第23話 読者・リスナーに向けて発信してるのを忘れない
小説は誰に読んでもらうために書くのか。読者である。
配信は誰に見てもらうためにするのか。リスナーである。
自明の理のはずだが、意外とそれを忘れてしまう人がいる。
Youtubeの高評価や小説投稿サイトの星を欲しがるのに、見る側を軽んじて、作る側同士の付き合いばかりに血道を上げてしまう人もいるのだ。
もちろん作る側の付き合いも大事だろう。
それによって得られる刺激もあると思う。
だが、創作仲間の中の評価が得たくて、書き始めたのか?
そうではないはずだ。
自分はすぐにお店に例えがちだが、例えば創作者がパン屋さんとして、美味しいパンを焼くのは誰のためか。
買いに来てくれるお客さんのためである。
それがおいしいパンをお客さんに提供するより、パン屋仲間に評価されるために変わったパン作りにばかり血道を上げるようになったらどうなるか。
お客さんはそれをうれしいと思うだろうか?
もちろんあなたが研究者とかで、研究をして学会の中で認められるのが目的ならばそれで良いのだ。
だが、もし、あなたが多くの人に読んで欲しいなら、多くの人に配信を見て欲しいなら、読者・リスナーに向けて発信してるのを忘れないで欲しい。
個人的には発信者は孤独でいいと思うのだが、孤独を嫌う人も多い。
それゆえに仲間を求め、つるんだりする。
その結果、仲間同士で遊んでばかりになって、見てくれる人を置いてけぼりにしてしまう人たちもいる。
ここで見てくれる人がいなくなって、まずかったと気づく人はいいのだが、拗らせてしまうとこんなことを言い出す。
「しょせん、発信側じゃない人たちなんて、物のわからない連中なんだよ」
俺たちは特別、私たちは高尚。
そんな錯覚に陥ってしまって、本来の目的を忘れてしまうのだ。
小説家になりたかったのではないのか?
人気VtuberやVシンガーになりたかったのではないのか?
それを支えてくれるのは多くの「見る側」の人たちのはずなのに、同じ創作者発信者とつるみ「俺たちの芸術は高尚だから、しょせんあいつらには理解できない」という態度でいて大丈夫なのか。
仲間内でつるんで褒め合う環境は楽しいだろう。
評価されなくても、俺たちの高尚さを理解できない奴らばかりだと言ってれば楽だろう。
でも、本当にそんなことのために始めたのか?
創作仲間の自主企画で賞を取ることは、配信仲間の個人イベントで人気を得ることがそんな大事なのか?
一番大事なのはもっと外側にいる見てくれる人ではないのか。
仲間内が出来てしまうとそこから抜け出すのは大変かもしれない。
だが、その中で、その付き合いばかり大事にしていたら、ダメになってしまうかもしれないと気づいたら、そこから抜け出して欲しい。
もし、あなたが見る側で、あなたの好きな創作者がそういう仲間内つるみに入ってしまったら……そっと離れるのをオススメする。
それが楽しい内は何を言っても聞かないどころか、心配するあなたを楽しいことを邪魔する人間と勘違いする可能性がある。
そうなってしまった人を相手にするより、見る側のほうを向いてくれる人のところにいったほうが幸せだ。楽しくなくても一度好きになった配信者だからと健気についていく人もいるが、それは相手のためにもならない。
読者・リスナーに向けて発信してるのを忘れない。
特に書くことや配信・歌うことを仕事にしたい人は忘れないで欲しいと思う。
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