第23話 言った者勝ち

 横合いからの剣閃に反応して受け太刀する。

「隙を出したな!」

 分身の嶺鈴であった。夕子が本体との会話に気を取られたのを狙い、斬りかかってきたのである。一撃、二撃、三撃と、夕子は後退しながら受け続け、四撃目を大きく弾くと、反撃に転じようとした。本体は無言のまま、分身から指示が飛んだ。

「征けや特攻!」

 何人もの他の分身が、盾になるように割り込んだ。神威は感じられない。魂魄疲労というばかりでなく、自ら神威を消したのである。未強化の彼女たちは、生身の人間と変わらなかった。

「っ……」

 剣を寸止めする。強化した夕子の一撃をまともに喰らえば、彼女たちの肉体強度では肉片となって弾け飛んでしまう。力加減しつつ制圧するのは隙が大きい。跳び退いた。

「足手まといも使いよう、妹のメアっちの目の前でスプラッタは駄目だよなぁ!」

 着地際に分身が飛び込んで追撃する。受けながら反撃の機会を窺うが、纏わり付こうと追ってくる未強化の分身に気が逸れる。か弱い少女らに囲まれるのは健全な男子としては歓迎すべきであろうが、今は不健全な格好で戦闘中であり、動きを制限されるのは命取りといえる。にもかかわらず夕子は、剣を振り切るのをためらってしまった。

「打ち合えてるぞ真理谷夕子! 覚悟がないから心が弱って、力も弱ってそうなった!」

 嶺鈴の言う通りである。優勢から一転してこうも無様を晒すのは、強化の度合いが感情で左右される神気制御の未熟さもあるが、いざ殺人となって尻込みする覚悟の欠如が原因である。

 夕子の修めた神門三千流は暗殺剣である。けれども殺人のための精神教育というものを、夕子は受けていなかった。むしろその逆で、暗殺剣の奥義を軽々しく振るえぬように、命の大切さを教え込まれてきた。殺す覚悟どころか、殺人への忌避感が染みついていた。その武術流儀らしからぬちぐはぐな教育方針と、病弱でたびたび死にかけながら辛うじて生きてきた幼少期の境遇とが合わさって、殺されて死ぬのは怖くないが殺して死なせるのは恐ろしいと、ある種の極端に現代的な倫理観を、真理谷夕子は身につけてしまっていたのである。

「それでも!」

 構えた剣に震えはない。力も心も削がれているとはいえ、技の冴えは失われない。嶺鈴の袈裟斬りを真っ直ぐに切り落とす。柄を握る左手の甲がくっきりと陥没し、折れた骨が皮膚を突き破って露出した。

「こうも明らかな戦力差を認めなさい!」

 殺せなくとも負けはない。現に片腕を潰してみせた。しかし嶺鈴の戦意は削げなかった。

「小手を割られたって、死ぬ気だったら痛くない! 割るんなら脳天だろうに!」

 分身が片手持ちで剣を振る。斬撃の鋭さは両手持ちと遜色ない。宣言通り死ぬ気の気合いによるものか、あるいは戦いながら成長しているのであろう。未強化の分身たちも群がった。嶺鈴たちは自らの命を盾に隙を作り、そこに切っ先を突き込んだ。縫合糸代わりの毛髪がぷつりと断ち切れ、再生しかけていた傷口を割り開く。刃の冷たさと肉を切られる熱さとが同時に感覚された。

「傷口を二度刺しなら、深手にだってできる!」

 僅かとはいえ内臓が損傷した。不覚を取ったといえるであろう。

「どうよ! 殺してやれるぞ真理谷夕子!」

「……たしかに、今の一撃は良かったわ。けれど命には届かない」

 じわりと広がる出血の感覚に寒気がするが、この程度では自分は決して死なないと、夕子は知っている。

「見下して! もっぺん掻っ捌いて――」

 己の神威を意識する。向かってくる剣を見据え、柔らかく柄を握る。一閃する。断ち切った。折れた刀身が回転しながら飛んで行った。神威差による斬鉄である。殺人をためらってしまうということは、不殺を前提に剣を振るえば力が乗るということでもある。



 後ずさった分身たちに目もくれず、本体に問いかける。

「悪あがきはもうおしまい?」

 嶺鈴は鼻で笑った。

「分身が勝手にやったことだ」

 分身たちは本体に不服そうな目を向ける。

「こいつらは命が軽いから余計に戦いたがる、先走りってやつっす」

 たしかに嶺鈴本人は戦闘に参加せず、見ているだけであった。本体と分身とでは考え方が異なるのであろう。魂魄疲労に陥りやすいのに加え、仮初めの命ということで、やけっぱちになりやすいのかもしれない。

「だがばらしてしまったな! 分身ですら殺せない甘ったれが真理谷夕子ってことだ! ならばさ、もっかい言ったげるっす。あたしを殺せないならあんたこそ降参するがいい!」

 分身の悪あがきを無力化されたにもかかわらず、ふてぶてしい態度を崩さない。

「まるで子供のわがままね」

「それでも勝ちは勝ちっすよ」

「駄々をこねて手に入れた勝利など、誰も認めないわ」

「いいや認める」

 と、嶺鈴は口角を吊り上げた。

「カメラはもう回っていない。このやり取りの目撃者はメアっちと姫っちだけ」

 はっとなる。夕子が広場に戻ったときには既に、白鷺先生は配信用カメラを止めていた。今は夕子と嶺鈴の会話を、にこにこ顔で見守っているだけである。

「となれば、言い張れば通用するってことだ。クラスの連中には」

 嶺鈴は灰色を白だと喧伝すると予告したのである。勝者の権利の押し通し方によっては、不名誉を隠蔽するのも不可能ではない。

 決闘中に外野が物申すのはマナー違反であるが、さすがに思うところがあるのか、卍姫が口を挟んだ。

「リンさんあなた、そのような、ありえませんわよ卑怯者!」

「姫学の男子小学生みたいなノリに慣れきって女子社会の泳ぎ方を忘れたっすか? うちらあたしらの間ってのは、なあなあで褒め合って陰口を叩き合い、頭よりも口先でものを考えるから、声のでかい主張ばかりが通用する。女子っていう生き物にとっては毀誉褒貶こそ世論っすよ」

「陰険だよぉ……」

 と芽亜も呟いた。

「決闘の内容は途中までしか知られちゃいない。姫っちとメアっちだけはあたしの逆転勝利にケチをつけられる人間だが、果たして勝者を貶める敗者の戯れ言にクラスの連中は耳を貸すかな? 一度付いた勝負の結果に文句を言うのは女々しいって、乙女じゃないってさ」

「そのように屁理屈とこけおどしを並べ立てれば、このわたくし、四方院卍姫があなたの卑劣な振る舞いを捨て置くと、本当にお思いですの?」

「いいやそう言うと思ったよ姫っちなら。だからここからは風評のぶつけ合い、こっちとそっち、どっちの主張が通用するかの勝負っす」

「望むところですわ。メアさんとともに、断固抗議させていただきますの」

「え? えっと、メアも?」

 卍姫と嶺鈴と、夕子の視線が集中する。

「……メアはお姉様の妹だから、今回はお姉様に味方するね? リンさんはお友達だけど、今回は、今回だけは、ね?」

 いまいち反応が頼りないのは、芽亜は中学三年まで一般の学校に通っていたので、学内世論形成の大変さが身に染みているからであろう。芽亜の話によれば、一般の学校とはクラスカースト争いや低強度いじめが頻発する閉鎖環境であるという。一般の学生は心の免疫力をつけるために、あえて精神衛生に良くない環境に浸って過ごすのかもしれない。

「真理谷夕子には二人も味方がいて頼もしいが、ここはさんざんクラスに尽くしたあたしの人望勝ちっす。言っておくがあたしにだって犬はいる。決闘でわからせた犬が。夕子お姉様は無様に負けたと、あたしの友人たちは忠実に吹聴してくれるだろうよ」

「人望などと、力で脅して嘘つきを、無理強いしているだけでしょう?」

「嘘だって百遍言えば真実だ。さて真理谷夕子はだんまりだが、決闘はひとまずそっちの負けでいいんすね? だったらこの続きは現代社会らしく、世論戦といこうじゃないか。どうせ、世の中言った者勝ちっす」

 嶺鈴と卍姫のやりとりを聞きながら、夕子は呆れながらも感心していた。そういう勝利の仕方もあるのかと、女子社会は恐ろしいとも思っていた。能力による集団戦を得意とする嶺鈴らしい勝ち筋である。


 デュエルオフィサーの白鷺先生が介入しないのを見るに、示し合わせていたのであろう。何でもありを前提とするなら審判の籠絡は基本戦術である。あの白鷺先生がそう簡単に買収されるのだろうか、サッカーの審判ではあるまいに、公正であるべき担任教師が一方に肩入れするのだろうか、という常識的な考えをする者はこの場にはいない。彼女ザマ先ならする、絶対する、というある種の信頼があった。生徒の自主性を重んじたり面白がったりもあるが、教育のために不公平を押し付けるくらいはするだろう。デュエルオフィサー選びの大切さをわからせるという建前もある。

 嶺鈴としては直接戦闘で勝利できるならそれでよし、そうでないなら、詰みになった時点でカメラを止めてもらい、決着を有耶無耶にする。そうすれば殴り合いではなく、話し合いで勝利をもぎ取れる状態に持って行ける。畢竟決闘とは暴力のぶつけ合いである。それが腕力ではなく言葉によるものでも、勝利には違いない。戦力と戦術はともかく、勝利への執念という点においては、嶺鈴は夕子を上回っていた。

 嶺鈴の策は夕子の甘さを前提としている。無制限決闘という殺人許可証を持った相手に向かって、殺せるものなら殺してみろと言い放つ。まかり間違えば逆上した相手に殺されかねない。もし夕子が武術家的な蛮性を備えていたなら、嶺鈴の行為は薬物中毒の暴漢の目の前で110番通報するようなものである。戦いぶりから殺人への忌避感を見抜けたとはいえ、並大抵の覚悟でできるものではない。

 夕子は嶺鈴を見つめた。その口振りや表情とは裏腹に、彼女の肌は青ざめていた。生殺与奪の権を握られた状態で、勝利のために強情を張る。彼女には殺される覚悟がある。心が強い。尊敬に値する好敵手である。


 戦闘における優劣が決まった以上、名目上の勝敗にこだわる気持ちは左程なかった。しかし青ざめながらも意志を押し通す彼女の姿を前にして、夕子は己の甘さを恥じた。そして彼女に勝ちたくなった。

 芽亜と卍姫にクラスメイトと言い争って欲しくない。嶺鈴の武人としての清廉さを、卑劣な勝利者となることで損なって欲しくない。思い浮かんでしまうのは、いずれも女々しい理由である。そこに戦士としての雄々しさはない。

 それでも、弥彦嶺鈴という好敵手に勝利したいと思った。実のところ、夕子は彼女のことが好きになっていた。異性としてか戦士としてかはわからない。ただ戦いを通して己のすべてをぶつけてみたい。霧子もそうであるが、真理谷夕太郎が単純に惚れっぽいのかもわからない。

 殺しはしない。殺しても意味が無い。たとえ殺されても嶺鈴は敗北を認めない。彼女の心を折る。甘ったれと看破された己の意志を押し通す。姫騎士の戦いとは心の戦いであり、それこそが勝利である。

 剣を構え直す。神威が冴える。気配の変化に嶺鈴が怪訝な顔をして、芽亜と卍姫が青ざめる。白鷺先生は微笑んだ。芽亜たちはすわ殺人と勘違いして戦々恐々としているが、先生にしてみれば想定内であったらしい。彼女が夕子の甘さを見抜いていないはずもない。嶺鈴への肩入れは夕子への教育も兼ねていたということである。

「嶺鈴さん。私にクラスメイトは殺せない。殺す覚悟はない。けれど、地獄を見せる覚悟はあるわ」

 勝利のために、切り札を切る。

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