裏切り

明日乃たまご

第1話 不吉な朝

 一日の始まりスタート、赤道に近いナンジャモ共和国の辺境の街ブルテルムの空は黒く、車軸のような雨が降っていた。


 ナンジャモ共和国は国土の半分はジャングル地帯で、ブルテルムは資源採掘のためにジャングルを切り開いて建設された街だ。


 紛争が起きると反政府軍が弾薬庫を置いたために、街は政府軍の集中砲火にさらされた。結果、反政府軍は雲隠れし、街は中立地帯の様相を呈したものの、散発的な戦闘が続いている。


 スコールの中、通りを葬列が通る。


「ミナ……」


 ユーリー・ブレディキン1等兵は、ずぶぬれになって目の前を通り過ぎる葬列に向かって十字を切った。日ごろ彼女を可愛がっていたロシア軍の兵士だ。全身が震え、今にも大きな身体が膝をつきそうだった。


「ユーリー、しっかりしなさい。彼女のためにも、私たちの力で平和を築くのよ」


 ミネルバ・アストーニ少佐は、自分より首一つ大きな男の肩に手を置いた。


 20名ほどの葬儀の列が墓地に向かって遠ざかる。彼らにとっては、刺すような日差しも、石礫いしつぶてのような雨粒も同じなのだ。銃弾や爆弾に比べれば、陽射しや雨粒など、どれほどの脅威だろう。


 葬られるのは、昨日の政府軍の爆撃で死亡したミナ・ブラナム。まだ10歳の少女だ。


 もともと60ほどの部族が土地と富と女を奪い合っていたナンジャモ共和国は、内戦が終わったとはいえ、日々、小さな紛争が続いている。ほとんどの場合、数名程度の銃撃戦だが、時々政府軍がこれと思った場所に空爆し、反政府勢力を根絶やしにしようとしている。


 政府もまた、一部の部族の利権の代表なのだ。ミナはそんな大人同士のいざこざの犠牲になった。


 3年ほど前に表面上の内戦が終結し、国連PKF平和維持軍及びPKO平和維持活動隊が派遣された。本部は首都ジャバにあり、ここブルテルム基地は本部から1200キロ、最も近いルンバラ基地からでさえ500キロある。


 ブルテルムのPKFには、ロシアとイギリスの地上部隊とアメリカのヘリコプター部隊が加わり、基地を一つ作った。


 日本は自衛隊の施設部隊をPKOとして派遣し、PKFの基地内に駐屯させている。本来なら別々の基地を作るところを一つにしたのは、各国共にブルテルムの治安が悪いことに危機感を覚えていて、全滅という最悪の事態を想定して1個小隊程度の派遣にとどめたからだ。一カ所に駐屯することで相互援助を図り、効果を出すことと生き残ることが期待された。


 基地を一つにした都合上、全体のコントロールを図るためにミネルバが司令官の地位に就いた。自衛隊の施設部隊20名を指揮する野口英夫のぐちひでお1尉は、ずぶぬれになりながら葬列を見送るミネルバとユーリーを指令室の中から見ていた。


 葬列がスコールの向こう側に消えた後、ミネルバとユーリーは険しい顔で戻ってきた。二人の靴は、泥ですっかり汚れている。


「政府軍のやつら」


 ユーリーは敵意をむき出しにした。


「ユーリー。俺たちは国連軍だ。政府軍と戦争をするわけじゃない」


 ロシア軍で編成されたPKF第1小隊長のグリゴリー・アラロフ大尉がユーリーを叱責する。


「それは分かりますが……」


「これが戦争なんだ」


 そう言ったのは、出発の準備をしていた第3小隊長ビリー・カールトン中尉だ。


 第3小隊はアメリカが編成したヘリコプター部隊で、UH-1という古いヘリコプター3機編成のために火力は小さい。人員もパイロトが8名と砲撃手4名、整備士3名という、こぢんまりした部隊だ。


「PKOは戦場ではなく、紛争の終息地に派遣されるのですよね」


 嫌味を言うのはイギリス軍で編成された第2小隊を指揮するエイダ・アボット大尉。彼女は女性らしいふっくらした唇を尖らせ、ビリーを一瞥する。


 ビリーは不愉快そうに視線を逸らした。


「こんな日に飛ぶんですか?」


 ベティー・キャメロン1等兵が空を見上げた。


「新米が、生意気な口をたたくな。今日は、ベティーが機長だ。俺が副をやる」


「隊長が、ですか……」


 ベティーの顔が突然緊張する。


「砲撃手の顔が見えないようだが……」


 集まった第3小隊の顔ぶれを見た野口がきいた。


「少しでも荷物を多く積みたいからな。兵隊は一人だけ乗せていく」


 ビリーの澄ました返事を聞いたミネルバが顔を曇らせる。


「ルンバラまでは約3時間。大丈夫なの?」


「心配いらないさ。最近、反政府軍に目立った動きはない。弾薬が尽きたのだろう」


「動きがないからこそ、不安だわ」


「平和を喜べよ」


 ビリーの言葉にユーリーが腹を立てる。


「何が平和だ。ミナは昨日の空爆で死んだんだぞ」


「国連の基準では、ここは、非戦闘区域だ」


 ビリーは言い捨てると、部下を連れて表に出た。


 雨はすっかり上がっていて空は真っ青だが、兵隊を喜ばせるものではなかった。




 高度の低い太陽が地面を焼いて落ちたばかりの水滴を空気に還元し、人を苛立たせる。


「大丈夫かしら? 嫌な予感がする」


ミネルバがヘリに乗り込む第3小隊の兵隊たちを見つめている。


「ミネルバの予感は当たるからな」


 付き合いの長いグリゴリーがいう。


「悩んでいても始まらない。施設部隊は出るぞ。雨で遅れた分を取り戻せ」


 野口が室内の隊員に声をかけると、彼は倉庫にたむろしている隊員に伝達に走った。


「ノグチも気を付けて」


 ミネルバが、たどたどしい日本語を野口にかける。


「了解しました」


 野口が直立不動の姿勢で敬礼すると、ミネルバの口元が笑った。




 白く塗られた3機の古いヘリが轟音を轟かせて青い空に消えた。


 施設作業車の操縦席に座った車田裕也くるまだゆうや1曹が空を見上げる。


「自分もヒューイに乗りたいです」


「お前には無理だよ」


 野口は軽くあしらう。


「どうしてですか?」


「お前の名前が、車だ、だからだ」


「駄洒落ですね」


 車田が苦笑する。


 施設部隊は、施設作業車を先頭に3t半トラック2台を連ねて作業現場に向かった。


「俺たちもパトロールに行くよ」


 第1小隊のグリゴリーがミネルバに報告すると基地を出た。


 残った第2小隊が基地の防備に当たる。


「ミネルバ少佐の予感は当たるのですか?」


 通信担当として残った加藤スミレ2曹が率直に訊いた。


「ええ。宝くじは当たらないけれど、悪いことは良く当たるのよ。スミレにはない? 今日は失敗しそうだと思っていたら、本当に失敗してしまった、なんてこと」


 スミレが小首を傾げる。


「ありません」


「そう……。それは、スミレの勘が鈍いのか、それとも、とっても運が良くて、順調な人生を送って来たということね」


「勘が鈍い方だと思います。人生は順調ではありませんから」


「そうなの……。きっと、これから良くなるわよ」


 ミネルバは嘘を言った。


 スミレの……、いいや、ブルテルム駐屯部隊の全てに危機が迫っている予感がする。それを口にしないのは、言ったところで科学的な説明もできなければ、対処を提示することもできないからだ。


 いや……、対処方法が一つある。


 撤退することだ。しかし、そんな案を誰が承認するだろう。我々は、PKFなのだ。

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