4-3

 四人掛けの黒いテーブルの上には所狭しとオーダーした料理の皿が並べられていた。それらをつまみつつ、ああでもないこうでもないと私たちは頭を捻る。

 すでに私が唱えた「八子香織特攻作戦」は他の三人から却下されていた。


「ええー、なんでよー。彼女も黙ってさえいればクールビューティーなんだし、ひたすら口説いて押しまくればどんな男の人だって落ちるんじゃないの?」


「間宮さんは男をどれだけ単純な生き物だと思っているんですかねえ……」


 渋い表情をした千尋くんからクレームがつき、晶奈ちゃんからは「ユーキさん、モテそうなのに案外恋愛経験が少ないんですねー」ととんでもないビーンボールが飛んできた。

 というか直撃だよ! ちょっと審判、これって危険球退場になるんじゃない?

 そして頼みの綱である宮坂先生さえも。


「さすがにそのやり方は性急すぎるかもです」


 微笑みとともに私の案は斬り捨てられたのだ。

 現在、議題は宮坂先生の案へと移っている。まずはお互いをゆっくり知っていかないと、そう主張する彼女の提案はダブルデートだった。

「中学生か!」と叫びたい気持ちをぐっと抑えて、二杯目のトラピストビールを喉に流しこんだ。


 でもまあ、実際のところその容姿に反して八子先生の恋愛レベルは今の中学生レベルくらいなのかもしれない。私に言われたくはないだろうが。

 宮坂先生が語る。


「わたし、八子先生にはなかなか話しかけられなかったんです。綺麗だし、いつでも凜としていて隙がなくて。とてもじゃないですけど今みたいに親しくできるなんて考えたこともありませんでした」


 うんうん、彼女、猫みたいに警戒心が強いからね。

 私と八子先生という組み合わせはよほど奇異に映るのか、しばしば「お二人はどういういきさつで親しくなったんですか?」などと質問されることがある。


 別に何でもいいでしょ、と言い放ちたいのはやまやまだが、大人というものはそうもいかない。仕方なしに熱演込みで面白おかしく話す羽目になる。

 八子先生はあまり触れられたくないようだが、それもそのはず。彼女にしては珍しく間の抜けたエピソードだからだ。

 私はむしろ可愛らしいと思うんだけどなあ。


 孤高の新採、それがかつての八子先生につけられた二つ名だった。

 誰とも群れようとしないがすこぶる優秀。前年の新採で入ってきたとある教員とはまあ控えめに言って雲泥の差である。

 ある日の放課後、そんな彼女が教職員用の女子トイレで四つん這いになっていた場面に出くわした。あまりに似つかわしくない衝撃的な光景だ。


「八子先生、どうかされましたか」


 会話らしい会話を交わしたこともない後輩相手に親身ぶってみせる私だが、彼女からの返事は「別に。お気になさらず」というけんもほろろなものだった。

 さすがにむっとしたのだ、私も。だからあえてスルーしてしゃがみこみながら「コンタクト?」と笑顔で訊ねてやった。


「そうです。大丈夫ですからお気になさらず」


 同じセリフの繰り返しであっても、今度は軽く苛立ちを含んでいるのがわかる。

 よし、と私は決意した。いつだってクールな佇まいを崩さないこの後輩に、何としても感謝させてやろう。できれば照れながらがいいね。

 そう思ってちらりと彼女の顔を盗み見た私はとんでもない事実に気づいた。


「あはははは!」


 八子先生を指差し、思いきり声を上げて笑ってしまった。

 当然彼女は気分を害するわけで。


「いったい何なんですか、間宮先生……!」


「ここ、ここ!」


 まだ笑いながら指し示す先を自分の髪の毛へと変える。

 セミロングの八子先生と当時は今より短かったベリーショートの私、長さには結構な差があるが意図は伝わった。

 すぐに彼女も髪の毛にくっついていたコンタクトレンズを見つけた。


「ありがとう、ございます……」


 そうして私は消え入りそうな声でのお礼の言葉と、整った顔を真っ赤にした八子先生を拝むことができたのだ。このときの彼女はもう可愛いったらなかった。

 だからそれからもちょっかいを出し続けた。まるで小学生男子のごとき単細胞ぶりだが、迷惑がりながらも八子先生は少しずつ私との距離を縮めてくれた。

 うん、やっぱり猫だよ。


 あの子が本物の恋に落ちたのであれば、全力で応援するしかないじゃないか。

 しかも彼女の背中を押そうとしているのは私だけじゃないからね。


「男性だって同じじゃないかなって思うんですよ。やっぱり綺麗な女性相手だと気後れしてしまう部分もあるんじゃないでしょうか」


 ねえ千尋、と宮坂先生は姉としての顔を見せる。


「前に言ってたもんね。お姉ちゃんの友達は二人とも綺麗だって」


 そう口にして、私へ向かって意味ありげな視線を送ってきた。

 は? もしかして、その二人って八子香織と間宮夕希ってことなの? 

 私調べでは一括りにはできないほど相当な格差があるはずなんだが。距離にしておよそ九マイル。

 九マイルは遠すぎる、そうハリイ・ケメルマンも小説で書いていたというのに。


「うおい! ちょっとお姉ちゃん、いったい何言ってくれてんの!」


 慌てふためく千尋くんに、彼の顔をにやにやしながら覗きこむ晶奈ちゃん。

 仕方ない、まったく同意はできないがここは乗っておくとしますか。


「お、なんだなんだ? 私のことをおばさん扱いしておきながら実はこっそり惚れてましたってパターン? 素直になれない系? ふふーん、それならさっきの暴言をチャラにしてあげるのもやぶさかじゃないよお」


 対角に座る千尋くんへ向かって、わざとらしいアヒル口を作りながらからかい気味にまくしたててみた。

 てっきり猛反発を食らうだろうと思っていたのだが、予想に反して彼は髪を掻きあげたあとひとしきり黙りこくってしまった。調子狂うなあ、もう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る