3-5

 食事が美味しいと会話も弾む、そういうものだ。いや、逆でもあるか。

 ただし私にとっては防戦一方のトークでもあった。

 八子先生が私の恋愛事情を根掘り葉掘り聞きだそうとし、宮坂先生もそれに同調する。その流れが常だったからである。


 いや、別に隠しておきたい事柄があるわけではない。不倫の恋をしているはずもないし、生徒にだって手は出していない。

 むしろ結婚を強く意識する年齢であるはずなのに浮いた話がまるでなく、しかもそのことを私自身何ら気に留めていないことが問題なのだ。


 教師になりたての頃と比べると、私を見る周囲の目が変わったとよく感じる。

 かつての私を「大学出たてのお嬢ちゃん」として扱っていた年配の先生方から意見を求められることが増え、保護者の方から信頼していただいていると実感する機会も多くなった。


 教師という仕事と自分の存在が不可分のように感じられだした現在、いったい私はどう生きていこうとしているのだろうか。

 結婚しようという意思がないわけではもちろんない。これからの人生をともに生きていこうと思える相手がいるなら願ったり叶ったりだ。


 だが、仕事が大きなウェートを占める日々においてそんな人と偶然巡りあう確率なんて、はっきりいって天文学的すぎる。

 この間出席した結婚式で久々に会った未婚の友人の中には「婚活パーティーに出まくってやる」と息巻く猛者もいた。

 実際、そのくらいしなければチャンスなどやってこないのだろう。


 とはいえ結局のところ、私は今の生活に満足している。

 今日のように親しい友と呼べる人たちとたくさんおしゃべりをし、美味しいものを食べる。それだけで充分なのだ。

 そんな本音は出すことなくのらりくらりと二人からの追求をかわし続け、楽しかった一日はとうとう終わりを迎えようとしていた。


「では、そろそろお暇しましょうか」


 私がそう口にしたときには、すでに他の客は退店して帰路に着いていた。

 ゆっくり時間をかけてコースを楽しんだとはいえ、いちばん最初に来た客が最後まで残っていたとはこれいかに。

「わたしも出しますから」と意外なほど強情だった宮坂先生を何とか押し切り、テーブルチェックを済ませた私たちはようやく席を立った。


「ありがとうございます」


 笑顔の千尋くんがさわやかに声をかけてくれる。内心は「長いよあんたら」だろうに、なかなか見事なものである。

 上半分はガラス張りになっている壁の向こうのキッチンから、短く髪を刈りこんでいる鵜野シェフも姿を見せた。

 強面という印象こそ変わらないが、これから真剣勝負が始まる夕暮れ時とではやはり顔つきが違う。懐の深さを感じさせる、穏やかな表情だった。


「本日はどうもありがとうございました」


「こちらこそ、本当に美味しい料理をいただきました」


 宮坂先生の言葉に合わせ、私と八子先生も「ご馳走さまでした」と頭を下げる。


「おまけにデザートも特別にしていただいて。申し訳ないくらいです」


 そう、スタッフの姉ということで私たちのテーブルにはデザートが一皿追加されたのだ。

 カロリーなどという無粋なフレーズは一瞬たりとも頭をよぎりはしなかった。

 鵜野シェフは目を細めて私たちの後ろにいる千尋くんを見遣る。


「いえ。千尋にはずいぶんと助けられておりますから」


「ちょっ、シェフ、身内の前でそういうのやめてくださいよ!」


「なあに照れてんだ。十年早いわ」


 わりと本気で嫌がっている千尋くんに対し、腰に手を当てた鵜野シェフは笑う。何というか、とても不器用な笑顔と形容するべきかもしれない。

 近いうちの再訪を約束し、二人に見送られながら私たちは外に出た。

 ドアを開けた途端に押し寄せてくる外気の蒸し暑さは、ちょっとした贅沢な夜から否応なく現実に引き戻してくれる。

 やれやれ、明日からまた一週間が始まるねえ。


「それにしてもあのシェフ、威圧感が半端じゃなかったなー」


 私がそう言うと、宮坂先生も「ですね」と応じる。


「でも、あの方なら厳しさと愛情を持って千尋を指導してくださるでしょう。やっぱり気になっていましたし、安心しました」


「私もあんな風格がほしいっす」


 いつもならここで八子先生から手厳しいツッコミが入る。

 その感覚に慣れてしまっていた私は、何も言われないことにむしろ物足りなさを覚えてしまった。習慣って怖い。

 からかい半分なノリで私は彼女に言った。


「そういや八子先生、コースが終わりかけたあたりから口数が少なくなったね。もしかして酔った?」


「いえ、そういうわけではありません。ご心配ありがとうございます」


 ますますおかしい。憎まれ口のひとつでも叩いてくるのが本来の八子先生なのだが、もしかしたら体調を崩したのだろうか。

 レストランからの短いアプローチを抜けて、私が運転してきたやや古い四駆車までやってきた。購入してからすでに二度フルモデルチェンジをはたしている車種だが、父親の形見でもあるのできちんと動くうちは買い替える気になれないでいる。


「あの、宮坂先生」


 ドアに手をかけた八子先生が何かを決断したようにはっきりと口を開く。


「何でしょう」


「先ほどのシェフの方、おいくつくらいなんでしょうか」


「正確なところはわかりませんが、千尋の話だと三十の半ばだったはずです」


「じゃあ、奥様らしき方を今日は見かけませんでしたが、ご結婚はされていらっしゃるんでしょうか」


「独身だそうですよ。そこは千尋がはっきり言ってました」


 ここまで聞いた八子先生は大きく息を吸い、長い時間をかけて吐きだした。


「ありがとうございます。じゃあ、まだわたしにもチャンスがあるってことですね」


「──はい?」


 思わず反射的に聞き返してしまった。

 宮坂先生も私と同じだったのだろう、「え……っと、あの、八子先生?」と困惑した調子で訊ねる。

 そんな私たちの様子にはかまわず、八子先生は名残惜し気にレストランの方向を振り返った。


「先ほど帰りの挨拶をしていただいたときにはっきりとわかりました。わたし、あの人を好きになってしまったんです。こういうのって一目惚れ、なんでしょうね」


 あんなに可愛い男の人に会ったの、生まれて初めてなんです。

 可愛い。断じて私の聞き間違いなどではなく、たしかに彼女はそう言った。

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