第4話 男子校、共学になる〈2〉
昨日は星見台学園にとって歴史的な一日だった。
学園の創立以来四十年余り、中高一貫の男子校として伝統と進学実績を積み重ねてきたわれらが学舎に初めての女子生徒が入学してきたのだ。
しかも一人や二人ではない。情報通のユタによれば、中等部と高等部におけるそれぞれの新入生に一定数の女子枠が確保されていたらしく、今後は毎年同様に入試が行われて本格的な共学へとシフトしていくのだという。
共学決定の第一報を知った当時の学園の雰囲気はまさに祭りそのものだった。
先輩後輩も関係なく、生徒たちは誰彼かまわずハイタッチを交わし、肩を組み、校歌を熱唱し、とめどなく涙を流しながらハグをする。
なかには喜びのあまり制服を脱ぎ捨てる者もいたが、それはさすがに周囲からイエローカードを突きつけられていた。
女子を迎える以上、男たちは紳士であらねばならない。
思春期の女子という未知との遭遇への、異様な熱量をともなった期待と不安が渦巻く空気のまま時は流れ、星見台学園は昨日の入学式をつつがなく終えた。
そしておれたち在校生の新学年初日である始業式が行われたのが今日だ。だが始業式などは前座にすぎない。
直後に続けて催される対面式こそがメインイベントだった。
対面式というのは中高一貫校独特のものだろう。一年生と四年生、つまり中学一年の新入生と高校一年の中途入学生が、一年から六年までの在校生と顔合わせをする。
この対面式があるというので寮では朝からみなそわそわしていた。
それでも例外はある。
おれのいる三十五号室がそうで、おれも同室の蜂谷誠十郎も、普段と変わらぬテンションでルーティーンを淡々とこなすだけの朝を過ごしていたわけだ。
四年生と五年生がともに暮らす高等部寮──ちなみに大学受験を控えた六年生は別棟である──は中学までとは違い、四年生なら二人部屋、五年生なら個室へと格上げされる。同室となった蜂谷という生徒は、学年の中でも目立つ有名人でありおれも以前から知ってはいた。
長く伸ばした黒髪をポニーテールに結わえた蜂谷は剣道部に所属しており、昨年の中学総体で全国大会個人の部にも出場したホープだ。
しかし彼を有名たらしめているのはその経歴ゆえではなく、極度の時代劇狂いによってであった。
学園内では常にスリッパでなく雪駄を履き、寮の娯楽室にあるテレビも時代劇が放送されるとなれば力ずくでチャンネル権を奪い取る。相手が先輩であろうとおかまいなしだ。あまりに本気の彼の前ではみな観たい番組をあきらめざるを得ない。
蜂谷と同室になってからというもの、おれは毎朝目覚めて体を起こすとまずポスターの中の三船敏郎と目が合う。かの名作『用心棒』だ。さりげない布教に勤しむ蜂谷に感化されたか、最近では悪くない寝覚めだと思っている。
身支度を整え、蜂谷と連れだって食堂に行くとすでに八割方席は埋まっていた。いつもであればもう少し出足は遅いのだが、今日という日の特別さに浮かれている野郎どもの何と多いことか。
列に並んだおれたちはごはんや味噌汁、卵焼きなどを調理のおばちゃんたちによそってもらってトレーに乗せていく。小学校の給食と同じシステムである。
瓶入り牛乳を受け取って朝食のメニューを完成させ、きょろきょろとあたりを見回して空席を探す。人見知りのおれとしては、先輩たちに囲まれての肩身が狭い食事はできれば遠慮したいところだ。
「おーいジミー、ハチー」
先におれたちの姿を見つけて声を掛けてくれたのはユタだった。
蜂谷とユタは三年間で二回は同じクラスだったはずだ。ユタが取り持ってくれたおかげで、新しいルームメイトとの生活をスムーズに始めることができたのは間違いない。そのことについてはちゃんと感謝している。
ユタも新しく同室になったやつと朝食をとっていたが、ユタが食べ終わるのを待たず先に席を立ったのだという。確かにユタには食事をたくさんとりすぎるきらいがあり、その結果はきちんと体型に反映されていた。
しかしそんな肥満予備軍の彼にも取り柄はある。自己申告ではあるがかつては少年野球のエースを任されていたらしく見た目とは裏腹に運動神経がいい、という以外にもうひとつ。
椅子に腰を下ろした蜂谷へ、手をチョキの形にしたユタが身を乗り出して迫る。
「ハチ、そろそろおれにその黒髪を切らせてみないか」
「断る。髪は武士の魂だ」
「聞いたことねえよそんなのー。なあいいじゃんかよー」
寮生は大雑把にくくると二つのタイプに分けられる。金を使うことに無頓着な者と、慢性的な金欠に悩まされる者とに。ただし仕送りを受け取った直後は前者、それ以外の大半の期間は後者という例も珍しくない。
貧しい寮生にとってプロに髪を切ってもらう行為の代償は高くつく。贅沢そのものだ。そんなわけで自然と仲間内で髪を切り合うようになるが、器用な奴、センスのある奴は黙っていても評判になっていく。
男子寮におけるそんな素人美容師の一人がユタだった。
今では「バーバー藤村」と名乗りわずかながら謝礼も受け取っているほどだ。ネーミングセンスは欠片もないが。
「そんなに切りたければ志水の髪でもよかろう」
木で鼻をくくったような蜂谷の返事にもユタはめげない。
「ジミーの髪ねー、あんまり面白みがないんだよねー。職人としてはやっぱり綺麗な髪を切りたいっていうかねー」
「おい、おまえ言いたい放題か」
こちらにも流れ弾が飛んできた。まあ実際のところ、確かにおれの髪ではとうてい蜂谷の女性と見紛うような艶やかな黒髪には及ばないけれども。
だが待て。「女性のような」髪ではなく、本物を切ることができるならそれがいちばんいいのではなかろうか。
「ユタ、想像してみろよ。もしかしたら女子の艶やかな髪を切るチャンスがこれから巡ってくるかもだぞ。どうだ」
「ん? 女子の髪、女子の髪──うおおお、それは燃えてくるな」
握り拳に力を入れて興奮しているその様子は、ユタには悪いが職人よりは変質者のほうがいくらか近い。
もちろんそんな機会が到来する確率など天文学的な低さだろう。
おれの巧みな話術のおかげで話題が逸れたにもかかわらず、我関せずとばかりに蜂谷は味噌汁をすすって「薄い」と不満を漏らしていた。マイペースか。
女子の髪を切れるという妄想的可能性に気づいてからのユタは終始ご機嫌だったし、この時間には何の問題もなかったと判断していい。
なら始業式と対面式はどうか。
始業式は台風の前に意味もなくテンションが上がったような、そわそわした雰囲気の中で進行していった。誰も校長の話など聞いてはいない。まあ、きちんと聞かなくても「自分は毎朝年の数だけ木刀を振っている」という鉄板トークに時事ネタを無理やり絡ませてくるだけなのは毎度のことなので想像がつく。
始業式をやり過ごせばみんなが待ちに待っていた対面式なのだが、率直にいえばおれは何の期待もしていなかった。特に面白イベントがあるわけでもないし、女子が加わっただけの始業式第二部でしかないだろう、と。
そうはいってもやはり祭りは身を委ねて楽しむのが正解なのだ。
隣のクラスのユタなんかはその視力のよさから「千里眼を持つ男」の異名をとっているため、可愛い女子をチェックする全権を委任されていた。
体育館の前方に在校生が詰め、空いた後方のスペースに新入生一同が入場してきた際にはあちこちから歓声があがった。もちろん、そんなことはこれまでにない。
対面式の間もずっとそこかしこでひそひそと会話が交わされていたのだが、それが大きなどよめきに変わったのは新入生代表の挨拶のときだった。
新入生の中から進み出て、向かいあっている在校生の前に立ったのは宮沢まどかという一年生の女子だ。女子寮への入寮が一番乗りだった、宮沢先輩の妹。
大勢の野郎どもを前にしても気後れすることなく、中学生になったばかりだというのに堂々と振る舞う大人びたその様子はさすがに宮沢先輩の妹というべきだろう。
おれにも花南という彼女と同い年の妹がいるものの、とてもじゃないが教えられなければ同学年とはわからない。
花南は年相応に可愛らしい感じであるのに対して、宮沢まどかは高校生に見間違えられてもおかしくないほどだ。
そんな宮沢まどかがこの対面式におけるメインヒロインだったことは疑いないが、他にも注目を集めている女子が何人かいたらしい。
有坂葵も間違いなくそのうちの一人だったろう。式の最中にはおれはまったく気づけなかったわけだが。
対面式が終了して教室に戻ってからも、やはり話題の中心は女子生徒だった。
星見台学園はどの学年においてもだいたい寮生が半数、自宅からの通学生半数で構成されていた。寮の部屋数が決まっている以上、そこは動かせない。
寮生同士なら三年間もあれば全員の顔と名前が一致するくらいにはお互いを見知っているようになるが、自宅通学生相手ではそうもいかず、まして自宅通学生側にしてみればそれよりもハードルは高いはずだ。
祭りの名残を楽しむようなふわふわとした空気は、見知らぬ者同士が会話を交わしだすのにはうってつけだった。新しい担任によるオリエンテーリングがすんで放課後となっても多くの生徒が教室に残って与太話に花を咲かせており、おれもさりげなくその流れに乗っかかっていた。
新学年の出だしは順調、朧気ながらそう手応えを感じて、寮に帰ろうと廊下に出たときのことだ。まだ見慣れないブレザーを着た女子生徒が、興味津々すぎる無言の注目を浴びながらおれの目の前に現れた。
中途入学生がこんな早い時期に他クラスに用があるなんてことはまずありえないうえに、それが女子ときたものだから周囲の反応も当然だろう。
在校生のカリキュラム進行は中途入学生に比べてだいぶ早い。なので四年次のクラス分けでは内部進学組は依然として男子オンリーの集団となっており、両者がミックスされるのは中途入学組の進行が巻いて巻いて追いついた五年次からとなる。
そんな衆人環視の状況で、おれは有無をいわせぬ居合い切りのごとく、葵からいきなり強烈に頬を叩かれたというわけだ。
まさかとは思うが、それがおれの罪状ではあるまいな。
だとすれば冤罪もいいところだが、しかし他に思い当たる節はない。女に縁のない
あきれて力が抜けそうになるのを感じながら、証言台を模した席に進んだユタがどういった罪状告発をするのか成り行きを見守っていた。
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