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 中学生だった私は基本的に優等生として扱われていた。教員からも、生徒からも。要領がよく成績優秀なためクラスをまとめる役割を振られる機会も多かったが、それだって気乗りはせずともそつなくこなせていたはずだ。

 私はたぶん、他人に期待というものをまるでしない子供だった。

 ゆえに「学校生活かくあるべし」といった理想など何もなく、ただクラスに大きな分断さえ招かなければそれでいいと割り切っていたように思う。

 よく言えばクール、ストレートに悪く言えばいやな子供だね。


 そんな「優等生」に、どうしたことか「血の気が多すぎる」なる不穏な枕詞がついて回るようになったのは間違いなく鏑木のせいだ。

 歯車が狂いだしたそもそもの元凶は、上級生が引退したソフトボール部で私がキャプテンになってしまったことにあるだろう。

 さすがに無理だと固辞しまくったものの、「おまえしかいないんだ、間宮」という顧問の口説き文句に折れざるを得なかった。


 実際に彼の言う通りだった。

 先輩たちは非常にスマートで知的な集団だったのに、なぜか私の代は学年中の脳筋女子をかき集めてきたような連中ばかり。

 貧乏くじだとわかっていても私が引き受ける以外に選択肢がなかったのだ。

 ポジションはキャッチャー、打順はクリーンナップ、そしてキャプテン。これだけを並べるとまるでチームの大黒柱みたいだが、当時の私にとってそこまでの責任を背負うのはひたすら荷が重かった。

 今にして思えば、手のつけようもなさそうだったあの部をどうにかまとめようと奮闘した日々が、巡り巡って教師としての私に寄与していると断言できる。

 けれども中学三年生の女の子にはそんな未来のことなんてわからないし知りたくもない。


 なかでもひと際扱いが面倒くさかったのが、ショートを守りトップバッターでもあった鏑木佐智だ。

 私が見てきた選手たちの中でも彼女のセンスは攻守ともにずば抜けていた。

 しかしそれを打ち消して余りあるほどの気分屋だったせいで、うちの部の戦績は残念なことにまるで安定しなかった。

 あいつの存在感が強すぎてよくも悪くも部全体が引きずられてしまうのだ。


 らしくないと承知しつつも私は何とかそんな空気、体質を変えようと試み続けた。

 別に「目指せ全国大会!」といった熱血になったわけではない。ただ、もったいないなと思っていた。

 鏑木の才能をおそらくは誰より高く評価していたし、そのポテンシャルを活かし切れないのがどうにももどかしかった。

 いつしか私は身勝手にも彼女に期待してしまっていたのである。


 だが鏑木は変わらなかった。

 柄にもなく辛抱して彼女の気分屋ぶりに付き合い続けてきた私の、堪忍袋の緒が切れたのは中学総体市予選直前の練習試合でのことだった。

 あのときのやつからはとにかくやる気の欠片も感じられなかった。

 緩慢な動作でボールを追いエラー、もしくは悪送球。打席に立てばへろへろスイングで簡単にアウトをとられる。その繰り返し。


 最初こそどうにか鼓舞しようと頑張っていた私も次第に苛々が募ってきた。

 掛ける声がどんどん刺々しくなり、いつもなら私たちの不仲をからかいのネタにしてくる周りの脳筋女子たちでさえ心配そうな表情を見せるようになる。

 もはや一触即発。

 そして私はついにベンチであいつの胸倉をつかみあげてしまったのだ。


「おまえふざけてんのかこら、やる気がねえなら目障りだからとっとと出ていけよボケが」


 すっかり頭に血が上ってしまい、普段なら絶対口にするはずのないフレーズがするっと出てきてしまう。

 死んだ魚のような目で私を見遣った鏑木からの返事は容赦のない頭突きだった。


「バカみたいに何一人で頑張ってんの。間宮、あんた鬱陶しいよ」


「こっちのセリフだろうが!」


 じんじんと響く頭の痛みにかまわず、私は鏑木の右頬を全力で張り倒した。そこからはチームメイト同士での見苦しい乱闘だ。

 当然のごとく練習試合は即刻中止となり、顧問は先方へ平謝り、私と鏑木は三日間に渡って部活動を禁じられ、厳しい説教を何人もの教師から持ち回りで頂戴する羽目となった。私、優等生のはずだったのに。


 ここで話は終わらない。

 謹慎処分が明けた日の放課後、禊を済ませるかのように職員室で最後の説教を受けてから制服のままでまずグラウンドへとやってきた私は、ずらりと並んだ部員たちから笑顔の出迎えを受ける。


「マミーの姐さん、お勤めごくろうさまです!」


 あきれ返った私は無言のままでその脇を通りすぎた。

 ざっと見たかぎりでは鏑木の姿はグラウンドにない。きっとこのまま退部するだろうな、と思ったが知ったことか。

 慌ててクラスメートでもある四条香子が追いすがってくる。

 シーちゃんと皆が呼ぶ彼女だけは、三年生部員の中で脳筋カテゴリーから外してもよさそうな唯一の存在だ。


「ちょっとちょっとマミー、無視は止めてってば。まるであたしたちが滑ったみたいな感じになるし」


「充分滑ってるのでご心配なく」


「冷たいっ。でもそんなマミーが好き! ところでさ、カブの話聞いた?」


「私の前であいつの話はすんな。胃がむかむかしてくる」


 きつく釘を刺したつもりなのだが、常日頃から人の話を聞き流している節のある四条にはまったく届いていないらしい。


「カブさあ、彼氏に二股かけられてたらしいよ。ほら、マミーだってさすがに知ってるでしょ、二組の津村くん。女子の間じゃすっごい人気だもん」


「ああ、あのいかにもナルシストっぽいやつか。あんなのと付き合うって、鏑木は男子を見る目もないね」


「そこは同感。男子から耳に挟んだ情報じゃ、二股がばれた津村くんに開き直られたあげくひどい振られ方をされたみたいだよ。これまでカブが送ったメールとかを他の男子たちに流してさんざん笑い者にしたらしいし。正直クズい」


「アホだな、鏑木は。本っ当にどうしようもないな」


 そう言いながら私は学校指定である手提げ鞄のファスナーを全開にした。

 教科書やノートが入っているのを意に介さず、近くにあったボール籠から無造作にソフトボールを放りこんでいく。


「だからさ、仲直りしろとまでは言わないけどカブと一時休戦してほしいんだ。来週があたしたちにとって最後の大会なんだし、できるだけ長く一緒にやりたいんだもん……って、さっきからマミー、いったい何してんの」


 怪訝そうな四条をよそに、私はボールが詰めこまれたせいでぱんぱんに膨らんだ鞄を眺めて大きく頷いた。


「シーちゃん、これで殴られたら痛いと思う?」


「痛いに決まってるでしょうが」


 わかりきったことを聞くなと言わんばかりの口調に私は満足する。


「さて、ちょいと野暮用を済ませてくるから」


 震える手で鞄をぶら下げ、校舎へと戻るべく踵を返した。目的地は三年二組、標的は津村某。おそらく放課後でもだらだらと駄弁っていることだろう。

 決して鏑木に同情したわけではない。あいつにそんな余地はない。

 何に対してなのかもわからないまま、全身が発火したかのごとくただただ私は怒っていた。


 都合のいい矛先として津村某はこの直後、常軌を逸した女子生徒からタコ殴りの憂き目に遭うわけだが、意外にも大きな騒動にはならなかった。

 被害者である彼が大した怪我をしていない上、普段の行いが祟ったのか友人と思しき連中ですら彼の味方をしようとせず、おまけにあずかり知らぬところで「仲間思いの間宮が決死の覚悟で男子相手に殴りこみ」なるストーリーが作られていたからだ。


 最後の点については何度も四条に問い質したのだが、そのたびに「何のこと?」と小首を傾げられるばかり。

 おまけに彼女のその仕草がとても可愛かったので、私も必死になってマスターしたのはまったく若気の至りという他ない。

 翌週、幸運にも特に処分を下されることなく臨むことができた中学総体で、我がソフトボール部は県でベスト4というこれまでで最高の成績を残した。

 とりわけ鏑木の活躍が素晴らしかったのを、私は今でも鮮明に思い出せる。

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