編集済
こんばんは。
新年早々、たいへんでしたね。
その、アナウンサーが大声で避難を呼びかける放送、私の地域でも見ました。あの放送で、避難しようかなと考えられた方が増えたのではないかと思っています。
「まごついた」とのことですが。
もうここにはいられないレベルの被害が出れば(不謹慎なたとえですが)、早く避難しなきゃになりますが、そうじゃなかった場合、判断に迷いますよね。難しいですよね。
でも弥生様、避難しようと決めてから出発するまでが、けっこう速いですね。やはり日頃からある程度、避難グッズをまとめておられるのでしょうか。
大事なことですね。
子どもの頃、東北に住んでおりました。
転居してからもう何十年も経ちますが、あの東日本大震災で、生まれ故郷がめちゃめちゃになりました。もう行くこともなかったのに、けっこうな喪失感でした、あれは。
もうお体は大丈夫でしょうか。
被害は少ない地域とのことですが、復興が進みますように。
追記:
レビューを書いてはみたのですが、すみません、後になっていろいろ気になりだしてしまいました。今更ですが、レビューを少し編集させていただいてもいいでしょうか…?
作者からの返信
三奈木真沙緒 様、お読みくださりありがとうございます!
☆評価に文字レビューまで、重ね重ね感謝ですm(_ _)m
こちらは本当に被害が少ない場所で、不幸中の幸いでした……。
距離的には金沢市よりも震源地に近い位置です。
珠洲や輪島の被害は本当に大きくて、これが自分や家族の身に起きたら……と考えると、ゾッとします。崩れた家々、暖房器具による火傷や火災、空襲の後の様な光景が本当に恐ろしい。
いつもの震源地。一過性の地震――そう思ってのんびり構えていたのですが、2度目の揺れで家屋が倒壊し、命を無くした方々が本当に多かった様で。備忘録に書いた様に、家の中で様子見していたらもしかすると本当に危険だったのかも……とか、怖いですね。
避難場所だけは家族と決めていたので、行動開始のタイミングを迷ったくらいでした。持ち物は全然揃えていなくて、取り敢えず防寒して避難しただけです(^^;)
持ったものと言えば、携帯、モバイルバッテリー、懐中電灯、財布、通帳……家が崩れていなかったので、こんな感じでした。
何年も前にセットを買って、それっきり。買ったことで安心しちゃったタイプです。避難先に水が無いことは解ったので、水やお茶は買い置きしておくように気を付けるようになりました。リュックに大きなペットボトル1本・保存用ビスコは突っ込んだままです。
東北に住んでおられたのですね。知っている場所が根こそぎ無くなるのは、想像しただけでも寂しいし、災害で無くなるのは更に辛いですね。
直後の強烈な不調からは回復しました! 不安感はどうにもならないですが、慣れてきてしまった感じもあります。(良いのか、悪いのか……)
地面の陥没や、塀の倒壊している箇所が日常風景に溶け込んで、未だ直されていないところを見るに、完全に元にもどるのはまだかかりそうです。
本当に崩れたりしている場所が復旧したら、徐々にこちらにも手が回って来るのでしょうね(^^;)
レビューの編集、どうぞなさってください。わたしの書く内容に深い教訓も何も無いところ、勿体ないお言葉に感謝しかありませんm(_ _)m
編集済
寒い冬場ということもあって、なかなか避難行動に移行しづらかったのかもしれませんが、東日本のことがあるので海沿いなら、一瞬の迷いが命取りになりますので日ごろからどんな方法で避難場所(高台)に向かうか確認や練習はしておいた方がいいと思います。人間は、正常性バイアスと言って大変な事態におちいっていても、なぜか大したことは起きないと補正してしまう生き物なので……。
かくいう私は山の者なので、津波の心配はないのですが💦東北住で東日本の震災以降、震度6弱を3回経験していますので緊急地震速報が鳴ったらどこにいても机の下などに隠れますね。体に染みついてる感じです。
しばらくは、余震で大きな揺れがあって本当に揺れているのかあるいはめまいなのかと思うようなこともあるかと思います。そろそろ緊張がとけて、どっと疲れも出て来るかも知れません。なるべく体を休めてご自愛くださいませ。
<追記> 弥生様はご存じとは思いますが、湾になっているほうが津波は高くなりますので危険です。昔から根付いている考えを改めさせるのは大変ですので、ご自分の身だけでも守って下さいね💦
作者からの返信
天城らん 様、お読みくださりありがとうございます(❁ᴗ͈ˬᴗ͈))))
星評価までいただき、恐縮です。
これまで、地震らしい地震が観測されたことのない地域で、しかも津波に関しては、湾になっているために起こらない――と長年言われ続けてきたこともあり、石灯篭が倒れ、墓石がずれる被害が出ているにもかかわらず、避難行動を取りにくい地盤が出来上がっている状況でした。
地区によっては、防災担当者が年配者への避難を呼びかけたところもあったようですが、私の住む地区の防災担当者は、避難場所に姿も有りませんでした。100世帯強ほどの町内なのですが、わが家を含めて顔を知っている家族は1件だったかと……(^^;)
しかも避難した先は、受け入れが始まるまで(5強到来後)30分ほどを擁していた感覚です。これじゃあ、津波が本当に来ていたら間に合いませんよね……。色々考えることの多い経験でした。
高台からは離れている平野部だけれど、海からは10キロ未満。海が見える訳ではないけれど、港に大型客船が入港すると、近くの橋からしっかりその姿が見えて、意外に近いのだと驚く距離。その環境も海からの脅威を感じにくいのかもしれません。
東日本の震災以降、震度6弱を3回とは、凄い頻度ですね!
そこまでの震度の地震が、そんなに来ているとは気付いておりませんでした。こちらも同様に、油断ならない時期に突入したのかもしれません。
能登の被害をみると、確かに机の下に隠れるのは必要だな、と感じました。
貴重な経験談を聞かせてくださり、ありがとうございました。
お察しの通り、地震には敏感になってしまいました(^^;)
体調も、スッキリとはしないまでも何とか……といったところです。暖かいお言葉に感謝です!
心身、生活環境共にご無事で何よりですが、年始からえげつない状況ですね(@_@;)
揺れのパターンは東北震災とは異なるようですねー。
当時は埼玉の職場にてでしたが、それでも震度は5強。揺れと言うよりは超振動。あの音は、後にも先にも聞いた事が無く、恐ろしいものでしたね……
しばらくは、地震ではないのに、揺れている様な錯覚がありましたから、同様の感覚が起きているのではないでしょうかね(;´・ω・)
作者からの返信
うがの輝成 様、お読みくださりありがとうございます!
お星様までいただいてしまい、恐縮ですm(__)m
今回ホント内緒でこっそり置いたつもりなのです……だって本当にまごまごしてただけですから。
揺れのパターン、違っていましたか? 東北の震災は、揺れの後の津波の印象が強く、揺れ方の比較はできませんが「ドンドンドン」とか、何とも言えない連続音だった気もします。とにかく長かったです。けれど、全く動けない程でもなかった。とはいえ、どうしたら良いのかわからなかった状態でした。家ごと崩れたら……と思うと、本当に恐ろしいです。
こちらへの津波の影響は少なくて助かりました。東北の時は、海岸から10キロのあたりまで水が来ていたと記憶しているのですが……??なので、それよりも海に近いうちは、もしかしたら――の思いもあっての避難でした。
いまだ揺れない日は無い状態で、常に非常用リュックを持ち歩く通勤生活を送っております。あと、風呂の時間が本気で怖いので、さっと髪を洗えるよう、ざっくり切りました。大人でもまだ揺れは怖いし、過敏になっている気はします。
油断しすぎない様、けど程々に忘れて過ごしたいものです。
ただ、わたしの住む県でも避難生活を送り続けている人たちもいらっしゃいますから……気持ちの持ち様が、むずかしいものですね(^^;)
大変でしたね
作者からの返信
グリーンピースの豆ごはん 様、こっそり置いたつもりでしたが見付けられてしまいましたかε=キャー(///ω///)ーァ=33
お読みいただき、感謝です。
はい――と云うか、未だに避難用バッグを手放せないのです。
いまだ揺れない日が無いとは……
こんにちわ。この度は大変でしたね(´;ω;`)
避難の判断は難しいところですよね。
「被害がなかったから避難は必要なかった」というのは、結果論でしかないですから…
あれだけ揺れたら誰でも心身に堪えますよ。
かくいう私も、しばらく血圧が上がったりふらつきが続いたりはしておりました。
一日も早く日常が戻る事を祈ります。
作者からの返信
那由羅 様、お読みくださりありがとうございます!
労いのお言葉にも感謝です。
いまだ揺れない日は無い状態で、常に非常用リュックを持ち歩く通勤生活を送っております。いつ手放せるんでしょうね(^^;)
あと、風呂の時間が本気で怖いので、さっと髪を洗えるよう、ざっくり切りました。
近所で石灯籠や街灯が倒れたり、断水があったりもしているので、しっかりした耐震構造の家が多くなった結果、崩れるところも少なかったのかもしれません。翌日に家の基礎部分をチェックしてみると、細かなクラックがいくつも入っていたので、ダメージはやっぱり大きかったようです。
避難の判断は、本当に悩みました。けれど、東北の時に沿岸部から10キロの地点にも津波が届いていたような記憶があったんです。うちはそれよりも海に近いので、津波対策での避難でした。
ほんと、何でもなかったら良い経験にはなるのかな、くらいの感覚も有りました。――避難所の誘導やら、個々の所持品やら、考えさせられることが多々ある避難経験だったと思います( ˘•ω•˘ ).。oஇ
那由羅 様も、体調を崩されて大変だったのですね。今は復調されましたでしょうか?ふらつきは対策のしようがなく辛いものですね。無理せず、ご自愛ください(*´꒳`*)
星評価、感謝ですm(__)m
実は誰にも気付かれないよう、近況ノートにも書かずひっそ~~り、おいたつもりのお話だったのでした。
ご無事そうで何よりでした。
私は阪神大震災を経験しましたが、早朝に起きて出勤前にお風呂に入っていた時に震度6(当時は震度6までしかありませんでした。後に震度7に修正されました)の地震に遭いました。
ボロアパートの2階に一人暮らしだった私は、「建物が潰れてしまうかも知れない!」という大きな揺れに恐怖しましたが、お風呂で素っ裸だった事もあり、
「この恰好で死にたくない!」
という思いが先に立ち、バリバリっと大きな音が鳴り、停電になって真っ暗な中にも関わらず、濡れた身体のままパンツも履かずに手探りで服を着て、アパートから脱出しました。
アパートは1階が潰れていて、私が住んでいた2階がそのまま地面に着地するような倒壊の仕方で、幸い私はちょっとした擦り傷くらいで済んだのですが、1階に居住していた高齢者の方が二人亡くなりました。
運が悪ければ私も生きてはいられない様な被害だったにも関わらず、私が最初に思ったのは「この恰好で死にたくない!」という、今思えばなんとバカな事を考えていたのかという感じですが、「着の身着のまま逃げ出す」というのは、実は難しい事なのかも知れませんね。
命の危機を感じた時に、その人がどういう事を考えるのか。
こればっかりは、当事者でなければ分からない事なのだと思います。
ともあれ、本当にご無事で何よりです。
どこかの神様に感謝したいと思います。
作者からの返信
おひとりキャラバン隊 様、ご感想だけでなく、文字レビューまでくださり、ありがとうございます!
この先、もうあって欲しくないから思い出の奥底に仕舞いこんでしまいたい……そんな思いと、すぐに行動する事の出来なかった戸惑いを教訓にして、次に生かさなければ……との相反する思いがありつつの備忘録です。
思い出したくないけど、覚えておかなければならないと云う相反する思いがあるんですよね。なので、読んでいただくエッセーとしては未消化な形での取りまとめしか出来なかったからこその「備忘録」です。
おひとりキャラバン隊 様は、壮絶な経験をされたのですね。どこがどうなるのか、被害の及ぶ場所、そうじゃない場所……本当に、震源地に近ければ近いほど、その差は紙一重なんですよね。とにかく無事生き残られたこと、本当に良かったです。
お風呂は、羞恥心のこともあるし、防寒、怪我防止、色々必要ですから、だれでも本能的に纏えるものを探すと思います。
わたしも当日は風呂に入ることは出来ませんでしたし、その後、入る様になっても烏の行水もいいところでした。とにかく裸でシャンプーや石鹼まみれの時に何か起こったら……と考えると怖くて。さっと入れるように髪も切りましたし。とにかくお風呂は一番怖い時間でした。今はようやく少しのんびり入れるようになりました。
今は、人心も地殻活動もほんの少し落ち着いています。いつどうなるかは分かりませんが、備えと注意をして、いつも通り過ごす事しか出来ないことだけは解りました。
今、無事なことに感謝して、いつも通り穏やかに過ごして行きたいと思います。「無事で何より」との暖かいお言葉に感謝いたします。
そして、貴重な経験談をお聞かせくださり、ありがとうございました。