5-4

 全世界チェーンのハンバーガーとはまるで迫力が違う、存在感のありまくるチーズバーガーの塊を前にして食べあぐねている私を尻目に、鏑木のやつは一人さっさとアボカドバーガーとやらにありついていた。

 だいたい昔からこいつには優しさってものが足りない。


「おい、これどうやって食べればいいのよ。教えろ」


「言葉遣いは正確に。お願いします、でしょ?」


 ちっ、と舌打ちしたい衝動に駆られるが、そんな安っぽいプライドは今この場で何の役にも立たないのだ。

 仕方なく恥を忍んで「お・ね・が・い・し・ま・す」と頭を下げる。


「全然誠意が伝わってこないけど、まあいいわ。無知な人間をからかっても空しいだけだしね」


 そんなつまらないコメントを求めてはいない。私のバーガーが冷めてしまう前に早く教えろ。


「包み紙を持って上下を潰せばいいだけ。簡単でしょうが」


 言うなり、鏑木が豪快にかぶりつく。


「ほら」


「おお……ワイルド……」


 何ということだ、思わず鏑木なんかに見惚れてしまったではないか。

 負けじと私も続く。教えられた通りに包み紙を両手で持ち、最初は恐る恐る、次第に力をぎゅっと込めてバーガーを潰す。

 ちょうど口におさまるくらいのサイズになったのを見計らっていざ尋常に勝負。

 お互いが黙々と食べているだけの五分間を経て、デミグラスソースだけが溜まった包み紙をそっと折り畳む。いやあ、美味しかった。


 格闘の跡が激しく残った口周りを紙ナプキンで拭い、絞りたてが売りだというレモンスカッシュで喉を潤した。

 そしてようやくほんわかガールズトークを再開する。


「今さらだけどさ、あんた今日仕事は?」


 そう、本日はサンデーである。しかし鏑木の仕事は美容師だったはずだ。

 失恋なんかで休もうものなら罵声を浴びせられてもおかしくないだろう。


「辞めた」


「はあ? ちょっとそれどうすんのよ」


 予想していた返事ではあったが、我々の年齢を鑑みると「あらそう」で済ますわけにはいかない。こんなやつでも十年以上の腐れ縁なのだから心配にもなる。

 ひょいと皮つきのフライドポテトをつまんだ鏑木が淡々と事のあらましを話しだす。


「だって、付き合ってた当の相手が職場の店長だからね。しかもあいつ、びっくりするくらいタコ足配線にしてやがった」


「あー、それでショートしたって?」


「全然上手くないから。あのクソ野郎の独身って言葉を鵜呑みにしてたけど、内縁の奥さんまでいたって話でさ。結局あたしは三号くらいの扱いだったみたい。舐めやがって」


「ふーん。で、ぶちギレたの?」


「そりゃもう。例の内縁女が朝っぱらからうちの美容室に乗りこんできて、開店前に超修羅場。最初はわけがわからずあたしもおろおろしてたんだけど、瞬間的に怒りがこみあげてきていきなり二人の間に割って入ってあの野郎にビンタをかましてやったのよ」


「そいつ、追及したら余罪もぼろぼろ出てきそうだな」


「累計で懲役五百年くらいのね」


 気怠そうにシードルの小瓶を傾けた鏑木だったが、いきなりテーブルに突っ伏してしまう。


「ちっくしょう……! 顔だけは本当に好みだったのに!」


 私にしてみれば恐ろしいほどくだらない慟哭である。周囲のテーブルからの憐れむような視線が刺さって胸が痛い。


「鏑木さあ、もういっそのこと目を閉じたままで男探せば? あんたの曇りまくった目より心の眼の方がよっぽど確率高いんじゃなかろうか」


「うるさい黙れ。誰が何と言おうと男は顔だ」


「懲りないやつだね……」


 ここまで成長していないといっそ清々しい。

 ようやく起き上がった鏑木は残っていたシードルを一気に飲み干し、新たにクラフトビールを注文した。健気にもノンアルコールで我慢している私への気遣いというものはこの女にないのだろうか。

 先ほどのシードルと同様、グラスは不要と断って小瓶からビールを流しこむ鏑木を、密かに私は心の中で呪ってやった。

 ぷは、と腹立たしい音を立てた彼女が「そういえば」と話題を変える。


「間宮にもシーから連絡きた?」


「あったあった。シーちゃん、研究職の旦那さんと一緒にカナダ行きなんでしょ? カナダかあ、寒そうってことくらいしか想像がつかないや。あとメイプルシロップ」


「結婚式で会ったきりだけど格好いい人だったよね。眼鏡がこよなく似合うああいう知的な男性もぐっとくる」


「おまえはまたそれか」


「それ以外に何がある」


「人は恋愛のみにて生くるものにあらず。他にもいろいろあるでしょうに」


 諭しにかかった私の言葉に納得がいかないらしく、「何かさ、匂うんだよね」とねめつけるように鏑木が絡んできやがった。


「間宮あんた、今日はやけに余裕があるじゃない。前はもっと『男ほしい!』みたいにがっついてたのに。まさか……」


「甚だしい事実誤認に基づくお話に対しては返答いたしかねます。ま、より大人の女になったってことでしょ。そういう気品ってのは内面からにじみ出てしまうものらしいし?」


 こいつの勘の鋭さに一瞬焦ってしまった。もっとも、私は誰ともお付き合いはしていないので嘘は言っていないはずだ。

 八子先生と鵜野シェフが正式に交際を始めてすぐ、私と千尋くんも交えてのダブルデートになったことがあった。

 宮坂先生からの提案であり、八子先生が乗り気となっては私に断る術などない。外堀と内堀を埋められては籠城さえできぬ。


 このことがきっかけとなって千尋くんとは何度も会うようになった。二人きりで。だけどこれが恋愛関係じゃないことは私にも、たぶん彼にもわかっている。

 会えば楽しいし話も弾む、でも長くは続かないのだと。


 恋はハートでするものなんだよ、と力説していた恋愛バカの鏑木を散々からかい倒したことを思い出す。あれはたしか、成人式で久々にソフトボール部の顔触れが集まったときの一コマだったはずだ。

 まったく、笑えないったらありゃしない。ようやく大人になれたはずの今になって、学生時代の言葉が自分に跳ね返ってくるとは。

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