第12話 四年前、六月十四日〈1〉

 窓の外では朝からの雨がずっと降り続いていた。


「わたしたちには恋に浮かれる人たちの目を覚ましてあげる義務がある」


 あんたもそう思うでしょ、とわけのわからない話を葵が持ちかけてきたのは、おれたちが小学六年生だった年の六月十四日だ。

 そう、レイニー・デイ当日である。


 放課後とあってすでに帰り支度を終えていたおれが目に入らないのか、葵は滔々とアンチ・レイニー・デイの演説をしはじめた。

 こちらとしてはいい迷惑でしかない。


「レイニー・デイだなんて大層に名乗ってみたところで、所詮はバレンタイン・デイの二番煎じでしょうが。なのに男子も女子も、大人たちまでみんな浮かれてるってどういうことなの? だからわたしたちがうさんくさい伝承の真実を暴きだし、恋心に付けこんで金儲けのタネにするやつらの鼻を明かしてやるんだから。ほら、さっさと行くよ」


「どうでもいいわ……。どうせずっと雨なんだし、帰ってゲームしていい?」


「却下。泉も同意の上だし、陽平に拒否権はない」


 机を手のひらで叩き、異論を認めぬ調子で彼女に詰め寄られたら、おれにとれるアクションなどほとんど残されていない。

 ため息をつくか、仕方なく首を縦に振るか、さもなくば両方か。


「わーかったよ。一緒に行けばいいんだろ、行けば」


 外の天気そのままの気分で重い腰を上げると、廊下から泉がひょこっと顔を出すのが見えた。

 遠慮がちによそのクラスへと足を踏み入れた彼女から声がかかる。


「陽ちゃんも来るって?」


「もちろん。快く了承してくれた」


 葵は「快く」の意味をちゃんと理解しているのだろうか、と少々不安を覚えたものの、もういちいち文句をつけるのも面倒くさい。

 無邪気にも姉の言葉をそのまま信じたらしい泉がにっこりと微笑んだ。


「うちのクラスの先生が『郷土の歴史を調べてみよう』って言いだしてね。で、葵ちゃんに相談してみたら、ならレイニー・デイの由来を掘り下げてみるのも面白いんじゃないかって言ってくれて。だから今日、これから三人で調べに行ってみようよ」


 おれは渋い表情を作って葵へと視線を移す。


「おい嘘つき女。全然話が違うじゃねえか」


 だが彼女にまったく悪びれた様子はない。


「ああ、さっきのあれ? 陽平はモテないだろうから、レイニー・デイを下火にさせる方向の話なら乗ってくるに違いないって思ったのよ。僻みこそパワー」


 わたしの予想通りだった、と何度も葵が頷いている。こいつを名誉棄損で訴えたらたぶん勝てるよな、おれ。

 そんな双子の姉の隣で泉が少しだけ眉を寄せた。


「陽ちゃん、やっぱりモテないの?」


「やっぱりって何だやっぱりって」


「そりゃそうでしょ。誰が好き好んでこんな地味でもっさい男子と」


「わかった。もういい、おれは大いに機嫌を損ねた。さっさと帰って昼寝する」


「ちょっとちょっと、すねないでってば。大丈夫、陽平の魅力は外見じゃないから。性格もそんなによくないし、協調性にも問題ありだし、華もないし、将来性だってたかがしれてるけど」


「怠け者で優柔不断、なのにいざとなれば後先考えないも追加でね」


「おまえら……」


 人間、あまりに言いたいことが多すぎると渋滞を引き起こし、かえって言葉が出てこなくなるものなのだとこのとき身をもって理解した。

 周囲からはくすくす笑われる声も聞こえてくる。何て素敵な恋するレイニー・デイだ、まったく。散々じゃねえか。


 リュックサックっぽく背負うこともできる学校指定の鞄をひったくるようにしてつかみ、そのまま廊下へと向かって歩きだしたおれを有坂姉妹が追いかけてきた。


「ごめん陽ちゃん、からかいすぎちゃったね。ほら、葵ちゃんも」


「う、ごめん。言い過ぎたかも」


「はあ……。別に怒ってねえから。いいからさっさと行こうぜ」


 後ろ向きのままで手を上げ、人差し指だけを前方へ動かした。


「待ってってば。にしても陽平、どこへ行く気なのよ」


 隣に並んだ葵が訊ねてくる。


「そりゃおまえ、伝承の舞台となってるところの生き字引に訊ねるのがいちばん手っ取り早いだろ」


「わかった。葛見神社だね」


 そう言いながら逆側の隣へやってきた泉は「冴えてるね、陽ちゃん」とまたしてもにっこり微笑む。つられて葵もほんの少しだけ口元を緩ませた。

 まったく、こんな顔を見せられてしまうと、さすがにおれももうそれ以上不貞腐れるわけにいかないだろう。

 結局、この二人にはどうしたって勝てないようにできているのだ。ならさっさとあきらめた方がエネルギーの消費も少なくてすむ。


 葛見神社までは小学生の足でも歩いて三十分とかからない。ただ、やたらと長く伸びている階段を雨中に上っていく必要があった。

 どこにでも売っている安っぽい半透明のビニール傘を差したおれと、木製の柄でできたお洒落な傘を差している有坂ツインズ。

 まあ、どちらもお似合いだ。


 両脇に手すりが備えつけられているほどきつい階段を上るにつれ、だんだん口数が少なくなりながらもどうにか目的の葛見神社へと到着する。

 参拝しているカップルの姿がやたら目につく本殿ではなく社務所へと向かい、代表しておれがドキドキしながらインターホンを押した。

 すぐに「はい」という女性からの返事があった。


「あ、あの、先ほどご連絡いたしました──」


 つっかえながら話すおれを遮り、通話口向こうの女性は「あーはいはい、ちょっと待っててちょうだいねえ」と快活に応じる。

 お父さん来られたわよー、とインターホン越しに元気な声が聞こえてきてから程なく、引き戸となっている玄関の扉が開いた。


「こんな雨の中、ようこそいらっしゃいました。さ、どうぞお入りなさい」


 姿を見せたのは、とても温和そうな総白髪のおじいちゃんだった。

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