第2話

「で、今日はどうしたの一葉。仕事の悩み? それとも恋の悩み?」

「ウサギが全然捕まらない」

「初心者狩人の悩みじゃん」

 眉間に二本の皺を寄せた麻奈美まなみは抹茶ティラミスにスプーンを差し込んだ。

 ひとかけ掬って、口に運ぶ。

「まあでもそれで悩んでるってことは、ちゃんと始めたんだね『IT』」

 麻奈美は唇の端に抹茶の粉をつけたまま微笑んだ。

 彼女は大学で出会った友人で、卒業後もよくこうして会ってはカフェでお茶をしながらおしゃべりしている。今回マッチングアプリを勧めてくれたのも彼女だ。

「うん。でもこういうゲームしたことなくて」

「あー慣れてないとちょっと難しいよね。ちょっと見せて」

 私はアプリを起動させたスマホをテーブルに置いた。

 周りに見られてないかなとこっそり見回すが誰も気にしている様子はない。

 別に悪いことじゃないんだろうけど、なんとなくマッチングアプリに登録していると知られるのは恥ずかしかった。

「麻奈美も『IT』やってたんだっけ」

「そうそう今の彼氏もこれで出会ってさ。意外とみんな普通の人だよ。うわあ懐かしいな、このゲーム」

 ゲーム。

 私たちがそう呼んでいるのが『IT』の革新的なシステムだった。

 マッチングアプリでは男女双方がハートを贈り合うことでマッチングが成立する。マッチングしてようやくメッセージの交換ができるようになるのだ。

 そのハートを贈る工程に障壁を設けたのが『IT』だった。

 相手のプロフィールに表示されているハートをタップすると画面が切り替わり、広大な草原が現れる。そこに一羽のウサギが現れたかと思うと、途端にものすごいスピードで走り去っていく。

 そのウサギを捕まえて初めて、相手にハートを贈ることができるのだ。

「でもなんでこんな面倒くさいことしなきゃいけないのよ」

「面倒だから詐欺とか少ないんでしょ」

 麻奈美の言う通りだった。

 このシステムはハートを贈られた相手にも適用される。つまり男女双方がウサギを捕まえてはじめてマッチングが成立する。

 誰彼構わずハートを贈るにはあまりに非効率だ。勧誘目的や軽い気持ちで始めるにはこのアプリは向いてない。

「でも難しすぎて何も始まらないんだけど」

 一兎を追えば恋が始まる。

 とはいうものの私は未だに一羽も捕まえられずにいた。

 フィールドが広すぎる上にウサギがすばしっこいのだ。それに制限時間もあり、ウサギを追っている間に時間切れとなることも多い。

 結果、自分からハートも贈れず相手からのハートも受け取れない。私の恋は一兎に邪魔されていた。

「そりゃそうだよ。だって一葉、何もアイテム持ってないんだもん」

「アイテム?」

「人は道具使えないと勝ち目ないよ」

 するすると麻奈美は私のスマホを操作する。

 ウサギとは逆方向の草原の中を駆けていき、草むらに隠れていた木箱を蹴り開けた。目覚まし時計のようなものが飛び出してくる。

「ほらこれ制限時間を伸ばすアイテム」

「え、こんなのあるんだ」

「うん。他に弓矢とか足が速くなるブーツとかもあったはず」

「おお、さすが経験者」

 なるほどなるほど。

 こういう便利道具を駆使してウサギを捕まえるのね。

「ウサギも捕まえられないやつに彼氏なんか捕まえられるわけない、っていう運営のメッセージなのかと思った」

「ちょっとは運営信じてあげて」

 苦笑する麻奈美は「ほら」とスマホを私に返す。

「これで恋が始められるよ、家ウサギちゃん」

 明らかに面白がっている口調に怒るべきか、有用な情報に感謝すべきかわからなくなって私は無言でスマホを受け取った。

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