2-3 若者の夢
二人はスタコラサッサと人気のない路地裏まで避難し、話をしている。
と言うより、タツヤが一方的に騒ぎまくっている。
(僕はお金では女の子は抱かない主義なんだ! いくら渡されても抱く気はないよ! 最低だよね。愛をお金で買おうだなんてさ!)
「そうだね」
(前にそんな子がいたんだよ。僕に色んなものを買ってくれたよ。それでね。何でも買ってあげたんだからって、得意気になって僕を自分のもののように言うんだ。失礼しちゃうよね。僕はそれきりそういう欲張りな子と関わるのは嫌になっちゃった)
「そうだね」
(女の子が僕に渡さなきゃいけない特別は、お金じゃないんだよ。誠意がないよ。そういう子は愛せないよ。それもさ、さっきのあの子は僕にお金をよこせと言ってきたんだよ。ありえる? 本当にキモい女! キモキモ! キモモっ!)
「そうだね」
(ぼく、初めて女の子を本気で嫌いになっちゃったかも!)
「うん、そうだね」
(とにかく僕はお金では絶対に抱かないよ。あと無理矢理もないし、それと一度抱いた子も2度と抱かない。覚えておいて、おじさん!)
「うんうん、わかったよ。それが君のルールなんだね」
⚪︎
はぁ〜〜〜。
ヤマニシは深いため息をついた。
思い出してみてもあの唇はいい。
うん、いい。最高だった。
胸も大きかったし、何よりも腰回りが艶めかしかった。あのお尻は国宝級だったに違いない。
網に捕まえた美しい蝶を取り逃してしまった。
ひらひらと飛んでいってしまった。
タツヤが猛批判する女性は、ヤマニシにとってはセクシー系のどストライクだったのだ。
渇望してしまう。
まだあの女性を。
美味しそうなあのお尻を。
そこで、何でだ?––––と思った。
自分は首以下の体をもう持っていないじゃないか。女性などもう根本的に相手にすることもできない体になってしまっている。するとこれは性欲の幻肢みたいなものかと思い。やや考え込んでから思い出す。
そう言えば自分はそれどころではなかったはずだ。ずっと大きな欲望に支配されていたんじゃなかったのか。それこそまともに思考ができず、性欲など思いつく暇ができなくなるくらいに。
あれはいったい何処に行った?
「そういえば食欲がないね」
あまりに腹が空いて野良猫をさえ貪り食っていたのに、今ではすっかりあの獰猛だった飢えがない。そうか、体から切り離された事が結果として、自分の理性を救ったのかもしれないとヤマニシは思った。
「‥‥‥運が良かったのか。悪かったのか。分からないね」
そこでヤマニシは再びタツヤという男の事を考えてみる。彼の手刀は見事なものだった。走るのも異常に速い。並外れたパワーと瞬発力を持っている。彼の身体能力は目を見張るものがある。おおよそ人間の範疇の力ではない。そして、それはとても凶悪なものでもあるようだ。人の頭を迷いなく、あんなにも躊躇なく切りとしてしまうとは。あれはゾンビ化によってもたらされた副作用のようなものだろうか?
凶暴性の副作用か。–––そうだ。彼は頭がおかしい。
1000人斬りがどうのと非現実的な目標を口走って、単細胞生物のようにそれを追い回している。
やはり頭がない事で、思考が画一化されているのだろうか。頭を失い、体に思考の断片だけが残され、強くあった思念のみで行動しているような感じにも思える。私も胴体があった時は飢えのみが私を支配する欲求だった。切り離されてしまったら、それがあっさりなくなってしまった。
となると、切り離されたあの私の肉体には食欲のみがあったという事か。
ふむ、ならば、彼も私も似たようなものなのかもしれない。彼には性欲というよりも、よく分からない目標を掲げる思念だけが切り離されて体に残されてしまったのだろうか?
しかしだ。体に意思が宿って動き回っている状態からして異常なのだ。
これは非常におかしい事だ。私の半壊した脳でも確信を持って言える。脳のない体は死に絶えるはずだ。
私とはケースがだいぶ違う気がする。
‥‥いやもしや、私の切り離されてしまった体もいま、意思を持って動いていたりするのだろうか?
そんな事は絶対にありえない。ありえないが、‥そんな非科学的な超常なことが?
うむ、分からないな。判断に迷う。何よりも現状は情報が足らない。
とりあえず彼が頭を取り戻せば何か分かるかもしれない。もしかすれば彼の思考がまともなものになるのかもしれないな。
私には使命があり、早急に日本を救うために動かねばならないのだが、ここは急がば回れだな。
などとヤマニシは思考を巡らしていた。
そして、タツヤが興味を引くだろうこの提案をする。
⚪︎
「そうだ、君の頭なんだけどね。誰が持ち去ったか、推理できるよ」
(えっ、ほんと。マジマジ?)
「君は五体満足な時は女性関係が激しかったようだからね。犯人はズバリ、君が過去に酷く捨てた女性だ」
(えっ、僕は女の子に酷いことなんてしないよ)
「じゃあ、過去の女だ。女性はまだ君を思い、諦めきれず恋慕しているのだよ。女泣かせだね。よっ、この色男。君は悪い男だねー」
(やだな、僕と別れる時は女の子は幸せなんだ。女の子はみんな、目標に向かって頑張る僕を応援しててくれてるよ)
「じゃあじゃあ、とにかく過去に別れた女だ。何か心当たりはあるかい? こういうケースは多いのだよ。ベットインしていた女が寝てる間にモノをちょん切ったり、首を掻っ捌いたりね」
(あ、そうだ。女の子を抱いた後に、寝て起きたら首が無くなっていたね)
「犯人が分かったね。その女だ。よし、その彼女の元へ向かおう」
(知らないよ。住所も連絡先も聞いてないよ)
「どこで出会ったのかね?」
(忘れた。あ、多分、美術館前。バーだったかな。ハチ公前? んーと)
「どうも曖昧だね。その女性の他に女性関係はなかったのかな?」
(あ、見せてあげるよ。愛してあげた女の子にしか見せないように決めてたんだけど。はい、どうぞ)
と言うと、タツヤはスマホを開き、例の999人のリストをヤマニシに見せる。
最初は怪訝な顔していたヤマニシだが、みるみる驚きの表情に変わってゆく。
「きみきみ、こんな顔をしていたのかね。なら1000人斬りとやらは
リストに書かれている過去に関係を持った一覧のネーミングセンスのないことはあえて突っ込まずにいた。ヤマニシはどんどんとスクロールされながら表示されてゆく女性たちの写真に驚愕してしまう。そして、その一人一人に現実感がある事にも驚いてしまう。この男は本当に999人の女性と関係を持ったと言うのだろうか?
「お、待ちたまえ。そこタップタップ。そう、その子の写真。この子、知ってるよ。あの若手女優の、急に見なくなったけど、いいお尻だよね。この子は少し前に活動停止した歌手だったかな。この子もいいお尻だった記憶があるよ」
ヤマニシは妙な人の覚え方をしている。これも記憶の欠損のせいなのだろうか。
「うんうん、タツヤくん、これはいい。本当に素晴らしいリストだよ。それに君とは気が合いそうじゃないか」
(そお?)
「それで君は1000人斬りを目指したいと?」
(そうだよ)
「その後はどうするのかね?」
(1001人目を目指すんじゃないかな?)
そうかね、とヤマニシはたいそう感心した様子だった。
バラバラだった二人がなぜか意気投合し始めた。
その時だった。
タツヤのスマホが鳴る。タツヤはすぐさまスマホを取り出して画面を見る。
⚪︎
「非通知だね。取るのかい?」
ヤマニシが聞くと、
(僕が登録している番号なんていないよ。でも僕の番号を知ってる子もいてね。しつこく連絡して来る子もいるんだ。はいもしもし、誰かな? 僕の体目当ての女の子だったらお断りだよ)
とやるが当然、タツヤには声は出せない。
「‥‥‥おい、誰が取った? 答えろ。誰だ?」
電話の相手は若い男だった。
声は名前も名乗らず、一方的にこちらの状況を探ってくる。
「やっぱり生きているんじゃないか? なあ、お前なんだろ?」
電話から聞こえてくる若い男の声に、
(アレレ。この声、この感じ、覚えがあるな)
などとタツヤが言っている。
「僕は感じるんだよ。お前の事を。なあ、お前なんだろ?」
自分の名も、身の上も、話の要件もはっきりと明かさず、確信めいた事だけを言って問い詰めてくる。
声質から強い警戒心と敵対心がはっきりと察せられる。
ヤマニシはタツヤに伺って、「いいかな?」と確認すると、タツヤが(いいよ)と言ったので、ヤマニシが代わりに電話を受ける事にする。
「私はタツヤくんの代理だよ。彼は事情があってね。今は話せないんだ。君は誰かね?」
とヤマニシが言ってから、しばらく沈黙が続く。
相手は返答するか迷っているようだ。
「‥‥‥その事情とやらはよく知ってるよ。なあアンタ誰だ。悪いことは言わないからそいつから離れるんだ。そいつは悪魔だぞ」と男が言うと、「君こそ誰だね。失礼だな君は。不躾すぎやしないかね」ヤマニシが返答する。
そして、「どういった要件なのか、私にも分かるように、ちゃんと話を聞かせてはくれないかな」
落ち着いて、順を追って話してくれるようにヤマニシが電話の相手を諭す。
再び、しばらく沈黙があった。「‥ん?ちょっと聞き覚えがある声ね」と電話から女性の小さな声が聞こえてきた。少し距離があいたところに立っているような感じの声質だった。二人は何かを話し合った後、若い男性から「僕はタツヤだ。正確にはそいつの首だよ」と、とんでもない事をカミングアウトされる。
相手の電話口には、少なくとも男女の二人がいるようだ。恐らく電話口にいるのが男で、女はその後ろに控えている。タツヤ&ヤマニシが何か答える前に、男のカミングアウトに続けて「‥‥ごめん。ちょっと代わるね。ねぇ、あなたは私のことを覚えている? 子供の頃から一緒だった幼馴染の私の事を」と後ろに控えていただろう女性が、電話口に近づいて話し出した。
「おい、やめろ」と若い男の声。
「ねぇ、あなたもタツヤなの? 答えて」
女性が首なしタツヤに強い口調で尋ねてくる。
しかし、とても重要な事を言っているようだが、相手が一方的に自分の事情を捲し立てているだけなので話が見えてこない。
「私はサクラコ。覚えているでしょう?」
ヤマニシはタツヤにサクラコという女性を覚えてるか尋ねる。
(幼馴染? なに、ソレ。ぜんぜん知らないよ)
というのでヤマニシはその旨を伝える。
「‥‥やっぱりね。ならばやはり私は正しかった」
彼女は何かを確認し終えたようだった。
「気に病むな。僕がいいって言っているんだから」
電話の向こうでは勝手に話が盛り上がっている。タツヤ&ヤマニシはなんのこっちゃという感じだろう。
そして、強い意志を込めた声で、タツヤの首と名乗った男性が言ってくる。
「僕たちは幸せに暮らす事に決めた。お前に未練などない。だから、おい、悪魔。お前はけして僕を探そうとするな!」
と言い放つと電話は一方的に切られた。
⚪︎
「と言う事で、君の頭の所在が分かったよ。探す手間が省けたね。サクラコという君の幼馴染のもとにあるらしい。どうするかね? 幼馴染であれば住所も特定できると思うが」
タツヤは迷う様子も見せず、屈託なく答える。
(えっ、そんなの後でいいよ。今はナンパだよ。おじさん、ナンパに行くよ!)
それを聞くとヤマニシは、仕方ないね。ヤレヤレという感じで黙って同意する。
これだけの衝撃的な情報が明かされも彼が変わらないのは、なんとなく分かっていた。
(あれ?)
「何かね?」
(止めないの?)
「止めないさ」
ヤマニシは笑う。
「わたしは若者の夢を応援する大人だよ」
⚪︎
(でも、おじさん、ぜんぜん役に立たないね)
それから二人は街に再戦に出かけた。そして、ことごとくフラれた。
「張り切ってはみたのだけれどね」
すっかり日も暮れ、夜になり、そろそろ日付も変わろうとしている。
ぶっ続けでナンパをし続けたので、汗をかかないとは言え、せっかくのスーツが匂い出してもいけない。今日は次を最後のナンパにして、一旦帰宅して体制を整えようという話になった。
50回近くにも及んだ今日のナンパの中盤からは、ヤマニシの提案もあり、ヤマニシが主導権を取って、ナンパを行う運びになった。言葉選びもヤマニシが自由に決められるという事で、ナイスミドルなナンパ術が披露されたのだが、(まったく)うまくいかず、しからばと泣きの最後の一回で、ヤマニシが女の子にお金を出そうとしたところで再びタツヤの拒絶にあって退散した。
そして二人は電車に乗りながら帰路に着いている。
ナンパは散々な結果だった。
終電とは言え、電車の中には疎に通勤帰りの人々がいる。ブツブツと言っているヤマニシを、人々は不審に思いながら目を合わせないようにしている。
(あーあ、もっといい顔だったらな〜)
「取りに行けばいいじゃないか」
(ええー、メンドくさい。ナンパの後でいいよ)
「無精だね。ナンパ師にはマメな性格が多いと言うよ」
(あ、そうだ)
「何かな?」
(ゾンビなら噛んだらゾンビになるんじゃない?)
「まあ、そうだろうね」
成果上がらない仕事を終え、ガタゴトと電車に揺られ、帰宅の途につく感じは何処か懐かしい。
ヤマニシは大きな欠伸でもしたい気分だった。
(じゃあさじゃあさ。僕、いいこと考えついちゃったよ)
と言うタツヤが、とても無邪気な顔をしているのだろうということは、今日、二人で協力し合い苦労し続けた為だろうか、今のヤマニシにはよく分かった。
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