第6話 推しが人気になって欲しくないという気持ち

「推しの良さをいろんな人に知って欲しい! 推しの動画をたくさんの人に見て欲しい! ファンが増えて、推しが人気者になって、最終的には武道館!!」


 このタイプの『推し活』はわかりやすい。

 あと、ぶっちゃけると、人として付き合いやすい。

 「推しの動画見たよー、良かったよ」というと喜んでくれるからだ。


 また、ファン同士の交流もしやすい。

「今回の新曲いいよね~♪ 雑誌のインタビュー良かったよねー♪ 次のドラマのゲスト出演楽しみだよね♪」

 そんな風にわちゃわちゃ話すのが好きという人は絡みやすい。

 

 『推し活』でも、逆のタイプもいる。

「推しが人気になって欲しくない」「推しを知られて欲しくない」という人だ。

 

 その理由はいろいろで「推しが遠くになってしまうのがイヤ」という人から、新規のファンや同じファンでさえ排除したいという人もいる。

 

 書いてから気づいたのだが、人気になって欲しくないというのは「推してる」と言えるのだろうか。

 1話に書いた『推し活』の辞書的定義が「その人を応援する活動」だとしたら、新しいファンがつくのが嫌という行動はどう考えるべきなのか……?


「推しが遠くに行ってしまうのがイヤ」は、まだ「今のファンの中でわちゃわちゃしたい」なので、他のファンとの交流も出来そうだが、同担もイヤ、という人はどうなるのだろうか……?


 ただ、現代的に考えると……なだけで「推しを独占したい」は意外と古くからあるのではとも思う。


 元々、音楽家や画家という人たちは、教会や宮廷、貴族のお抱えだった。

 ベートーヴェンの時代まで、フリーで音楽活動をした人はいない。


 いや、ベートーヴェン後も、結局のところはお金持ちのパトロンの元で仕事をしたり、ソヴィエトの作曲家のように権力者の顔色を窺って作曲したりもあっただろう。


 お抱えの演奏家となれば、勝手にフラフラは出来ず「うちのサロンでしか弾いてはダメ」などもあるはずだ。


 そう考えると「推しを独占」は変わった考えではないかもしれない。


 また、推される側も必ずしも「たくさんの人の前に出たい」という人ばかりではなく、「自分の好きなことをノンビリやっていたい……」という人もいるだろう。

 なので「大きな舞台に立ちたい!」という人でなければ、推しが人気になって欲しくないという人が推してても問題がないのではと思う。


 問題があるとしたら「推しを独占したいけど、お金は一切払わない」タイプだ。

 推しも生活がある、お金が必要である。


「私はあなたの生活を一銭も援助しないですけど、あなたのことは独占していたいです」は、推しだって困る。

 人気者にならなくても、そこそこやっていけるくらいの応援を、独占したい側はするほうがいいと思う。


 というわけで「推しが人気になって欲しくない」という人はいっぱい稼ごう!

 それで推しを一番応援する人間になるのを目指して欲しいと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る