『竜族ドニーとギルバート家』『ホット・チョコレート』3人称

 アントベルは、ファインドライトと各地を回る旅を続けていた。

 旅と言っても、各地の騎士団を回り、彼らと共に民を護る仕事だ。

 アントベルは修行で、ファインドライトの仕事に同行させてもらっていた。

 視察した各地で復興活動や新制度の話を聞かせてもらい、ドニーの作った新しい研究施設や騎士団の寮も見せてもらい、文化も各地で違っていることがわかってきた。


 ──22年も生きてきて、世の中知らないことが沢山あると思い知った。

 もっとこの国のことを知りたい。

 この国のために自分ができることは何なのだろうか。

 そのためにはもっと勉強して、もっと強くならないと──。


 アントベルは空に流れる雲を見ながら、昼の風を感じていた。

 今は、修行の休憩中。

 アントベルは気持ちよさそうな草原に寝転がり、背に伝わる温かさと風に揺れる草の感触で、ふとホットのことを思い出す。

 思えば、ホットとこんなに長い間離れていたことはなかった。

 あれはそう、アントベルが5歳の時だった。



 ◇ ◇ ◇



 アントベル、5歳の冬。

 その日、白い雪が降り積もった。

 街中の建物を白く染めた雪は、建物で囲まれた城の中庭も白く変えていた。

 アントベルは、1人で雪遊びをしていた。

 兄のオデオンは、友人との約束があり、今日は泊り。

 他の兄弟はまだ小さくて、3歳のビオレッタはメーアの後ろをついて歩いていたし、ケルソーはアルムが歩くのをオセアンと見守っていた。

 コキーユの相棒・アドルフも、メーアとオセアンのサポートで、子供たちと遊んでいた。

 しかし、アントベルだけは久しぶりに降った雪を見たいと、オレンジのマフラーを巻いて、赤いコートを着た姿で中庭にやって来た。

 いつもなら、ドニーと一緒に雪遊びをするのだが、彼は他の施設の工事を見に行っていて、今はいない。

 彼は母親からもらったオレンジの手袋を見てニコッと笑い、手を軽く握ったり開いたりした後、嬉しそうに雪をすくう。

 その後は、雪ウサギを作って遊んでいたが、次は雪だるまを作り始め、サッカーボールのサイズに雪を丸くしていく。

 アントベルは、ふと手を止めた。

「にゃー。にゃー」

 どこからか猫の声が聞こえる。

 アントベルは、キョロキョロとあたりを見回し、木の陰で鳴いていた黒い子猫を発見する。

 プルプルと震え、横になっていた。

 母猫に置いて行かれたのだろうか。

 アントベルは雪に足を取られそうになりながらも、黒猫に近づいていく。

 紫がかった黒猫は、まだ生まれて間もないようだった。

 慌てて子猫を拾い、ぎゅっと抱き寄せる。

 どうすればいいかわからず、涙を溜めて子猫を見つめる。

 その時、城の中から楽しげな笑い声が聞こえてきた。

「父さん。母さん」

 アントベルは呟いた後、振り返り、急いで室内に戻っていった。



 ◇ ◇ ◇



 アントベルは城にあるエリックの自室まで走り、ドアを勢い良く開けた。

 丁度、エリックがキッチンで夕飯を作っていた。

 この部屋は、エリックが王の部屋だと落ち着かないからと、特別に用意してもらったものだった。

 リビング、キッチン、寝室、トイレ、お風呂が備え付けられている。

 アントベルに気付いたエリックは、優しく声をかける。

「アントベル、お帰り。もうすぐ夕飯ができるから」

「父さん!」

「アントベル? どうしたんだ?」

 アントベルが、大きな声でエリックを呼んだ。

「猫が……」

「猫?」

 アントベルに抱きしめられていた黒猫を見たエリックは驚く。

 苦しそうに息をする子猫に、慌てて手を当てる。

 熱い。

「アントベル、ちょっといいかな?」

「うん」

 泣きそうになりながら、アントベルは子猫をエリックに渡す。

 子猫を優しく抱き上げたエリックは、アントベルに声をかける。

「アントベル、バスタオルを2枚持ってきて」

「うん!」

 優しく頼むエリックに、アントベルは力強く返事をして、バスタオルを取りに行く。

「ミルクを用意しないと──」

「あら? どうしたの?」

 奥の部屋からコキーユが出てきた。

「コキーユ! 子猫が熱を出して、死にそうなんだ! アントベルが今、バスタオルを取りに行ってくれてるから、猫を入れるカゴを用意して!」

「わかったわ! ちょっと待ってて!」

「ありがとう、コキーユ」

 パタパタと走ってカゴを取りに行くコキーユを見送った後、片手でやかんに水を入れ、火にかける。

「父さん! はい!」

「ありがとう、アントベル」

 アントベルからバスタオルを受け取ったエリック。

 猫の体をバスタオルで包み、優しく拭く。

「エリック!」

「コキーユ、ありがとう」

 現れたコキーユからカゴを受け取り、もう1枚のバスタオルを中に入れ、子猫の体を包む。

「母さん、父さん」

 2人の服を引っ張り、アントベルは口を開く。

「猫を助けて! お願い!」

「もちろん!」

「ええ! まかせて、アントベル!」

「──うん!」

 力強く返事をする2人に、アントベルはようやく涙を止め、満面の笑顔になった。

 途中でコキーユが子供たちの離乳食を渡しに行って、オセアンたちに今日だけ子どもたちと一緒に寝てほしいと頼んだり、交代でお風呂に入ったりしたが、アントベルは両親と必死に子猫の看病を続けた。



 ◇ ◇ ◇



 いつの間にか寝てしまい、気づけば次の日になっていた。

 アントベルが眩しい光で目を覚ますと、もう朝だった。

 昨日のことを思い出せず、目をこすっていたが、手を下した場所に何かがぶつかる。

 ハッと気付き、慌ててベッドを確認すると、隣で白いタオルにくるまった猫が寝ていた。

「猫──」

 よく見ると、すーすーと寝息を立てている。

「よかった」

 ほっと胸を撫で下ろしていると、コンコンッとノックの音が聞こえ、そっとドアが開く。

「アントベル、おはよう」

「父さん、おはよう」

 エリックは、アントベルの頭に手をのせ、優しく撫でる。

「アントベルは、元気? 風邪はひかなかった?」

「元気だよ」

「そうか。猫も元気そうでよかった」

 エリックは猫をバスタオルごと抱き上げ、片手をアントベルに差し出す。

「行こうか? アントベル」

「うん! 父さん!」

 アントベルが嬉しそうにエリックの手をつかみ、ベッドから降りる。

 エリックとアントベルは手をつないだまま、隣のリビングまで歩いていく。

 リビングに行くと、食卓にはホット・チョコレートが置かれていた。

 その日は丁度、「バレンタインデー」だった。

 エリックと一緒に手を洗い、自分の席に着くアントベル。

「今、朝ごはん作るから、もう少し待ってて」

 そう言った後、エリックは朝食の支度を始めた。

 アントベルは温かいカップで暖を取りつつ、ホット・チョコレートを少し飲む。

 ──甘くてあったかい。

 紫がかった色をぼんやり眺める。

 ふと横を見ると、白いタオルに包まれて眠る黒猫。

 もう1度ホット・チョコレートを見て、猫を見る。


「似てる」

 ──ホット・チョコレートに。


 その時、ドアが開き、コキーユが新しいタオルを持って現れる。

「アントベル、おはよう」

「母さん、おはよう」

「よく眠れた? アントベル」

「うん!」

 元気に頷くアントベルは、にっこり笑う。

 微笑むコキーユたちに、エリックが声をかける。

「今、朝食を持っていくから、待ってて」

「「はーい!」」

 コキーユはアントベルの髪をブラシで整え、右横で結んだ。

「ありがとう、母さん!」

 お礼を言ったアントベルの前に、料理が置かれる。

「ありがとう、父さん!」


 3人は席に着き、朝食を食べる。

「ビオレッタも、ケルソーも、アルムも元気だったわ」

「ありがとう、コキーユ」

「どういたしまして」

 2人で笑い合う。

 コキーユは、アントベルと猫を見て、口を開く。

「ところで──アントベルは、これから猫と一緒に暮らしたい? どうしたい?」

 アントベルを優しく見つめながら、問いかけた。

「猫と、一緒に暮らしたい!」

「うん。じゃあ、そうしようか?」

「──うん!」

「よかったな、アントベル」

「うん!」

 猫を飼うことに決めたアントベル。

「名前も決めないとね。何がいいかしら?」

 アントベルは紫がかった黒い毛と、近くのコップをじっと見つめる。

「──ホット」

「うん?」

「『ホット・チョコレート』の『ホット』!」

 振り向きながら、大きな声で宣言する。

「『ホット』か、いいと思うよ」

「『ホット』、いい名前ね! アントベル」

 コキーユから頭を撫でられ、アントベルは目を細める。


 それから、黒い子猫の名前は、「ホット」になった。



 ◇ ◇ ◇



 2週間後、ドニーが研究室にいると聞き、アントベルは少し大きくなった黒猫のホットを連れて会いにきた。

 ドニーは他の施設の工事を見に行っていたが、今日ようやく帰ってきた。

 アントベルがドアのないドニーの研究室に行くと、彼は緑の軍服に白いコートを羽織り、椅子に座って資料を見ていた。

 アントベルはホットを抱きかかえ、研究室の外から声をかける。

「ドニーさん」

「アントベル」

 ドニーは声をかけられてアントベルを見ると、何かを抱えていることに気付く。

 椅子から立ち上がり、アントベルに近づいて、観察する。

「猫?」

 ホットを見たドニーは、首を傾げる。

 その時、アントベルの腕の中にいたホットは、もぞもぞと動き出し、ドニーの肩に飛び乗った。

「にゃー」

「うん?」

 鳴いて擦り寄ってきた猫に戸惑いながら、ドニーはホットの頭を撫でる。

「にゃあ」

 可愛く鳴くホットに頬が緩むドニー。

「ドニーさん、いいなー。ホット、僕よりドニーさんの方が好きなんだ」

 アントベルはドニーを羨ましそうに見つめ、ちょっとだけ拗ねる。

「うん? そんなことはないと思うが──」

 ドニーはホットをもう1度撫でた後、アントベルにそっと返す。

 またホットをぎゅっと抱きしめ、嬉しそうに笑う。

「この猫の名前はね、『ホット』って言うんだ!」

 猫の名前を伝えるアントベル。

「『ホット』?」

「『ホット・チョコレート』の『ホット』!」

「『ホット・チョコレート』?」

「ドニーさん、知らない? 父さんが冬になると作ってくれるんだ! 今度、作ってくる!」

「ありがとう、アントベル」

 微笑んでお礼を言うと、ドニーは立ち上がり、アントベルのためにお茶とお菓子を用意する。

 しかし、突然手を止め、アントベルに振り向く。

「──いや。転ぶと危険だから、俺が部屋まで行く」

「えっ! ドニーさん、来るの!」

 アントベルはドニーさんが部屋に来てくれると嬉しそうに笑う。

 それからは、ホットのことを楽しげに話すアントベルと、頷きながら話を聞いているドニー。

 お茶とお菓子を出しながら、ドニーは口を開く。

「そういえば、アントベルは『使い魔の契約』について知っているか?」

「ううん、知らない」

「そうなのか。契約すれば、ホットとずっと一緒にいられるようになる」


 使い魔の契約。

 数日間、使い魔となる存在に証を付け、魔法使いの魔力を流し続ける。

 魔法使いの魔力が完全に混ざった時、証を付けた存在は使い魔となる。

 魔法使いと同じ魔法が使えるようになり、強化魔法も使える。


「ただ、姿が変わらなくなるから、不思議な存在として怖がられる時もある」

 アントベルは少し考え込んでいたが、真剣な顔でドニーに話し始める。

「──ドニーさん」

「何だ? アントベル」

 ドニーは優しく問いかけた。

「僕、ホットと契約したい! ずっと一緒にいたい!」

「──わかった」

 ドニーは、ふっと笑う。

 その時、足音が聞こえ、誰かがドニーの部屋に近づいてくる。

 ここは建物の端にある部屋で、こちらにはドニーの研究室しかない。

 アントベルは、慌ててドニーの足の後ろに隠れる。

「ドニー様、すみません。少しお時間いただけますか? 実はこの前、視察に行った施設の工事についてなのですが」

 入ってきたドニーの部下は、アントベルに気付かず、自分の上司に話しかけている。

 アントベルはじっとしたままだったが、ホットは腕の中でもぞもぞし始め、ドニーの部下に近づいてしまう。

「あっ!」

 ホットに手を伸ばし、つい前に出てしまうアントベル。

 何とかホットを拾いあげるが、顔を上げた瞬間、ドニーの部下と目が合う。

「あれ? ドニー様、この子は?」

「エリックの子どものアントベルだ」

 ドニーは慌てず、淡々とアントベルを紹介する。

「エリック様の! これは大変失礼致しました! アントベル様! お初にお目にかかります、ドニー様と同じ科学者のデクスター・プラントと申します。デクスターとお呼びください」

 自己紹介され、アントベルはキョロキョロと目を泳がせていたが、覚悟を決めたのか、背筋を伸ばし、挨拶をする。

「こちらこそ、初めてお目にかかります、グラントエリック国王・エリックの息子。第2王子のアントベル・ギルバートと申します。父上がいつもお世話になっております」

「有難いお言葉、感謝致します。こちらこそ、国王陛下には大変お世話になっております」

「デクスター、アントベルは私に猫を見せに来てくれたんだ。アントベルはそこに座って待っていてくれ、廊下で少し話をしてくる。デクスター!」

 部下の名前を呼び、廊下へと連れ出すドニー。

「わかりました。アントベル様、できればゆっくりと子猫についてお話を伺いたかったのですが、誠に申し訳ございません。また機会がございましたら、ぜひお話をお聞かせください。では、失礼致します」

「こちらこそ、またお話しできることを心待ちにしております」

「はい!」

 お辞儀をして挨拶するアントベルに、デクスターは笑顔で答えた。

 デクスターは少しだけ廊下で話し、去っていった。

 話している間、ずっと気を張っていたアントベルは、ぎゅっとホットを抱きしめていた。

「にゃー」

 デクスターとの話を終え、戻ってきたドニーに体当たりするアントベル。

「どうかしたか? アントベル?」

 ドニーは、何も話さないでいるアントベルの頭を撫でる。

「お茶を飲もう、アントベル。アントベルの好きなお菓子もある」

「えっ? 本当!」

 パッと顔を上げたアントベルは、すぐにいつもの席に座る。

 いつものアントベルに戻って安心したドニーは、デスクから先ほど言っていたお菓子を取り出す。

「ところで、ホットに好きなものはあるのか?」

「うーん。ミルクが苦手な猫もいるらしいけど、ホットはミルクが好きで、毎日飲んでる」

「そうか。──後で買いに行くか?」

「うん!」

「にゃあ!」

 ドニーの言葉を聞き、喜ぶアントベルに、ホットがつられて鳴く。

 取りあえず、買い物は後で行くことにして、2人はお茶とお菓子を楽しむことにしたのだった。



 ◇ ◇ ◇



 アントベルが、ホットを連れてきた数日後。

 アントベルはホットを抱え、再びドニーの研究室までやって来た。

「ドニーさん!」

「うん? アントベルか」

 資料に目を通していたドニーは、ドアのない入口近くに立つアントベルを見た。

 満面の笑顔でドニーの元へ走るアントベルと、腕の中でキョロキョロするホット。

「おはよう!」

「おはよう、アントベル。ホット」

「にゃあ!」

 椅子から立ち上がったドニーを見て、アントベルは嬉しそうに話す。

「『ホット・チョコレート』、用意したんだ! 一緒に行こう!」

「──ああ、わかった」

 ドニーは服を引っ張られながら、テーブルの上に置かれたトレイを見る。

 朝早くから仕事で食べに来れなかったドニーのため、エリックが仕事をする前に持ってきた食器だった。

 そっとトレイを手に持つ。

「──行くか」

「うん!」

 歩き始めた、その時。

 すぐ近くで足音がした。

「ドニー様、すみません。──あれ?」

「デクスター」

 ドニーの部下のデクスターだった。

「アントベル様、おはようございます」

「あ……」

 アントベルは、突然のことに声が出ず、ドニーの服をぎゅっと握りしめる。

 震えるアントベルを見て、デクスターは心配そうに声をかける。

「どうかなさいましたか? お体でも」

「デクスター。──アントベルは、人見知りなんだ」

 デクスターは、アントベルの状況とドニーの言葉を脳内で反芻し、きょとんとする。

 アントベルを再び見て、ようやく気付く。

「──ああ、そうだったのですね」

 デクスターはホッとした後、優しく声をかける。

「アントベル様、大丈夫です、怖くありませんよ。こちらに来てください」

 屈んで優しく声をかけるデクスターに、アントベルは恐る恐る近づく。

 デクスターはポケットから袋に入った「うずまきクッキー」を取り出し、アントベルに見せる。

「はい、どうぞ!」

 手のひらにあったのは、エリックの作ったクッキーだった。

「あっ! 父さんのクッキー!」

「ドニー様が、お食事を召しあがらない時に与えるようにと、研究者に支給されているものです」

 アントベルは話を聞きながら、エリックのクッキーを嬉しそうに見つめる。

 デクスターは、アントベルの手首をそっとつかみ、手のひらにクッキーをそっとのせる。

「どうぞ」

「いいの?」

 首を傾げて聞くアントベル。

「はい!」

「──ありがとう!」

 アントベルはクッキーを持って、くるっと回り、嬉しそうに部屋を歩く。

 デクスターは、そっとドニーに話しかける。

「可愛い子ですね。もっと大人びているお方かと思いましたが、思っていたよりも可愛らしいお方で、安心いたしました」

「──可愛いかはわからないが……。アントベルは人見知りで、意外と幼いところがある。でも、賢くて、人のことをよく見ている子だ」

「そうなんですね」

 感心したように、アントベルを見る。

 アントベルは、クッキーを大切そうにポケットにしまい、ドニーたちに振り向く。

「デクスターさんも、一緒に『ホット・チョコレート』、召し上がりませんか?」



 ◇ ◇ ◇



 アントベルたちは、エリックの自室までやって来ていた。

 デクスターは国王の自室にいるという状況に気が気でなく、とても落ち着かない。

 ドニーは城にいる時、毎日一緒に食事をしているので、いつもの冷静な顔でトレイを持ちつつ、隣に立っている。

「今、持ってくるから、待ってて!」

 キッチンに、急いでホット・チョコレートを取りに行く。

「アントベル、俺も手伝う」

 アントベルがこけそうだと思い、ドニーが後をついていく。

「にゃあ!」

「ホットにも、ミルクを出そう。──デクスター、ホットと座っていてくれ」

「わかりました」

 ドニーはトレイを置き、カウンターに座っていたホットをデクスターに手渡す。

 アントベルの後で手を洗い、食器棚から猫用の皿を取り出す。

「デクスター、ホットはミルクが好きなんだ」

「そうなのですね、私も好きです」

 ミルクを皿に注ぎながら、ドニーは説明する。

 その間にも、アントベルがカウンター前に用意してあった台の上に乗り、一生懸命にお玉でホット・チョコレートをすくっている。

 ドニーは、ホットのミルクをリビングにある大きなテーブルの上に置き、デクスターに声をかける。

「デクスター、ホットをテーブルの上に乗せてくれ。あと、ここに座って、もう少し待っててくれ」

「はい! わかりました」

「にゃあ」

 デクスターは、アントベルの様子を見行くドニーを見送っていると、ペロッペロッという音が隣から聞こえてきた。

 ホットがおいしそうにミルクを飲んで、幸せそうにしている。

 デクスターは、くすっと思わず笑ってしまう。

「アントベル、転ばないように気を付けて」

「わかった!」

 両手でコップを持ったアントベルが、デクスターの元まで走ってくる。

「はい! デクスターさん!」

「ありがとうございます」

 2人分のコップを持っていたドニーは、片方をアントベルに差し出す。

「これはアントベルの分だ」

「ありがとう! ドニーさん!」

 2人が席に座る。

「「「いただきます!」」」

 みんなで、ホット・チョコレートを一口飲む。

「おいしい」

「おいしいです!」

「おいしい!」

 アントベルは、もう1度ホット・チョコレートを飲む。

「ありがとう、アントベル」

「ありがとうございます、アントベル様」

「──どういたしまして」

 くすぐったそうに笑うアントベルを2人は微笑ましく思った。

 アントベルは、クッキーをポケットから取り出し、嬉しそうに袋を開ける。

「ところで、デクスターは、何で国の研究室に来たんだ?」

「ああ、私はレナントルイス領主の妹君・ラティフォリア様にご紹介していただき、こちらに参りました」

「ラティフォリアにか?」

「はい! 私はラティフォリア様より1学年下でしたが、とても可愛がっていただきました」

 なつかしそうに目を細める。

「ラティフォリア様は、士官学校の学生の中でも憧れの存在でした。私も憧れていたのですが、なかなか会う機会もなく。──科学の実験で、たまたま一緒になって、とても褒めてくださいました」

 手元のホット・チョコレートを見つめる。

「それ以来、とても可愛がっていただきました」

「ヘリオフィラさんも、ラティフォリアさんも、優しくて好きです!」

 突然、嬉しそうに話すアントベルに、デクスターはくすくすと笑う。

「アントベル、口にクッキーが付いている」

 ドニーはハンカチを取り出し、エリックのクッキーを付けたアントベルの口元を拭く。

「もう少し落ち着いて食べた方がいい」

「うん」

 もぐもぐ食べながら、アントベルが返事をする。

 ガチャッと玄関のドアが開き、エリックがキッチンに入ってくる。

「アントベル、ドニー。──あれ? 彼は」

 デクスターが急に立ち上がり、背筋をピンと伸ばす。

「申し遅れました。ドニー様の部下で、科学者のデクスター・プラントと申します」

「私は、国王のエリック・ギルバートです。第2王子のアントベルとドニーがいつもお世話になっています。特にドニーは偏食で、仕事も多くて苦労も絶えないでしょう」

「いえ、そんな」

「執務室で仕事をしていたら、リビングに忘れ物をしてしまって。──ちょっと、失礼」

 近くの棚を探す。

「ああ、あった」

 エリックは、1冊の本を取り出す。

「これで仕事ができるよ」

「お仕事、本当にお疲れ様です」

「ありがとう、これも国民を護るための仕事だからね」

 エリックは、優しく微笑む。

 もぐもぐクッキーを食べていたアントベルは、口の中のものをごくりと飲み込み、席から立ち上がる。

 アントベルは、2人の話が終わるのをずっと待っていた。

「父さん!」

「アントベル」

 アントベルは、屈んだエリックに抱きつく。

 エリックは微笑んで、アントベルの頭を優しく撫でる。

「ホット・チョコレート、うまくできたよ!」

「うん、俺にも後でもらえるかな? 夕食の時に飲むから」

「うん! わかった!」

 返事を聞いたエリックは立ち上がり、デクスターを見る。

「デクスターさん、ぜひまた遊びに来てください。あと、アントベルとドニーのことをこれからもよろしくお願いします」

「はい!」

 デクスターは、元気よく返事をする。

「あと、ドニー。今日も夕飯作るから、また時間になったら来て」

「わかった」

「では、私は仕事に戻ります。デクスターさんたちは、どうぞゆっくりしていってください」

「はい! ありがとうございます!」

「では、お先に失礼します」

 エリックは会釈をして、リビングを出ていく。

 玄関のドアが開き、パタリと閉まる音が聞こえた。

「緊張しました……。エリック様とあのようにお近くでお話させていただけるなんて! お噂通り、本当に優しいお方でした!」

「……うん? エリックは、とても優しいし、料理もおいしい」

 デクスターが少し興奮気味にエリックの話をするので、ドニーは首を傾げて相槌を打ちつつ聞いていた。

 アントベルは父親が褒められて、にこにこしている。

 ようやく落ち着いてきたデクスターは、意外と時間が経っていることに気付く。

 デクスターはスッと屈んで、アントベルに視線を合わせる。

「私も、お暇させていただきます。ホット・チョコレート、大変おいしくいただきました。アントベル様、ありがとうございました」

 にこりと笑って、デクスターは部屋を出ていこうとする。

「デクスターさん、またね!」

「はい、ぜひまたお話いたしましょう?」

「うん!」

「デクスター。今度の研究の件だが、『ぜひ参加させてほしい』と伝えておいてくれ」

「わかりました」

 デクスターは頷く。

「ありがとう、デクスター。またな」

「はい! また何かの折に、聞きに参ります」

「ああ」

「お先に失礼いたします」

 頭を下げ、デクスターが部屋から出ていく。

 2人はコップとお皿を洗った後、ドニーがアントベルの予定について聞く。

「アントベル、午後から予定はあるのか?」

「うん! 午後から、メーアさんたちに勉強を教えてもらうんだ!」

「そうか。──近くだから、送っていく」

「うん!」

 アントベルは笑顔で頷く。

 ドニーは足元にいたホットをアントベルに渡し、彼の手を取る。

 2人は仲良く手をつないで、メーアたちのいる勉強部屋へ向かうのだった。



 ◇ ◇ ◇



 それから、3年後。

 アントベルは、ホットと「使い魔の契約」を結んだ。

 ホットは3歳の時、アントベルの使い魔となった。



 ◇ ◇ ◇



「ホット、元気かな?」

 アントベルは、空を見ながらホットを想った。


 いつもドニーの椅子の上で寝ているホット。

 いつもドニーの膝の上に乗っているホット。

 いつもドニーに食事をもらっているホット。


 ふと、ドニーのことも思い出す。

「修行から帰ったら、ドニーさんにお菓子を作ってあげよう。──何がいいかな?」

 ドニーに出すお菓子のことを考えながら、もう少し休憩をするアントベルだった──。






「過去編のおまけ」


 疲れ切ったドニーは、夕食前にエリックたちの寝室で仮眠を取らせてもらっていた。

 施設の建設資料、他の研究資料、新しい素材や技術の研究のチェックと毎日大変なドニー。

 今日もエリックたちの自室にやって来たドニーは、懐いてついてきたホットと一緒にベッドに入ったのだった。

「ドニー、夕食が出来たから、こっちに来ないか? 今日は、ドニーの好きなカボチャのホットサラダとドリアだよー!」

「──ああ、今行く」

 のそのそと体を起こし、ゆっくりと立ち上がろうとするが、何かがずっしりと足に乗って動けない。

「うん? ──ホット?」

「ニャア」

 ホットがいつの間にか膝に乗り、ドニーを見つめて鳴いていた。

「どうした、ドニー? ……あ、やっぱり」

 ドニーとホットを見たエリックは、いつものことかと思った。

「──エリック。なぜいつもサラダに『ホット』を付けて言うんだ?」

 ホットのおねだりに負け、顎を撫でながら話すドニーに、苦笑しつつエリックは答える。

「料理の名前だからだよ。それに──」

 ふっと口元を緩めて、エリックが優しく続ける。

「ドニーがホットのこと好きだから、そのままでもいいかなーと、思って」

「うん? 確かに、ホットのことは『好き』だが……」

「ドニーは、自分が思ってるより、ホットのこと可愛がってるから」

 エリックは微笑みながら、ドニーとホットを見つめる。

「──うん?」

 イマイチわかっていないドニーが首を傾げていると、パタパタという音が聞こえてくる。

 閉まりかけたドアを押して、アントベルが部屋に駆け込んできた。

 アントベルは、ホットを抱き上げ、ドニーの手を取る。

「一緒に、ご飯食べよう! ドニーさん!」

「──ああ」

 アントベルの勢いに気圧されながらも頷き、ドニーは立ち上がってリビングに向かう。

「ホットの好きなものも用意したよ?」

「ニャア!」

 みんなが寝室から出て行くのをエリックは微笑ましく見つめる。

「みんな、仲がいいな」

 エリックは思わず、ふっと笑う。

 サッとシーツを直し、寝室から出ていく。

「アントベル、一緒に手を洗おう?」

「兄さん! うん、わかった!」

「ベル兄さん、ずるい! 私も洗う!」

「こらこら、慌てなくても順番に洗うのよ? ドニーもこっちで一緒に洗わない?」

「──ああ、わかった」

「じゃあ、俺も洗おうかな?」

 みんなで一緒に手を洗った後、エリックたちは賑やかに夕飯を食べたのだった。

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