第2話 不吉な午後
午後の
タバコに飽きるとコーヒーを飲み、事務処理をし、再びタバコを吸う。
身体がそれほどタバコを欲するのは久しぶりだった。
時計が15時を指した。
ヘリが到着するまで、あと2時間もあると思うと気がめいる。
ドアが開く。
表情の少ない日本人が現れた。
「どうしました。ノグチはタバコを吸わないはずでは?」
「ええ。ミネルバさんと話がしたいと思いまして」
野口は、ミネルバの斜め隣りの席に掛けた。
「私をくどくつもり?」
ミネルバは笑みを作る。恋人が欲しいと思はない。まして結婚するつもりもない。ただ、灼熱のこの国で自分の生を確認することができるのはタバコとセックスぐらいだ。もし、野口がそうしたいと言うのなら、一度ぐらいは試してみてもいいと思う。
「どうしたものでしょう。タバコを飲んでいるということは、あまり機嫌がよくないと見ました」
「軍人なのに、細かい事に気を使うのね。こんな土地での戦闘には不向きなのではないかしら……」
「日本人だからでしょうか?」
「それとも、私のことが好きだから……」
野口がどんな思考回路を持っているのか、興味がわく。
「自分は施設部隊……、工兵ですから、細やかな方がいいのです」
野口が誘いを無視した。
「ノグチの言う通りね。日本人の作る道路は、品質が良くて喜ばれている」
3本目のタバコを唇に運ぼうとすると、野口が灰皿に目を向ける。
「日本では喫煙率が下がっているのですが、アメリカでは違うのですか?」
ミネルバは2本の指で挟んだタバコをクルクルと回して箱に戻した。
「分かっているわよ。もうやめてやる! って、何度もタバコを捨てた。でも、イライラすると吸いたくなるのよ」
「ニコチン中毒……?」
それは自己管理できない人間だと指摘されたのも同じだ。
「吸わないとやっていられないほど、子供じゃないわ」
ついつい口調がきつくなった。
「知っていますよ。あなたのそんな姿を見るのは初めてです」
野口の紳士的な口調は気持ちが良かった。そんな男がジャングルの中の廃墟にいるのが信じられない。それ以上に、自分がその廃墟に3年もいることが信じられなかった。
この3年間で、何人の隊員が死亡し、何人が大けがを負って帰国しただろう。
涙がこぼれた。
「タバコが吸える場所も減りました」
涙の理由を訊かれないので救われた。
「タバコそのものが、世界から消えようとしているのよ」
「消える前に、捨ててはどうですか?」
「捨てられた身になったことはある?」
「さあ……」
野口が困惑の表情を浮かべる。
「私はあるわ。女だから」
「性別が関係しますか?」
「恋愛じゃないのよ。仕事の上の話し」
「なるほど。それなら分かります」
涙が乾いた。
「アメリカに帰りたいですか?」
「さあ……。でも、この街は出たいわ。ここだけの話し……」
「疲れたのですね」
窓が灰色になる。スコールが来るのだ。
「砂漠も戦場も平気だったけれど、孤立したことはなかった」
空が真っ黒になると、子供の時に物置に閉じ込められたのと同じ気分になった。
「孤立しても、孤独ではないですよ」
「仲間がいる、なんて言うのではないでしょうね?」
東洋の男ののっぺりとした顔を観察する。
「甘いですか?」
「ノグチは、ここにきて1年だったわね。本当のナンジャモを知るのは、これからよ」
「どういうことでしょう?」
「ここでは文明国の理屈は通用しない。日本の作る道路は喜ばれているけれど、住民はPKOがナンジャモ政府の下請けでやっていると考えている」
「なるほど」
「彼らは笑って見せるけれど、心の内では、このチャンスに多くの物を取り上げてやろうと考えている。それは、政府も国民も同じ」
「我々は歓迎されていないと?」
「歓迎されているわよ。……我々はここに駐屯し、相場の10倍の値段で燃料や食料を買っているし、自衛隊は相場の5倍の賃金を払って泥を運ばせている」
「そうして国が豊かになれば、平和が定着しますよ」
「彼らは、得た金で武器を買うのよ」
「そうなのですか?」
「彼らは、あまりにも戦いに慣れすぎている。戦うことを生活の一部にしている」
「なんだか、我々みたいですね」
アハハハ……、野口の反応には、笑うしかなかった。
「久しぶりに面白い話を聞かせてもらったわ。ノグチの言うとおりよ。ナンジャモ政府も反政府軍も山賊と同じ。……我々も同じだ。だからこそ、我々はここにいる」
「いや、それは……」
野口が困った顔をするので、もっといじめたいと思った。
「ここが戦場と違わないと知っていて、国連も各国の政府も軍を出した。それには何らかのメリットがあるから。分かる?」
「地下資源ですか?」
「それもあるし、中国の影響力を削いでおきたいという思惑もある。我々は人柱なのよ」
「無事に帰れば人柱ではありませんよ」
楽観的な意見をいう野口に苛立ち、タバコを取り出す。
彼の視線が自分の手元にあるのに気付き、タバコを箱に戻した。
「朝から感じる押しつぶされそうな圧迫感。こんな感じがなかったら、タバコなんか吸わずにいられるのよ」
タバコを箱ごと握りつぶしてゴミ箱に放ったあと、無意識の内に親指の爪を下唇にあてていた。
「フロイトが見たら、僕らを赤ん坊だと言うだろうな」
慌てて唇から指を離し、両手をつなぐ。
野口が、これほど忌々しい男だと感じたことはなかった。
「口唇期への退行だと?」
立ち上がった野口が背後に回り、覆いかぶさるようにキスをしてきた。
突然の行動に驚いたが、それ以上に自分の唇が野口を拒まなかったことに驚いた。
「寂しいのでしょう。心細いと言った方が正しいのかな?」
野口ののっぺりした顔に皺が刻まれ、白い歯がのぞいた。笑ったようだ。
「まじないです。タバコが止められると良いですね」
「仕事も辞めちゃうかもしれないわ」
「それは軍が困るというでしょう。雨が止んだら、夕方の作業に出ます」
窓の外を見る野口の視線を追った。
雨は止みそうに見えたが、もう少し降り続いてくれないものかと思った。
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