3-7 ラストオーダー



 アキコがキングダムの中に入って行くと、気のせいか奥へ進むほどに薄気味の悪さが増していくような気がする。

 空気は澱み、いったい何の臭いなのだろうか? 微かに悪臭もしてくる。

 後ろに立って歩調を合わせてくる中年の男は、外で一緒にいた時は取るに足らないつまらない人間だと思っていたが、今はやけにどんよりとした威圧感を増して恐ろしいものの存在に感じられる。本当は「やっぱり帰ります」と言いたいのだが、後ろの男に怯えて引き返せない。ただの勘なのだが、先ほどまで小馬鹿にしていた男が普通の人間のように感じられなくなっていたのだ。

 この薄暗さと、行き先の見通せない場所に閉じ込められたような不安感は、かつて行った事のあるどこかと雰囲気が似ている。そうだ。子供の頃、一度だけ入って泣き叫んで引き返したお化け屋敷だ。

 あの時は入って早々、怯えて逃げ出したのだ。施設に入るまではあんなにも楽しみで、父親の手を引っ張ってまで入ったのに、すぐに降参してしまった。

 天井から突然吊られて落ちてきた生首の蝋人形に驚いて失神しかかったのだ。

 そう、ちょうどこんな風にだ。


「あんた逃げろ!」


 アキコの足元には若い男の生首が転がっている。そして逃げろと必死に叫んでいる。

 –––ひゃあ〜〜‥!

 その男を見てアキコは、息を呑みこもうとして飲み込めなかった。

 声を出そうとしても、喋れなかった。

 あまりにの恐怖のためである。


「おや、ケンヂくん、こんなところまで移動できるようになったのかい? 君は凄いね。そんな身でなかなかできるものじゃないよ」


 後ろに立っていた中年男は褒めるようなことを言いつつも、その生首を蹴飛ばす。

 哀れなケンヂはゴロゴロと転がってゆく。


「ヤレヤレ、酷いなタツヤくんは」


 自分で蹴飛ばしておきながらそんなことを言っている。

 そんな訳のわからなさが余計に恐怖を煽る。


 –––ヒィィィィィ。えっ、ケンヂ‥? ‥ケンヂってあの子じゃないかな? いつもキョウヤのサポートについていたあの若い男の子。


 年上の女の心をくすぐる可愛い子だった。キョウヤがいなければ食べてしまっていただろう。でもどうしてあの子が生首になっているの‥‥?

 そう言えば連日、ニュースになっていた猟奇殺人犯は捕まったのだろうか。どこかに潜伏していると噂にはあったが、その後の情報を追えていなかった。男遊びと仕事にかまけてここのところ朝刊も読んでいない。


「ケンヂくん。キョウヤくんの気が済んだらここから出ていくからね。君も何かしなければならない事があるなら、今しておきなさい」


 アキコは口をパクパクとさせながら、そんなやりとりを見守る。

 彼女はあまりの驚きの連続で、悲鳴を上げることができなくなってしまっているようだった。


「お嬢さん、この奥でキョウヤくんが待っているよ。では、エスコートしよう」


 アキコは中年男ヤマニシに腰を支えられながら、キングダムの奥へ入っていった。



           ⚪︎



 アキコはホラー映画が大嫌いだった。陳腐と切り捨て、極力見ないようにしていた。

 それを知ってか知らずか、友人が泊まりにきた時などは勝手にそうした関連のものを好んで持ってくる。そして、飲んで忘れてゆく(多分、わざとだろう)。

 ふざけるなと思う。映画もそうだが、ホラー小説なども置いてあるだけで呪われた気持ちになるのだ。人の物なのだがすぐに捨てた。


 アキコが奥へ進むと豪奢な家具で装飾されたフロアに出る。

 ここはいつもならホストたちが飲んだり、歌ったり、喋ったり、とにかく華やかで騒がしくしている空間だった。しかし、いったい何がどうなったらこんなことになるのだろう。

 何度も通い、慣れ親しんでいたはずのホストクラブは完全に様変わりしていた。

 フロア一面は、生首で埋め尽くされていた。

 アキコは常識の外れたこれら全ての光景を、友人が持ってきたホラー小説のように捨ててしまいたかった。

 広間の入り口には、生前はだいぶ美形だったのだろう生首たちが自分を出迎えるように置いてある。

 その生首たちは「アー」とか「ウー」とか唸っており、知性が感じられず、およそ人相は人間のものではない。

 しかし彼らはアキコの来店を確認すると、



「「「いらっしゃいませ!」」」


 

 ギョロリとアキコを睨んで一斉に挨拶をした。

 しかも飛び切りの笑顔で。

 そしてその挨拶の声を皮切りに、広間に置いてあった何百という生首たちが一斉に歌い出したのだった。



          ⚪︎



 『生首ゾンビたちのシャンパンコール』by 新生キングダム666人スタッフ一同


   ラッセ ラッセ 

   ラッセラー セラ


   ラッセ ラッセ

   ラッセラー セラ

   

   ケセラセラ!


「さあ、みなさん。今日も飲んでますかー!」


  「「「ウェーイ!」」」


「絶好調最高潮、今晩もキングダム一同、熱いハートを込めておもてなし〜〜、いきまっしょい!」


  「「「ウェーイ!」」」


「ようこそようこそ、いらっしゃましたいらっしゃいました。えー、一番星一番星、やって参りました。王国に超新星のプリンセスが遂にやって参りました。眩ばゆいばかりのあなた。–––見えません。あなたの輝きで俺たちを照らして。–––見えません。眩いあなたの魅力せいで。–––見えません。俺らはもう前後不覚、暗中模索。見えません見えません。あなたのせいで何も見えませんとも。–––あなたしか!」


 薄暗いフロアの真ん中にあるアキコが誘導された場所は、ボタン一つでスポットライトの当たる場所だった。ここはアキコが人生でもっと輝いていた場所。ホストたちから声援を一身に受け、それに応えて何度も高額の酒を振る舞った舞台だった。

 バンっと一気にアキコが明かりが照らされる。


「そう、彼女は、あの超某大企業を取り仕切る営業部の花。女性たちの憧れの花形ポジションに君臨する。今やキングダム最高の太客(上客)、我らのプリーーーンセーーース」


 「「「ウェーイ!」」」


 突如始まったキングダム名物のシャンパンコール。薄暗かった店内は一気に明るくなり、多色のライトが色鮮やかに辺りを照らし出す。

 幻想的なライトと死者の群れに囲まれて、アキコはこの世のものではない光景を見ているようだった。

 自分を取り囲むように歌い出した生首たちに彼女は恐怖したが、何よりも驚いたのが、彼らの中心でこの合唱の指揮を取っている人物にだ。

「キョ、キョウヤ‥?」

 アキコの前方には、キョウヤの生首があった。

 彼女には彼が死者たちを従えるリーダーのように見えた。


「アキコーーちゃーーん〜〜!」


 キョウヤが自分の名を叫ぶとリズムに乗って生首ホストたちは歌い出す。

 キングダムに並べてあるすべての生首を、彼が仕切っていたのだ。


  あ、飲んで、飲んで  

  ラセラセラセ

  

  あ、飲まなきゃ、飲まなきゃ

  ラセラセラセ


「イッキ当千、いきまっしょい」


  飲め飲め飲め らせらせらせ

  飲め飲め飲め らせらせらせ


  そーれ、そーれ

  そーれ、そーれ

  それそれそれそれそれ!


  アキコ! アキコ! アキコ!


 「蛮勇?」 –––勇者!

 「匹夫?」 –––勇敢!


「ありがとうござまーす。予約されてたオーダーがアキコちゃんから入りまーす。キングダム一同、今宵の姫のために、イッキ当千、やっちゃいまっしょい!」


   ラッセ ラッセ 

   ラッセラー セラ


   ラッセ ラッセ

   ラッセラー セラ

   

   ケセラセラ!


  飲ーめ飲ーめ らせらせらせ

  飲ーめ飲ーめ らせらせらせ


  そーれ、そーれ

  そーれ、そーれ

  それそれそれそれそれ!


  アキコ! アキコ! アキコ!


  (※以降ランダムにフレーズを繰り返す)



          ⚪︎


 

 アキコが自分がどういう状況に陥っているか分からなかった。

 一体、自分は何しにここへ訪れたのだろうか。すごく楽しみな事があって、期待していたはずなのに、プレゼントボックスの中を開けたら、ばね仕掛けのゾンビの生首が飛び出してきた気分だ

 もう何が何だかわからなくなった。目が回ってくる。

 アキコはひたすら混乱してフラフラとしだした。後ろにひっくり返る前兆である。

 

「なあ、アキコ」


 頭が揺れ出して、意識が遠のいてゆく。

 気絶しかかった自分にキョウヤはこう言った。


「俺の墓にドンペリ入れといてくれ」


 満足だったろと言わんばかりに彼はウインクした。

 その彼を見て、彼がいつも俺の客は最高に楽しませると言っていた事を思い出した。

 ああ、彼はやっぱり素敵だなとアキコは惚れ直した。

 ぜんぜん意味はわからないけど。



           ⚪︎



 アキコがぶっ倒れても、首だけゾンビたちは歌い続けることをやめない。

 キングダムは非常に賑やかな状況だ。

 

「おいタツヤ。行く前に、その女を外に出しておいてくれ。お前は女に乱暴はしないんだろ?」


 キョウヤの前に出てきたタツヤ。ぶっ倒れているアキコを指さして、彼は不満を訴えて地団駄を踏んでいる。


「はっはっは。うるせー。騙される方が悪いんだよ」


 散々に悔しがっていたタツヤだが、渋々と女性の足首を持って、引き摺りながら店を出ようとする。


「あー、タツヤくん、待ちたまえ。キョウヤくんと少し話をさせてくれまたまえ。–––なんだい? ケンヂくんの場所? ケンヂくんなら多分控え室にいるよ。ああそうだね。出る時に拾って行こう」


 話が着いたようだ。タツヤはもうキングダムを出ることになる。持って行くのは、ヤマニシとケンヂになるようだった。

 

「それで君は何がしたかったのかな?」


 タバコ吸いてぇと、呟いているキョウヤにヤマニシが話しかける。


「あん?」


 キョウヤはすでに自分が置いていかれる事を覚悟していたようで、満足げに笑みを浮かべていた。

 そして、ヤマニシの問いかけに、一瞬考えたあと、押し黙る。そのまま口を閉ざすのかと思われたが、やはり思い直した。彼はヤマニシに答えるようだ。


「‥‥この前、あんたにいろいろ言われて気づいたんだ。一度はここを辞めて出て行こうと思ったが、ここは俺の家みたいなもんなんだってな」


 キョウヤは遠い目をしながらそう言う。


「ああそういうこと」


 ヤマニシは頷き、彼の続きの言葉を待つ。


「それでご覧の通りだよ。最後に楽しませたんだ。俺はホストだからな」


 キョウヤはアキコを見つめる。


「可哀想に。彼女にはかなりこくなことをしたんじゃないかな」


 実際に彼女は今、随分かわいそうな格好をしていた。タツヤに足首を掴まれ、逆さにひっくり返って、パンツ丸出しになっている。


「いーや、嬉しいに決まってんだろ。No.1の俺の最後の客になれたんだからな」


 キョウヤはアキコの寝顔を見つめながら、過去にあった彼女との記憶の一つでも拾って思い出しているのだろうか。彼女に微笑んでいる。


「そういうものかい?」

 

 ヤマニシが聞く。


「そういうものだよ」


 彼はアキコから目線を外して、どこか遠い目をして、店内を見つめていた。

 ヤマニシはタツヤに頼んでタバコに火をつけた。それをキョウヤの口に挿し込む。キョウヤは「生き返ったよ」と言った。

 

「ではさようなら」


 そうヤマニシは告げて、タツヤと共に去ってゆく。

 後にはキョウヤと最後の宴を楽しむかのように歌う生首たちの姿があった。









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