高校時代の同級生からマルチに誘われた

石田徹弥

高校時代の同級生からマルチに誘われた

 向かいに座る広畑正樹が鞄から取り出したのは、手作りにしか見えない薄い冊子で、表紙には「ピースフルダイアリイ」と手書きで書かれたタイトルと、日に焼けた男女が楽しそうに様々なポーズで写った集合写真が貼られていた。


「月一の会合はバーベキューでさ、そこでまた新しい繋がりできるんだよ」

 俺はその冊子を受け取とろうと手を出したが、正樹は笑顔でひっこめた。

「悪い、これだからさ。メンバーじゃないと見せられないんだ」

「そうか」


 俺はカップに口をつけ、ぬるくなってしまったコーヒーを胃に流し込んだ。

夕方駅前の喫茶店は混雑していた。一面がガラス張りで、面した歩道を帰宅中の会社員が忙しくなく早歩きしているのが見える。


 正樹は高校の同級生だが、卒業以降だれもが彼とは連絡を取っていなかったので、皆がその存在を忘れていた。

そんな彼から七年ぶりに連絡が来たのだが、わざわざ実家に電話して親に取り次がせるという、執心を感じさせるものだった。

 当然、俺は嫌な予感を感じたのだが、好奇心の方が勝り、親に伝えられた番号にかけた。

すると、高校時代とは比べ物にならない明るい声が飛び込んできた。

「元気? 飲もうよ。俺、おごるからさ」

 その後、何度用件を聞いても正樹ははっきりとした答えを返さなかった。ますます嫌な予感がしたが、電話をかけた時と同じように、好奇心に負けた俺は再会を承諾した。

今は禁酒しているので喫茶店でいいかと聞くと、「ちょうどいい店がある」と正樹から店舗を指定されのが、この喫茶店だった。

この店には多くの客がいるが、スーツ姿の男性と若めの男女どちらかという組み合わせがほとんどだった。スーツ姿の男は張り付いたような笑顔を浮かべて資料を若者に見せている。若者は見るからに上京したてのような芋臭さを感じるか、もしくはどこか暗い雰囲気を孕んだような表情をしていた。しかしそんな関係なしにと、スーツの人間は身振り手振りで何やら伝え、若者はその度に大きく頷いていた。

あぁ、なるほど。そういう店ね、と俺は納得した。


「どう、最近。どういう仕事してるの?」

 七年ぶりに再会した正樹は、お互いを懐かしむ話題もそこそこに、前のめりになって近況を聞いてきた。

「飲食店に業務冷蔵庫とかコンロとか、そういった開店に必要なものを見繕って販売するって仕事」

「すげぇじゃん」

 正樹は大げさに驚いた表情をしたが、全く興味が無いことが嫌でもわかる。

「それって楽しい?」

 覗き込むように正樹が俺の顔を見た。

「楽しいってわけじゃないけど、まぁ仕事だからな」

「結婚してるんだっけ」

「してるよ。息子もいる」

「そっか、そっか」

 正樹は何かを得たように頷くと、鞄からパンフレットを取り出した。

 見たことない外国人の女性が笑顔で立っている。

「インジット・ホールディングスって聞いたことない?」

 全くない。俺は素直にそう答えた。

「上場もしてて、かなり有名なんだけど、そっちの業界だとまだまだなのかな。俺も頑張らねぇとな」

 さも自分の会社のことのように困った表情を作って、正樹は鼻を掻いた。

「本社はカルフォルニアで……あ、アメリカね。世界二十箇所に子会社があるんだよ。もちろん、日本にも」

 正樹がパンフレットを開く。中には派手なデザインが印刷された瓶が数本並んだ写真が掲載されていた。

「メインはこのデトックス・ウォーター。普通に飲むのもいいし、料理にも使えて、風呂に入れてもいい。肌に塗りこむって人もいるんだぜ」

「ふーん」

 わかりやすすぎるほど、マルチ商法であった。


どうしてマルチ商法を行う会社はどれもこれも、商品やパンフレットはああも「怪しい」と思わせるデザインになるのだろうか。作成者には良心があって、それがまっとうなデザイン作成を邪魔しているのか? 

 などと上の空になっていた俺を無視して正樹は一方的に説明を続け、いかにこの商品が素晴らしいか、どれだけすごい会社なのかを身振り手振りで伝え、商品はグループ単位で多くの人に勧めている、自分はそのグループのリーダーをしてる、とってもすごいことなんだぜと自慢するように言った。

面白く見えてしまったのは、自慢するような口ぶりなのに正樹自身がそれを心から納得できてはいないように感じたことだった。

 そうしてそのグループがいかに素晴らしい人間で構成され、いかに楽しく活動しているかを説明するために、先ほどの冊子が出てきたというわけだ。


 すでに一時間が立っていた。恐らく正樹はこのような勧誘のための文言を、必死に家で練習したのだろう。

 だがその文言が尽きると、正樹はぴたりと話すのを止めて、ようやく彼自身のカップに口を着けた。

 その隙に俺は聞いた。

「いつからやってんの?」

「えっと、三年前」

「俺以外にも会うの?」

「えっと、あの、えっと。そうだな、うん」

 その反応から、連絡がついたのは俺だけだと察した。当然だ。高校時代からクラスでも正樹が誰かと話しているのを、ほとんど見たことが無い。そんな影の薄かったクラスメイトから数年ぶりに、しかも連絡先を交換していなかったからとクラス名簿を頼りに実家を使ってまで連絡を取ろうとしてきたら、誰しもが気付く。

 正樹は髪だけはしっかり店で整えているようだが、肌や表情は昔のままだった。あの高校生の頃の陰を感じさせる顔。そこに無理やり外面を整えたパーツを乗せたせいで、チグハグさを感じさせた。


 俺は正樹との思い出が何かないかと思い出そうとした。

そういえば。

一度だけ正樹と下校したことがあった。その時やっていたオンラインゲームのレアアイテムの入手方法を聞くためだけだったが、二人して下校したのを思い出した。だが、それだけだった。

「姉貴から紹介されてさ。姉貴も今リーダーやってて。めっちゃ儲けてんだよな。あっ、斎藤は今の収入に満足してる?」

 どうやら俺に用意した質問を一つ忘れていたらしい。あたふたした後に、自分の型に入ったように姿勢を正すと、そう聞いてきた。

簡単に人に収入を聞くなんて信じられないが、正樹はそのことを理解していないのか、まったく悪びれる様子がなかった。

「まぁ、そこそこ貰ってるからな」

 俺は気にしないように答えた。

「成績良かったもんな」

「別に普通だよ。オール4、平均。三島とかすごいぜ、ベンチャーとはいえ今じゃ社長だもん。こないだタクシー乗ったら三島の会社のCM流れてた。あいつは成績良かったからな。そうだ、三島には連絡したのか?」

「いや、してない、かな。そうか、社長か。まぁ社長も色々あるだろうけど。うん」

 正樹は俯いて、苦笑いを浮かべた。あぁ、この姿だ。高校時代の正樹。こうやっていつも愛想笑いのような小さな笑みを浮かべて、俯いて一人座っていた。


「それでさ」

 思い出したように正樹は顔を上げた。

「もっと稼ぎたいと思わない?」

 正樹は俺をじっと見つめた。

 俺は空になったカップを見つめた。少しだけ残ったコーヒーが乾き、カップにこびりつこうとしていた。

「やめたほうがいいよ」

「え?」

「こういうこと。マルチだろ」

 張り付いた笑顔を浮かべたまま、正樹は制止した。そして徐々に顔を曇らせ、前のめりだった上半身が、ゆっくりとソファーの背もたれに倒れた。

「わかってるよ」

 正樹はそう呟くように答えたあとは、カップに写った自分の顔を眺めた。

そしてもう一度だけ呟いた。

「そんなこと、わかってる」


 俺たちはそれ以上会話することなく、店を後にした。一応駅の改札までは足を並べていた正樹だが、別の路線だからと改札前で別れを告げた。

「興味が出たら連絡してくれ」

 疲れた表情でそう言って、正樹は去って行った。

 家路に向かう電車の中で、俺は比較的混雑している車内の人々を見渡した。誰も彼も疲れた顔をして俯いている。そのあとに窓ガラスに映った自分の姿を見つめた。

 そこには疲れも不満も見て取れない。かといって幸せかと言われると微妙に違うように思える、〝そこそこ〟の表情が浮かんでいた。

 家に帰ると三歳の息子が笑顔で駆け寄ってきてくれた。

「ただいま、りっくん」

 息子の名前を呼んで抱っこした。きゃっきゃと息子は笑った。息子を抱いて台所に入ると妻が笑顔で迎えてくれ、そのまま息子と風呂に入り、妻の手料理を三人で食べて仲良く川の字に並んで寝た。

 そして朝が来て、電車に揺られた。トンネルに入ったときに窓ガラスに映った顔は、昨日と何も変わらない表情を浮かべていた。


「広畑から電話来たか?」

 今でも半年に一度会う程度の、クラスメイトから連絡が来た。

「あぁ、来たよ」

「もしかして、かけなおした?」

「いや」

 俺は嘘をついた。かけなおしたどころか実際に会いもしたなんて言えば、馬鹿にされそうな気がしたからだ。

「良かった。あいつ今マルチにハマってて。手当たり次第に知り合いに連絡してるらしい」

「マジかよ」

 驚いたフリ。こういうのは昔から得意だ。

「やっぱ昔からダメな奴はこうなっちまうんだな。借金だらけになって自殺とかすんのかな」

 どこか楽しそうな友人に、俺は少しだけ怒りを覚えた。実際に正樹に会ったことで彼に感情移入しているのだろうか。

 友人と適当に話を終わらせると、時計を見た。昼休憩はあと五分。


 高校時代、一度だけ正樹と下校した時のことを再び思い出した。あの時、正樹は楽しそうにオンラインゲームの話をしていた。別れ際に、今度一緒にやろうと手を振ってくれた。だけど結局、俺はそれ以降正樹と関わることは無かった。別に嫌いになったわけではなく、ただ受験が忙しくなったからだ。


 俺はスマホから正樹の番号を呼び出した。

リダイアルに残ったその番号には、名前登録すらしていなかった。

 数コールの後、正樹が通話に出た。

「もしもし」

「よう。こないだは楽しかったよ。コーヒーもありがとう」

「気にしないで」

「なぁ、もう一回会わないか。今度は酒を飲もう」

 しばし正樹は沈黙した。

「ほんとは嫁に止められてるんだけどさ、どうにか許可取るから」

「それって、こないだの話」

 正樹の声には喜びが感じられた。だから俺は言葉を断ち切るように続けた。

「それは、まぁ置いておいて。昔の話しようぜ」

「昔の話……」

「あのゲームとかまだやってんのか? お前、強かったもんな。そういい話、な?」

「……そうだな」


 俺はその後、声の落ちた正樹と日程と場所を決めて電話を切った。

 別にあいつをマルチから抜け出させたいとか、そんな大それたことは思っていない。

毎日変わらず、ひたすら流れる景色に変化を起こしたい、ただそう思っただけだった。

 デスクに戻る前にトイレで歯を磨く。鏡に映った顔を見た。

その顔は、どこか嬉しそうにしていた。


 数日後、約束した居酒屋で俺は彼を待った。

 だが、正樹はいつまでも現れなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

高校時代の同級生からマルチに誘われた 石田徹弥 @tetsuyaishida

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ