初詣に
元とろろ
初詣に
初詣に行き損ねた。
三が日を過ぎて人が少なくなるのを見計らって近場の神社に行くつもりだったのだが、だらだら過ごしているうちに冬休みも終わりかけている。
今日こそ行こうという気はあったのだが風が強いのが悪かった。
玄関のドアを開けるまでもなく、部屋の中でも聞こえるごうごうという音を耳にして外に出る気がなくなった。
仕方がないからこちらも暖房をごうごう言わせて布団から頭と両手だけ出して、もう新刊とは言えなくなった本を開いている。
今日は積んでいた本を読む日ということにした。
これがなかなか面白い続き物の小説で、僕は全巻を発売日に買っているのだが、疲れがたまって集中できない時などはただ字を追うだけで物語に入り込めず、そういう時は読むべきでない気がしてしばらく読み進められなかったのだ。
◆
面白い。本当に。
読み始めさえすれば、あっという間に一冊読み終わる。
すぐに次の巻を読みたいところだが。
少し気になることがある。
気のせいだったかもしれないのだが。
さっき誰かが部屋の外で何かを言っていた、かもしれない。
幻聴でないのなら、多分、姉だったと思う。
本当に姉が部屋の前に来ていたとして、用事があれば遠慮なくドアを開ける人だから大したことではなかったはずだが。
「フー、スゥーッ、ンン……」
息を整え、閉じた本を脇に置き、布団を除けるように立ち上がる。
部屋の空気は温まっているのにステンレスのドアノブは冷たくて重い。
音を立てないように扉をほんの少し開くと一層冷たい空気が流れ込んだ。
暗い廊下に人影はない。
姉がさっき本当に来ていたとして、ちょっと出かけてくるから留守番を頼むとかそんなことだったんじゃないだろうか。
念のため、何もないことを確認するために部屋から出ずとも見える範囲を視線を走らせる。
下を向くとドアのすぐ近くの床に一体の達磨が置いてあった。
片手で持てるような小さいやつだ。
仕方なくドアを気持ち大きく開く。手を出して達磨を取れるくらいには。
掴み上げると下にメモ用紙が敷いてあったのがわかった。
ボールペンの細い字でただ「お土産」とだけ書いてある。
すると姉は初詣に行ったのだろうか。寺は神社より遠いのだが。
部屋に引き込んだ達磨をいったん床に置いて、その紙にも手を伸ばした。
他には何も書いてないことを確認してゴミ箱に入れる。
大事なのは達磨である。
両手を使って手のひらの上で転がしてみる。
体は赤く、腹の金文字は福入。ごく普通の張り子の達磨だ。
当然ながら両目とも白目である。
達磨について特に一家言あるわけではないものの、左目に目入れをして願を懸けるということくらいはさすがに知っている。
筆なら中学校まで使っていた物がどこかにある。
願掛けはできないこともないはずだ。
せっかくだからやってみようか、筆を探そうと部屋を見回して気づく。
達磨を置いておく場所がない。
ゴミが落ちているわけではないが、机や棚の上が物でいっぱいだ。
年末の掃除でも自分の部屋だけは後回しにしたまま結局手を付けなかったのだ。
なんとなく申し訳ない気持ちになりながら達磨を再び床に置く。
片付けをしよう。
出しっぱなしの文房具を筆箱に入れて引き出しにしまったり、表紙を上にして並べた状態になっている本を立てたり重ねたりすれば達磨を置くスペースくらいはできるはずだ。
後は多少、細かい埃や消しゴムのカスもどうにかしよう。
……ゴミが落ちていないというのは床の話だ。
◆
どうにかこうにか片付いた。
一度掃除を始めてみれば自分でも細かいところが気になるもので、思っていたよりは綺麗になった。
窓を開けて掃除機をかけたせいで部屋に籠っていたぬくもりは去っていったが、ひんやりとした空気さえ今は爽やかに感じられる。埃がなくなったからだろうけど。
それでも本当にすっきりした気分だ。
僕は自分で思っていたよりも単純で純粋で素直で活動的な人間なのではないかという気さえしていた。
「さて」
そういう掛け声を口に出してみるのもちょっと楽しい。
今、僕の右手には筆ペンが握られている。
机上の文房具の中から発掘された物だ。本物の毛筆は行方不明だった。
達磨の左目に黒丸を塗る。
願うことは今決めた。
これからの僕が今の僕のような良い人間でいられますように。
机の上に達磨を置く。
その隣に使っていなかった花瓶も並べる。失くしたと思っていたのが案外ひょっこり見つかったのだ。
そこに庭の榊の枝を折ってきて挿した。
「そこで見張っててよ」
手を合わせて拝む。
結局、庭より遠くには出ていないが。
これが僕の初詣ということでいいのだと思う。
初詣に 元とろろ @mototororo
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