうとする。
が、そこへ待ったがかかった。
「皆さん! 少しお待たせしてしまいますが、写真撮影の前に私からブーケトスをさせていただきます!」
常にクールなあの八子先生がいつになく声を張りあげている。
式中に鵜野シェフから手渡されたクラッチブーケ(もちろんそのうちの一輪は彼の胸ポケットに挿されている)をつかみ、まるで仁王立ちのようにも見えるその様は花嫁というより最終回のマウンドに立つクローザーだ。
「受け取る資格があるのは……あら、間宮先生だけじゃない?」
帯刀先生の言葉によって、一斉に私へと視線が注がれてしまう。何の合図もなかったのにそのまますっと私の前が開かれて道ができた。
気分はモーセよね、これ。
「では、参ります」
告げるなり、八子先生は美しい純白のウエディングドレス姿のまま大きく両腕を振りかぶった。え、ちょっと待って、私の知っているブーケトスとは何か違う。
ちゃんと後ろ向きで放り投げないと、と誰かの声がした。その声に反応したのかどうなのか、左足を上げつつ両腕をぐいっと後ろに引いた八子先生は、流れるような動作で私たちにくるりと背中を向けた。
「マジかあんた、トルネードかよ!」
心の中で私は叫ぶ。
プロ野球の公式戦で始球式を務めるアイドルにもごくたまにいる。意外なほど綺麗なフォームでボールを投じ、ストライクゾーンに構えられたキャッチャーミットまで届かせてしまう
八子先生からのクラッチブーケも、ほとんど真っ直ぐに私目掛けて飛んできた。
もちろん両手で丁寧に受け止めてみせる。昔取った杵柄とはまさにこのこと。
「ありがとう。見事なストライクだったよ」
そう言いながら高々とクラッチブーケを掲げれば、周りの方たちからは歓声と拍手とが起こった。たぶん、これも演出の一環だと思われたのだろう。
もはやブーケを受け取ったところで特に何の感慨も湧かないが、これで八子先生の中にある私への負い目みたいなものが少しでも軽くなるのであればそれで充分。
とりあえず、このブーケは記念として大事にとっておくことにしますか。
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