第5話 男子校、共学になる〈3〉
「二十一号室、四年の藤村由太です……」
うつむき加減で心許ない自己紹介をしたユタだったが、突如としてかっと目を見開き食堂中に響くほどの大声を張り上げた。
「被告人はぁ、自分たちとの男の友情を裏切りましたっ!」
思わずおれは頭を抱えた。あまりにもくだらなすぎるが、やはりか。
そこからユタはさもおれが抜け駆けして葵を口説いていたかのように滔々とまくしたてた。あのときクラスにいた誰かからの又聞きなのだろうが、よくもまあ見てきたかのように尾ひれ背びれをつけて話せるものだと少しばかり感心してしまった。
息を切らしながらユタが演説紛いの告発を終えるやいなや、おれは発言の許可をもらう前に口を開いた。
「間違って解釈が伝わってるよ、それ。だいたい出会いがしらに有無を言わさずビンタされてるんだぞ? 宮沢先輩、どう考えてもおれに非はないっす」
短く結論づけたおれに、すぐさまユタが噛みついてきた。
「ぬけぬけとどの口が! ええ、どの口があ!」
「おい藤村、興奮しすぎだ」
宮沢先輩がたしなめるも、ユタの心の叫びに触発されるようにざわめきが周囲に広がっていく。わかってはいたが、傍聴席はおれの味方ではない。
何度も深呼吸を繰り返したユタはいくらか冷静さを取り戻したようだった。挙手をした彼は再びおれの罪とやらを語りだした。
「以前に被告と同室だった自分らは、頭を下げて『小学校のときの女友達を紹介してほしい』と頼みこんだことがあります。それに対する被告の返答は『そんなものいねえよ』の一点張りでした。何度お願いしても答えはいつも同じです。寮長、これは重大な偽証罪にあたると断じざるを得ないのではないでしょうか!」
珍しくやつが理路整然と意見を述べやがる。これは困ったな、と認める他ない。くそ、成績はおれと同じで中の下をうろついているくらいだってのに。
反論できず口ごもっているうち、そうだそうだの声が原告団やギャラリーのあちこちからあがる。
嵩にかかったユタはひと際大きな声で憤慨を露わにした。
「何だよっ、結局女の子の友達がいたんじゃねえかよっ。えらく仲よさげだったって話だし、嘘つかれて童貞の絆を信じてたおれらがバカみてえじゃねえかよっ」
もうほとんど泣きださんばかりの勢いだった。
こいつはいったいおれにどうしろというのか。男の友情云々と糾弾してやりたいのはむしろこちらだ。恐るべし男の嫉妬。
そんな中、ヒートアップしている周囲を冷静に手で制しつつ、宮沢先輩がおれの方を見やる。
「どうだ志水、原告側の告発に相違ないか」
「まったく、しょうもない」
溜め息まじりに呟いたおれは宮沢先輩へと向き直る。
「ただ小学校時代の顔見知りと話してただけですよ。叩かれたあとに少しだけ。この三年間は連絡を取りあっていたわけでもないし、今さら友達と呼べるのかどうかさえも定かじゃないんで」
「顔見知り程度の仲で家まで遊びに行くのかよっ! しかもあんなクールビューティーの家だなんて、絶対いい匂いがするに決まってるっ」
黙っていられないのかユタがわけのわからない横槍を入れてきた。
しかし言うに事欠いてクールビューティーとは、本人の性格を知っていれば笑うほかない。
「うるせえな、家じゃねえよ。ビストロ、って言ってもわかんねえか。あいつんちがやってる飲食店の方だよ。まあ、確かに美味しそうな匂いはするけど」
「だからってわざわざ誘いにくるのはどう考えてもおかしいだろ!」
「別に何もねえってば。おまえさあ、女子と二言三言喋ってるのがそんなに羨ましいもんなのか?」
「やかましい! くっそくっそ、おれだって小学校の頃はもててたってのによ! おまえばっかりいい目みやがってこの裏切り者が! 死ね!」
きっとユタは唾を飛ばしながらおれを罵っているに違いない。
勉強も運動もできて、なおかつ対人コミュニケーションに問題がなければやつだってそりゃさぞかし人気者だったことだろう。
けれどもそれは小学校までの話なのだ。すぐにわかる。自分程度の小賢しいガキなど掃いて捨てるほど世の中にいることが。
宮沢先輩のような飛び抜けた存在などほんの一握りでしかない。
高校生ともなれば分相応という言葉の意味くらいはわきまえておくべきだろうよ。
「くっそ、シスコン野郎は妹とだけいちゃこいてりゃいいんだよぉ!」
ぴくり、と自分のまぶたが動いたのがわかった。
他者とのコミュニケーションに対してどちらかといえばものぐさなスタンスを貫いているはずのおれが、妹の花南が相手となると一転してメールも手紙も甲斐甲斐しくこなすことをユタは揶揄している。
確かに否定はできない。
どうひいき目にみてもシスターコンプレックスの烙印は免れられないだろう。シスコンシスコンと連呼されることにももう慣れたし、基本的には何も答えず苦笑いでやりすごすようにしている。
だがそういうやつにひとつだけ聞いてやりたいといつも思う。
おまえは妹を誘拐されたことがあるのか、と。
「──そこまでだ藤村、言葉が過ぎるぞ」
テーブルの上に肘をついて両手を組み、裁判長というより面接を取り仕切る重役のような趣を醸しながら宮沢先輩が語りかけた。
「利害の対立による感情のエスカレートを避けるためにも、まずは互いの置かれた立場を理解しようと務めるべきだ。縁あって同じ屋根の下で暮らす者同士、ささいな行き違いから諍いを生むことほど悲しいことはない」
どこか芝居がかった宮沢先輩の重々しい説教に、ユタも線を越えかけたことがわかっているのか、素直に「……はい」と返事した。
「だがここにいる男たちは誰もがおまえの気持ちを汲み取れるだけの熱いハートを持っている。わかるよ、女の子って本当に素敵だよな。何というか、ふわっとしてて、いい匂いがして、遠くから眺めているだけで心が癒される。たぶん、全方位女の子だらけの女子校こそがこの世に存在する唯一の楽園、約束の地なんだろうなと思う。聖書の一節にそんな記述があったとする宗派だって存在するかもしれない。だけど今までおれたちにはそんな天使たちと触れ合うことなんて許されなかった。男子校という名の薄汚れたプリズンに閉じ込められていた。分厚い灰色の雲に覆われていた愛なき世界だった。そうだろう?」
「……先輩っ」
いや、去年のレイニー・デイであんた他校の女子とトリプルヘッダー・デートを敢行してたよね、と突っこんでやりたかったが、ここは空気を読んでおとなしく沈黙を保っておく。どうせユタだって知っている。
レイニー・デイとは何ぞや。ここ姫ヶ瀬に暮らす少年少女にとって、レイニー・デイなる日は避けては通れないイベントだ。
この五十年間の統計において雨の降らなかった年がただの一度しかない六月十四日、それがレイニー・デイと呼ばれるようになって久しい。
少なくともおれの物心ついた頃にはその呼び名がすでに存在していた。
雨の中、自分の想い人へ一緒の傘に入ってほしいと相合い傘を頼む、いわばバレンタイン・デイ変奏曲といっていいだろう。
バレンタイン・デイとの相違を挙げるならは「男女のどちらからでも傘を差しだしてかまわない」「義理チョコならぬ義理傘なる行為は存在しない」といったあたりだろうか。
亜種とあなどるなかれ、局地的ではあっても姫ヶ瀬市においてはむしろ本家を凌ぐほどの盛りあがりをみせているのだ。
二月も半ばのバレンタイン・デイだと互いの想いが通じあっても、すぐに卒業だのクラス替えだのと大きく環境が変わってしまう。もちろん、だからこそ「最後の思い出づくりに」と背中を押される子もいるのだろうが。
そういう意味ではレイニー・デイは本気度が違う。
意を決して傘を差しだす、その行為の成否によって一年の間をどう過ごすことになるかがほとんど固まってしまうのだ。
クリスマスやバレンタイン・デイのようなふわふわした空気とは異なる緊張感、それがレイニー・デイには確かにある。
刀の代わりに傘を握りしめて想い人に挑んでいく恋するサムライ。
そんな真剣な恋心たちを弄んだとんでもない前科を持つモテ男・宮沢先輩の寸劇は続く。
「だが今はどうだ。空を仰ぎ見ることすらできなかったおれたちにも、雲を割って一筋の淡い光が差し込んできた。おれたちの冷たく閉じた心をほんわかぱっぱと温めてくれようとしているんだ。ギリシャ神話のパンドラの箱に、最後に残されていたものが何だか知っているか、藤村」
「──希望ですっ!」
「そうだ。志水を妬むってのは自分の手でその希望を葬り去ろうとしているのに等しい行為だということをおまえは理解するべきだ」
「ジミーが、ですか」
ここで宮沢先輩はにやりと笑った。どう見ても悪代官そのものの表情だ。
「女の子とのコネクションがすでにあるのであれば、それを見過ごす手はない。カンダタ同然のおれたちはここに救いの蜘蛛の糸を得た」
ゆっくりと静かに立ち上がった宮沢先輩が突然「注目!」と叫び、勢いこんでおれの顔をびしっと指差した。
この時点でもうろくでもない予感しかしなかった。
「おれは心の底から寮の仲間を信じている。抜け駆けなんてあるものかよ、なあ。きっとみんなのために一肌どころか諸肌脱ぎたがっているであろう志水にはこの一年、女子たちとの折衝役として馬車馬のごとく働いてもらおうじゃあないか」
自分のことは棚に上げ、おれに温情をかけて救済措置をとったように見せかけながら生殺与奪の権はしっかりと握る。何というやり手か。
この人はきっとろくな大人にはならん、そんなおれの心の叫びなど知る由もなく宮沢先輩は言葉を続ける。
「我ら寮生の太陽たる志水陽平くんの、さしあたっての最初の仕事は──」
長い間をためてためて焦らして、そしてシャウトが思いっきり弾けた。
「女子寮生の歓迎会だァ──っ!」
「うおおおおおおおおお──っ!」
天に拳を突き上げながら野郎どもは野太い歓声で応じ、寮長の決定を承認する。
え、何? それはおれがやらなきゃいけないの?
なし崩し的に面倒事をしょいこんでしまったのを今さらながら理解し、体中から力が抜けていくのを実感した。これだったらまだ「一人無人島の刑」をおとなしく食らった方がましだったんじゃなかろうか。
「というわけだ。今後ともよろしく頼むよ」
ベーブ・ルースばりのウインクを寄越す宮沢先輩の顔がやけに小憎らしい。
おかしいな、ほんの数分前までは尊敬する先輩だったはずなのに。
「そういえば件の女子とお昼の約束をしているんだろ。男たるものレディを待たせてはいけないからな。さ、とっとと行った行った」
そして手の平返しもはなはだしい万雷の拍手に送られて、釈然としないながらもおれは食堂をあとにした。
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