3-3

 淹れたての煎茶から湯気が立ちのぼっている。


「いやー、何だかとっても贅沢な気分」


 湯呑みから唇を離して一息つく。

 お茶うけにどうぞ、と宮坂先生が切り分けてくれた羊羹とともに味わえるのがまたいい。羊羹は八子先生いわく、近所にある老舗の和菓子店のものだそうだ。後でまた名前を確認しておこう。

 ほんのちょっと荷作りの手伝いをしただけだというのに、まったく何から何まで至れり尽くせりである。うん、私も心の底から宮坂先生と結婚したい。


「あの、本当に見るんですか? 別に面白いものなんてありませんよ」


 当の宮坂先生は困ったように眉を寄せつつも、アルバム数冊を抱えてダイニングテーブルまで運んできたところだ。


「見たい見たーい」


「ぜひ。幼かった頃の写真、とても興味あります」


 梱包していたときからこうやって私と八子先生が無理を言い続けたがために、彼女は自分の写真を公開する羽目になってしまった。

 申し訳ないという気持ちもあるにはあるが、それよりは恥ずかしがっている宮坂先生をからかいたい嗜虐心が勝る。

 どれどれ、さっそくお写真拝見。などと余裕をかましていたら。


「ふおお!」


 いきなり変な声が出てしまった。


「ちょっと、びっくりするじゃないですか」


「わたしもです。間宮先生、今の声はいったいどこから」


 八子先生と宮坂先生がそれぞれ反応するが、こちらにだって驚くに値するちゃんとした事情がある。

 だってまだ小さいラッキーがそこかしこに写ってるんだよ? あまりにも可愛すぎるでしょうが!

 コンタクトの調子が悪いらしく、先ほどから眼鏡に替えている宮坂先生がアルバムを覗きこんできた。


「あ、このへんのはわたしが中学生だった頃に遊びで撮ってた写真ばかりですね」


 一時期カメラに夢中だったんですよ、と彼女は言った。

 ありがとう、当時のまだあどけない宮坂先生。あなたのおかげで今、私はこうやって幼いラッキーの姿を目にすることができるのだから。


 うちのレオもいっぱい写真を撮ってあげていればよかったな。ちなみにレオというのは間宮家で飼っていた猫だ。

 私が小学校に入学したばかりの頃に家族となった彼女もずいぶん長生きしてくれたが、さすがに寿命には勝てない。


「ではこのいかにもいたずら小僧っぽい男の子が千尋さんですか」


 私越しに八子先生が訊ねる。うーん、たしかにやんちゃそうな面構えだ。


「はい。あの子の外見上の変遷はたどっていくと結構面白いですよ」


 そう言って宮坂先生は別のアルバムを開く。


「これは千尋が中学一年のときの写真です。両親も私もこの頃まではすごく甘やかしてました」


 そこには精いっぱいの背伸びといった体で制服を着崩し、カメラを向けていた家族の誰かに対して中指を突き立てている茶髪の少年が写っていた。

 大人になって見返すと非常に恥ずかしいであろう、男子あるあるだ。


「おお……これは……」


「指導対象ですね、間違いなく。男子生徒には一切容赦しないうちの安村先生だったら即刻バリカンで刈ってしまいそう。そしてクレームが来そう」


「そんな八子先生の声にお応えして、次はこちらの高校生編を」


 宮坂先生もずいぶんと乗ってきた。頁を繰って新しく現れた写真には、折り目正しく標準の学生服を着用し、直立不動での姿勢をとっている丸刈りの少年がいた。


「うわっ、誰これ! 同一人物?」


「何といいますか……高校球児っぽくなりましたね」


 お茶を口にしていたら間違いなく吹きだしていただろう。危ないところだった。


「八子先生の見立ては当たらずとも遠からずです。あの子が入った高校はバレーボールの全国的な強豪校でして。練習もさることながら生活面の指導も軍隊的な厳しさだったらしいですよ」


 宮坂先生の話によると、千尋くんは中学一年当時のクラス担任が顧問をしていたバレーボール部に半ば無理やり入部させられたらしい。もちろんご両親の了解の元に。

 その結果がこの写真だ。当初はいやいやながら活動していたのだろうが、どうやら競技との相性がよかったらしくめきめき実力をつけて頭角を現したのだそうだ。まったく、えらい更生っぷりである。


「千尋くん、思いのほかガッツあるな……」


 私が漏らした感想に八子先生も「同感です」と頷く。


「でもあの子の代だけ夏の全国インターハイに出そびれたというか、県大会決勝でまさかの敗戦となってしまって。二十年くらい連続で全国大会への出場を果たしていた学校ですから、OBたちからも『伝統に泥を塗った』と相当叩かれたみたいで。あの頃の千尋はちょっと見ていられないくらい落ちこんでいました」


 その結果、と彼女はまたアルバムの紙をめくる。大学生編だ。今度はわりとさわやかな雰囲気に仕上がっている。

 だが、どちらかというと──。


「うわ、チャラい」


 そう、八子先生が一言で切って捨てた通りなのだ。

 宮坂先生もそれを聞いて「ですよねえ」とため息をつく。


「姉の身びいきかもしれませんが、基本的に何でもそつなくこなす器用な子なんですよ。人当たりも柔らかいから誰とでも調子を合わせられますし。姉弟といってもわたしとは全然違うタイプなんです」


「なるほど。つまり、大学時代は遊びにはまったと」


「そうみたいです……。おかげで就活にも出遅れてあっさり全滅、途方に暮れていたところへ今のお店のシェフから声を掛けられて。何でも高校のバレー部の有力なOBで、千尋たちの学年を擁護してくれた数少ない一人だったらしくて。千尋が言うには、熊みたいな体つきでかなり厳しい方なんだそうです」


「そりゃ断りにくい」


 状況を想像して私も苦笑いする。体育会系の部活では、そのシチュエーションでNOと言うのはかなり勇気のいる行為だと知っているから。

 同時に、恩を感じている先輩に頼まれれば応えようとする、千尋くんはそういう一面も持ちあわせた青年ではないだろうか。


「弟さんとその熊みたいなシェフ、二人がどんな感じで働いているのか一度見てみたいですねえ。宮坂先生はもうそのお店に行かれたんですか?」


 私がそう口にすると八子先生は「気をつけてくださいお姉さん、ここのモテない教師が狩人の目になってますよ」などとからかってくる。


「違うわバカモノ」


 と彼女の頭に軽くチョップを食らわせてやった。


「それがですね、あの子には『絶対来るなよ』と止められていまして」


 宮坂先生の言葉にほほう、と相槌を打った私はすぐさまスマホを取りだす。さすがに八子先生はこれだけで察したらしく肩を竦めていた。


「お二人さん、今晩の予定は空いてますかな?」


 満面の笑みを浮かべ、紳士な私は二人のマドモアゼルをフレンチレストランでのデートに誘う。

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