第7話 推しに認知されたくないファン心理

 推し活において「認知」「オキニ」という言い方があるように、「推しに自分のことを知って欲しい」という人もいる。

 実際、リアルのアイドルの応援うちわでも「こっち見て!」というのがある。


 しかし、その一方で「推しに認知されたくない」という人もいる。

 その理由の中でもっとも「なるほど」と思ったが、「推しと1:1のコミュニケーションを取りたいわけではない」というものだった。

 

 カクヨムだけでなく、様々なWeb小説家を見ると、SNSでいろんな話をしていたりする。

 SNSなどで1:1のコミュニケーションを取ると「あ、この人、嫌だなぁ」と思うことがあるかもしれない。


 前に大物ロックミュージシャンが、ファンの悪意のない褒めた言葉に、酔って絡んで嫌なことを言ったというニュースがあったが、大物ミュージシャンでさえそうなのだから、もっと距離の近い、ネットのマンガ家・小説家、Youtuber・Vtuberなどというのは、話を普通にする可能性もあるのだ。


 特にネットを介したコンテンツだと距離はぐっと近くなる。

 本来、推し活というのは、多数:1のコミュニケーションのはずなのだが、1:1のコミュニケーションを取るようになることも多くなる。


 その結果、「すごく好きだった推しを嫌いになる」は容易に発生する。


 ネット小説家のレスバにげんなりするように、自分に向けられたものでなくても、他の人とのやりとりで(うわぁ、この人、こんなこと言うんだ……引いちゃう)となることもある。


 他人への態度でそれなのだから、自分への態度がひどければ、嫌いになるなんてことは簡単に起きる。


 推しを大好きな人は、ある種、推しに対して幻想を抱いている。

 『推しに対する残酷な幻想』で書いたが、強い幻想までいかなくても、いい人だろうと思っている。

 また、好意がある分、反動も大きい。それを人は『幻滅』という。


 そして、1:1のコミュニケーションを取りたくない人は「自分も推しに幻滅されたくない」という考えがある。


 推しにはいい面だけ見せたいのだ。

 コンサートに行く人が、可愛くおめかししていくように。

 一番いい自分だけを見せていたいという人もいる。


 それが1:1のコミュニケーションを取るようになると、疲れて余計なことをいう自分や、可愛くもない自分を相手に見せる可能性が高くなる。

 

 推しは理想、好きは現実。


 そういう風に表現する人がいるように、推しは理想の中にいて欲しいのだ。

 自分の見たい面しか見たくない。

 推しの生活面とか他人とのやりとりとか見たくない。

 だからSNSもフォローしない。

 外に出た活動だけしか見ない。

 

 同時に私のことも知って欲しくなんてない。

 私の感想とか見て欲しくない。

 推しの見えないところで友だちとキャーキャーしていたい。

 

 本ですら作者に感想を反応されると喜ぶ人もいれば、「見つかった!」と身構える人もいる。

 相手には別の世界にいて欲しい。

 等身大の同じ人間であるという感覚で接したいわけじゃない。

 1:1のコミュニケーションを取りたいわけじゃない。

 だから、推しに認知されたくない。

 

 『推し活』する人の中にも、そういう人も一定数いるのだ。

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