2-5

 家に帰ってきてすぐに二人からもらったチョコレートを仏壇に供えた。


「どうよ、モテるでしょ」


 手を合わせて拝んだ私は、脇の小さなテーブルに飾られている写真立ての中のまだ若い父に向かい、得意げにそう話しかけた。


 我ながらなかなか面倒な子供時代だったと思う。よそ様から猪突猛進型と言われることもあれば、案外ねちねちしているねと吐き捨てられたり、ぼーっとしすぎて人の話を聞いていないと詰られることもしょっちゅうで。

 みんなが真剣に会話しているとつい茶化してしまうところなんて今も変わっていない。周りの大人たちにしてみれば相当につかみどころがなかったはずだ。


 そんな私に父はいつだって味方してくれた。

 母が烈火のごとく怒っているときでも一緒に謝ってくれた。

 特に夢だとかそういうわけではなかったが「学校の先生になろうと思う」と打ち明けたときも、「夕希ならきっといい先生になれる」と背中を押してくれたのだ。

 その言葉は裏切れない。


 昔のことをつい思い返してしまうようなニュースから始まった今日、私の世界は少しだけ、でもたしかに広がった。

 私たちは気づかない間にいろいろなことを思いこんでしまっている。たとえばチョコレートを食べるときの適切な温度なんかもそうだ。

 幼い頃からずっと「チョコレートは冷やして食べるのが美味しい」のを当然だと考えていたが、そうではないと教えてくれたのが父だった。


 東京へ出張していた父は、それまでお目にかかったことのない高級チョコレートブティックの商品をお土産として持ち帰ってくれたのだ。

 だからブランドに疎い私でもその店の名前はいまだにちゃんと覚えている。

 高校生だった私のテンションはもちろん上がった。ひゃっほう、と喜び勇んですぐにその高級チョコを冷蔵庫に入れようとした。とにかく冷やせばいいのだ、と。


「夕希、ちょっとストップ。チョコレートにもちゃんとした食べ方があるんだよ」


 少しだけ笑ったような表情が私の覚えている父の顔だ。このときももちろんそうだった。


「20℃前後、そのくらいの温度で食べるといいチョコレートと安いチョコレートとの差がはっきりわかる。冷やしてしまうと一枚100円の板チョコとの違いもよくわからなくなるからね」


「ほえー」


 まったくの初耳だった私は驚いた。

 何より、父がそんな知識を持っていることに。


「でもお父ちゃん、なんでそんなこと知ってんの? 世のおっさんたちに絶対必要とされてない雑学でしょ」


「うちはお母ちゃんが大雑把だからなあ。言葉にしてしまうと照れくさいけど、ちょっとでも美味しいものを食べてほしいじゃないか。だからいろいろと勉強してみたんだよ」


 出世にはまったく関係ないんだけどな、と照れくさそうに言った父を私がからかい、あまりにそれが楽しそうだったからか母がやきもちを妬いて絡んでくるという落ちまでついた。


 父は私の大学卒業まで生きられなかった。

 定期的に検診も受けており、年齢的にある程度の体の衰えはあったらしいものの、どこかが特に悪いとは聞かされていなかった。

 人生ってのは私の願ったようには進んでくれない。


 トイレにでも行こうとしていたのか、とても寒かった四年前の朝早くに父は大きな音を立てて倒れ、救急車で病院に運ばれたもののその日の正午すぎには息を引きとった。心臓に原因があったのだろうというのが医師の見解だったが、遺体の解剖は断固として拒否したため正確なところはわからない。

 二月十四日、バレンタイン・デイ。それが父の命日だ。


 もうどこにもいなくなって初めてその取り返しのつかなさに私は愕然とした。

 何も変わらないのが日常だと思いこんでしまっていたのだ。あまりの現実感のなさからようやく我に返ったとき、私はただひたすら泣いた。

 ああ、思い出した。父の亡骸をお棺に入れるとき、私は生前の父が大ファンだった桜井虎太郎のサイン色紙も一緒に置いたのだ。父とともに灰となったその紙には彼による直筆で「不撓不屈」と記されていた。


 葬式が終わって幾日も母が様々な手続きに忙殺されているなか、まだ私はめそめそしているだけだった。そんなとき、唐突にあのサイン色紙に力強く書かれた「不撓不屈」の文字が鮮明に浮かんだのだ。

 これはきっともういない父からの最後のメッセージなのだと私は思った。

 いつまでも夕希がそんなんじゃおれは安心して逝けないよ、そう言い聞かせてくれているのだと。


 時の流れは早すぎて怖いほどだ。

 もしかしたら気づかないくらい少しずつ、少しずつ。

 私は大事なことを忘れていっているのだろうか。しっかりと両手で抱えているはずの鞄に開いた小さな穴から荷物がこぼれていってしまうように。

 だとすれば抗わねばならない。もちろん世の中には思い出せなくなるくらいの方がいいことも数多くあるだろうが、こればかりはどうあっても忘れるわけにはいかないのだ。


 だから前日である明日は母とデパートへ出かけ、二人で父へのチョコレートを買う。それもたくさんの種類を。三年前も、二年前も、一年前も私たち親子はバレンタインが近づくとそうやって過ごしてきた。

 ただ、今年はちょっとだけ違う。私は二人の友人を家へと招いた。

 かつて私の弱さを全部受け止めてくれたとても大切な友人と、おそらく同様の存在になっていく予感のする人と。


 この四年間、私にとって二月十四日は悲しみの象徴のような日だった。でもずっとそのままではいけないのだとも思う。

 変わることを恐れないでいよう。

 まだたかだか二十六年の人生だが、そこには誇れる日も、なかったことにしてしまいたい日も、荒ぶった日も喜びに弾けた日もあった。そんな日々をこれからやってくる未来へつなげていくために今は亡き父へと私は祈る。

 そう、私にとってバレンタイン・デイとは祈りの日なのだ。

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