第24話 神門三千流奥義 伝痛蝗哭
奇怪な構えであった。半身となり、左手で逆手持ちにした柄頭を槍のように前方へ突き出した。
「なにそれは、エアギターでもするんすか」
ギターで言うならヘッド部分となる柄を水平よりやや下げている。嶺鈴の言った通り、夕子はギターを弾くように刀身を爪で弾いた。甲高い音に嶺鈴が眉を顰める。
夕子は無言でかき鳴らすように立て続けに爪で弾いた。弾くにつれ振動音は耳鳴りのようになり、いつしかほとんど聞こえなくなった。
「いったいなんの――」
「ま、まさか高周波ソード!?」
超振動する刀身を指して卍姫が反応する。超音波カッターなどの人力再現と推測したらしい。
「っ、そんな大道芸で今さら脅そうたって……」
そう言いながらも嶺鈴は怯んでいた。卍姫の推測通りなら、頑丈な姫騎士といえど骨ごとぬるりと断ち切れるであろう。しかしそれは誤解であった。そもそも夕子の剣は刃引きされている。いくら振動させたところで切れ味を増しようがない。この構えの肝は刀身ではなく、柄頭にある。
「いざ」
声が耳に届いたとき、既に夕子は踏み込んでいた。前方ではなく横方向である。夕子の狙いは向かい合った本体ではなく、傍観していた分身であった。
その分身は意表をつかれた。白い影が眼前に迫っている。反射的に剣を振るうも空振りした。視界いっぱいに白髪が広がったと思えば、姿を見失っていた。
「後ろだあたし!」
本体の声が響くのと同時に、回り込んだ夕子が柄頭をこめかみに当てていた。
「神門三千流奥義、
視界が一瞬だけぶれる。痛みはない。打撃ではない。ほんの微かに触れただけに過ぎず、四肢の動作に異常もない。振り払うように剣を振って、夕子へと向き直る。刀身を強く弾いたのであろう人差し指の爪が割れ、血を流していた。
「なにが奥義さ。こんなのなんとも――」
頭の中がざわついた。眼底の裏側から鼻の奥にかけて違和感が走る。鼻づまりを硬質化させたような未知の感覚である。脳の中枢の異物感は次第に大きく騒がしくなり、虫に囓られるように僅かな、しかしはっきりとした痛みをそこに感じた。そうしてそれは、指数関数的に増大した。
「あっ……おっおっ……いたっ、いだだ、痛い痛いイタイイタイイタイタあぁぁぁ゛あギャアアアアア!」
絶叫する。痒痛が激痛と化していた。頭蓋骨の裏側に無数のイナゴが張り付いて、それらに脳髄を食い荒らされるような頭痛であった。頭を激しく振り回す。固めた拳で打撃する。脳に衝撃を与えた瞬間だけ微かに誤魔化せるものの、痛みの波は断続する。脳血管じゅうに産み付けられた虫の卵から次々と羽化するかのごとく、しだいに激しく、絶え間なくなり、間もなく、衝撃を与えるという対処療法も効き目がなくなる。
頭を抱えてのたうち回る分身を見下ろして、夕子が告げる。
「群発頭痛はご存じかしら。世界三大激痛の一つとして有名ね。この奥義は特殊な振動を浸透勁の要領で打ち込み、脳機能を破壊することでそれを再現した」
痛みでのぼせた頭では、夕子の言葉は理解できない。目玉をくり抜いて脳裏を物理的に掻きむしろうにも、指はきっと届かない。別な痛みで誤魔化そうと、剣帯からナイフを引き抜いて太股に突き刺した。
「股ぬきも無駄よ。その痛みも頭痛に変換される。異常を起こしているのは脳だもの」
地べたに転がり、身体を丸めてざくざくと繰り返し突き刺すが、太股に痛みの感覚はない。ナイフの切っ先が体内に入った途端ワープしたように、その痛みが脳髄を抉る。自傷行為でも誤魔化せない。もはやどうしようもなかった。
叫びが途絶える。
「……痛い……やめて……許して……助けて」
目を瞑り、胎児のように丸まって懇願するばかりとなった。
「自殺しかねない痛みを与えるだけの非殺傷剣技。それが伝痛蝗哭」
夕子の言葉の矛盾を指摘する余裕は、激痛に心を砕かれた彼女にはなかった。
「もうやだ」
そう呟くと、光の粒子となって霧散した。痛みに耐えきれず消えたのである。
夕子がゆっくりと振り向くと、嶺鈴はよろめいて、踏ん張った。脂汗が流れていた。分身の味わった激痛の記憶が、フィードバックで流れ込んだのであろう。痛みに対するセーフティがあるのか、青ざめても、泣き叫ぶほどではなかった。
「さてリンさん、いかがかしら。参ったを言う気になった?」
「……言うか下衆。本性見たりだサディストめ」
声が、震えていた。夕子が再び先ほどの構えをすると、嶺鈴の肩がびくりと跳ねた。
「そ。なら説得を続けましょうか。この技は加減が効かなくって、お返事もできなくなるもの。分身の皆さんに体験してもらいましょう」
僥倖にも嶺鈴の能力は都合が良かった。いくら苦痛を与えようと、分身なら取り返しが付く。本体を自殺させずに済むのである。
「逃げろあたしたち!」
「遅い」
剛歩による加減抜きの踏み込みである。逃げ出そうとした分身たちの目の前へと、一瞬のうちに回り込んでいた。
白い影の過ぎ去った分身は二人で、一人は人中、もう一人は後頭部に柄頭が接触した。伝痛蝗哭の有効な急所は頭部に数カ所ある。剣の構えとしては隙が多いが、打撃としてみるなら当てやすい技といえた。無論代償はある。一指し指に続いて、中指と小指の爪が割れていた。
技を受けた分身たちの反応は先ほどの焼き直しである。
「イタイイタイイタイタイ!」
「イヤァアアアアア!」
地獄の苦しみにのたうち回る声が二重になっただけである。それを背に、夕子は元の立ち位置に戻っていた。そして嶺鈴本体に向かって、己の技を解説する。
「伝痛蝗哭の治療方法は単純よ。もう一度伝痛蝗哭を打ち込む。ただそれだけ。そして弱点もまた単純」
自らの血にまみれた右手を見せる。
「放つごとに指が潰れる。五回が限度ということね。そして既に、私は三回放っている」
残る指は親指と薬指である。言い終えたあたりで分身たちは限界を迎えたのか、自ら消滅を選び、フィードバックが本体を襲った。
「っ……!」
嶺鈴は口を押さえた。そして込み上げるものに堪えきれず、指の隙間からこぼれ落ちた。痛みの記憶と、それに伴う恐怖から嘔吐したのである。
「残り二回。つまり、もう一回放てば治療できなくなるわ」
荒い息を吐きながら、嶺鈴が反射的に叫んだ。
「消えろあたしたち!」
分身が一斉に消失する。嶺鈴といえど、苦しみ抜いて自殺するのは嫌なのであろう。意地を張りながらも保険を得るべく無意識に行動していた。
「あら? 心に隙が生じたわね」
「くっ、殺せ! ひと思いに殺すっす!」
「いやよ。だって私は人殺しになりたくないもの」
地獄の苦しみを味わわせ、自殺させるのは殺人ではない。日本の法律でもそうなっていると聞く。
「だから、参ったと言いなさい」
嶺鈴は沈黙する。刀身をかき鳴らして、夕子は再度言った。
「参ったと、言え」
嶺鈴はうつむき、震え、拳を握ると、夕子を見上げて獰猛に笑った。
「いやだね。あんたこそ参ったしろ」
剣帯を外して遠くへと放る。衝動的な自殺を防止するため、手にした剣以外の武器を捨てたのである。嶺鈴は覚悟していた。
「よろしい。ならば地獄を見せてあげる」
お互いに気合の声を上げ、地を蹴るのも同時であった。頸動脈狙いの斬り付けと、顎狙いの打ち込みが、交差してすり抜けた。
夕子の耳が大きく裂けて血が流れる。振り向いた嶺鈴はにへらと笑った。
「……ははっ、一矢報いてやったっす。ははっ、あはははっ、あはっ、あああああアアアアア!」
剣を手放し頭を抱えて膝を突く。激痛が始まった。
「降参して! 早く!」
「やだっ、いやだっ」
頭を掻きむしりながら、地面に激しく打ち付ける。
「発狂するわよ! お願い、負けを認めて!」
「やだやだやだ! あたしは負けない! 絶対に! 死んだって!」
夕子は唇を噛み締めた。十秒、二十秒と時が過ぎて行く。絶叫が息継ぎで途切れつつも続いているのは、それだけ嶺鈴の精神力が強いのであろう。
しかしこれ以上続けるなら、夕子が負けを認めて治療するか、嶺鈴を発狂死させるかを選ばねばならない。無論夕子は前者を選ぶ。選ばねばならない。非殺傷剣技とはいうものの、伝痛蝗哭は本来、罪人を処刑するための奥義である。苦しめるだけ苦しめて自死に追いやる。決して同胞に使ってよいものではない。
それでも夕子は治療のための二撃目を放てなかった。まごついたのではない。勝ち負けもどうでも良い。夕子は期待してしまったのである。いかにも無様にのたうち回りながらも、嶺鈴の目の輝きは死んでいなかった。痛みと戦い、絶望せず、ひたすら勝利を求めて足掻いていた。
果たして、夕子の期待通りになった。
「負けるかあああああ!」
突如増大した神威に、夕子の肌が粟立った。嶺鈴の叫び声が尻すぼみに途切れ、糸の切れた人形のようにだらりとなる。暫しの沈黙の後、堰を切ったように哄笑をあげた。
「あははははは、すごい! あたしすごい!」
己の両手を見下ろして自賛する。痛みを感じている様子はない。芽亜が思わず声を上げた。
「リンさん、とうとう、頭が痛くておかしくなったの?」
「いえ、そうではありませんの。あれはもしや……」
「三次覚醒ザマス」
姫騎士の能力覚醒には段階があり、神威に目覚めるのが一次覚醒、異能に目覚めるのが二次覚醒とされる。異能に目覚めていない夕子や芽亜は一次覚醒者であり、異能に目覚めている霧子や嶺鈴は二次覚醒者であるといえる。そしてたった今、嶺鈴はもう一段階上の三次覚醒を果たした。
「わかりやすく言うなら、絶体絶命の窮地でパワーアップしたんですの」
頭痛が解消されたのは、伝痛蝗哭で破壊された脳機能を増大した神威によって再生したからであろう。
「そんなの御都合主義だよ」
と、卍姫の解説に芽亜が指摘する。しかし御都合主義を起こすのが姫騎士であり、そうであるからこそ半神とされているのである。ともあれ、夕子は嶺鈴を追い詰めすぎたらしい。一思いに仕留めないせいで、パワーアップを許してしまった。兵法としてみるなら失格であるが、一武人としてなら、望むところであった。
「はいそこなぁに笑ってんすかユウお姉様、ここはさァ、主人公がパワーアップで大逆転の場面っすよ? ビビリ散らすべきだろうが!」
神威が放たれる。怒りと殺意が夕子を圧する。夕子は武者震いした。
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