3-6 No.1からの逆指名
アキコは都内の一流企業に勤める。34歳のちょっと小太りの女性である。
彼女は最近、長年貢いできたホストに袖にされたようで、まったく連絡が取れない状態だった。
あれだけ愛を囁いてくれた言葉は嘘だったのだろうか。彼女は健気に彼を信じようとした。彼を想って涙を流し続けた。酔っ払ってキングダムの閉ざされた扉を蹴り続けた。1ヶ月ほどはである。
しかし、いくら待てども連絡は来ず。いい加減、頭に来たので別のホストクラブに通い、若いツバメに乗り換えようと考えていた。
考えてから行動に移すまでは彼女は早い。彼女は連日、別のホストクラブを梯子した。そして、今晩も両隣に自分よりも一回りも若いホストを侍らして、年甲斐もなくはしゃぎ回っていた22時52分。アキコのスマホに一通のメールが届いた。
キョウヤからだった。
彼女はそのメールを開くと、表情を変えた。すぐにメールを返信し、若いツバメたちが慌てて引き止める中、店を後にしたのだった。
⚪︎
正直物足りないと思っていたのだ。キョウヤ以外の男はすべて。
彼女はキングダムからの迎えの車が来るという、待ち合わせの大通りで、佇みながらキョウヤの事を考えていた。
会社では自分は上司として若い男たちをコキ使っている。パワハラすれすれの言動で若い男たちを虐げながら、–––こいつら使えねー。チョー無能なんですけけど。叱るとすぐに泣くし。どういうこと? と蔑んだ。そのような感情の反面。苛めている内に若い男に興味も持った。ちょっと可愛いかな、と。
自分はキョウヤ以外の男は知らなかったが、思い切ってみれば、キョウヤ以外の男にも案外ハマるかもしれない。連絡をよこさないアイツが悪いのだし、少し味見でもしてみようと思った。
札束で頬をはたいて、 34歳アキコは若い男のエキスをいろいろと美味しくいただいた。
だが満足できなかった。
若い男は容姿がいい。でも幼稚というか吠えていてもお坊ちゃんにしか感じられない時があるし、根本的に頭が足らないので会話も面白くない。
肉体もいい。しかし、その若い男たちとキョウヤを抱き比べて見て分かった。体力的にも精力的に劣っているキョウヤの方が、むしろ男として魅力的に感じられのは、抱かれた時の包容力が断然に違うのだ。若い男を子犬ちゃんにするのもいいが、やはり私は強く賢く包容力のある男に甘えたいのだ。
そうして気づく、自分は身も心もキョウヤに染め上げられていたのだと。
彼と連絡が取れなくなって2ヶ月間、複数人の男をつまみ食いしていたが、その男たちに比べ、顔はだいぶイマイチだが、キョウヤは男としてのランクが違うと感じられた。彼は自分にとってやはり特別だったのだと評価を改めた。
⚪︎
車が到着する。ホストクラブ、キングダムのVIP客専用の送迎車だ。
歩道側の窓があき、運転席にいる中年の男から声をかけられる。
「えっーと、アキコさん? キョウヤくんが待ってますよ」
後部座席のドアが開く、アキコは車に乗り込んだ。
「じゃあ、キングダムまで行きますので」
運転席の男がそう言うと、車が出発する。
アキコはミラーに映る運転席の男の顔を確認する。薄暗くて少し顔色が悪いように見えるがどこにでもいる温厚なおじさんに見える。この車は前にも使ったことがあるし大丈夫のようだ。
そして目線を変えて車の窓から夜の街並みを見ながら、アキコは再びキョウヤのことを考えた。
–––いつも間にか私は彼に一色に染め上げられてしまっていた。そう、私は彼に本気で惚れている。
今晩はキョウヤがアキコの為だけに自腹でキングダムを貸し切ってパーティを開いてくれるらしい。
『俺のキングダムに特別な君だけを招待したい』と言葉を添えて。
そして、2ヶ月間連絡を取れなかったのは、このサプライズに為だったらしい。
なぜ、彼はこんな真似をするのだろうか? 思い当たる節がある。
彼はずっと独立を考えていたようだった。野心を持つ男は好きだ。アキコはうっとりしながら彼の胸を枕にしてその夢を聞かされ続けたものだ。
もしかしたら、その立ち上げ準備の為に2ヶ月の間、だいぶゴタゴタしていたのではないだろうか。そしてメールの一文にを注意深く見ると、
そして、晴れて店の経営者となった彼が、なぜ私だけを特別待遇で招待するのだろうか。
アキコにはその意図が分かる。
–––ああそうか。結婚か。私にもついにこの時が来たのか。
こんな素敵なプロポーズのやり方があるのだろうか。彼は一ホストではなく、会社という世帯を用意して、アキコを迎え入れようとしているのだ。
「ふふ可愛いやつめ」
思わずアキコの口から言葉が漏れる。
そしてアキコは思った。彼は常日頃、頭の弱い女はダメだ。一緒になるなら、お前みたいな頭のいいできる女がいいと言っていた。
そうか。彼は
彼にその覚悟があるならば、自分も覚悟を決めなくてはいけないだろう。
会社を辞めて、彼の妻として共同で経営をして、ホストクラブを歌舞伎町のクラブに匹敵するぐらい大きくしてゆく、それもいいかもしれない。
アキコにはキョウヤとの未来のプランが見え始めていた。
「困るんだよ。キョウヤくんは、忙しいのに」
運転手の男が喋り出す。アキコは自分に話しかけられたのだと思ったが、独り言の愚痴のようだった。
「いやー、このタイミングだよ、タイミング。困るねー。まったく誰がこの緊急時にキョウヤくんに、こんなチャレンジを薦めたのかね。あ、私だった」
多分、今日は非番か何かだったか、それとも他の仕事がたまっているのかどちらかになのだろう。キョウヤに命じられて、この中年のおじさんは嫌々運転手をやらされているのかもしれない。アキコはそのように考え、下っ端が愚痴っているとしか思わなかった。
「おっと、タツヤくん、待ちたまえ。早まってはいけないよ。今回はキョウヤくんにすべて任せてみるんだ。なにせ彼にとっては文字通り命賭けた一世一代の大勝負になるのだからね」
続けて中年の運転手は、独り言を言っている。
タツヤ‥? 知らない名前が出て来た。耳元は確認できないが、無線でもつけていて店の若いホストと会話でもしているのだろうか。
それにしても『彼にとっては文字通り命賭けた一世一代の大勝負』か。
–––何かサプライズでも用意してくれているのだろうか‥?
これから自分の為に用意されているだろう良い出来事を色々と推測しやすい言葉だ。
彼女には会社で上に立つ立場としての豊富な経験がある。恐らく店の若いホスト(多分、名前はタツヤという)の気が急いで、準備を進めすぎて段取りが上手くいってないのかもしれない。こういう場面は自分の部下でよく見たものだ。
–––確信した。
アキコは「ふふ」と笑いが漏れてしまう。
「着きましたよ」
運転手がそう言うと、後部座席のドアが自動で開く。
車に備え付けてある時計を見ると深夜の一時を回っていた。
「どうぞどうぞ、お嬢さん。キングダムへようこそ」
中年の運転手はアキコに車から降りるように促す。
アキコは久々にキングダムの建物の前に立った。そこで違和感を覚える。本来華やかなイルミネーションで飾られているはずの店の明かりはついておらず、正面扉にはCLOSEの看板が掲げられたままだった。自分が怒りに任せて蹴っぱくって壊れたアンティーク調の小物がそのままなっている。
それはアキコが前回、約1ヶ月前に店に訪れた時のままの光景だった。
「おや、そうだったね。サプライズを用意していてね。不審がることはないよ」
店の明かりが灯っていない事の説明を後ろからやって来る運転手がする。
やはりサプライズだったか。
アキコは正直、なんだか店の雰囲気を薄気味悪いと感じていたが、その言葉を聞いて、店の扉を開けるのがプレゼント箱を開けるように楽しみなっていた。
「ムムっ、きみ、君の後ろ姿をもっとよく見せてはくれないか」
おじさんがアキコを引き止めて何か言い出す。
「ああ、振り向かなくていいよ。そのままそのまま。‥‥君ね、いいね。素晴らしいね。少し太めだからどうかと思っていたが、素晴らしいお尻だよ。‥‥ああ、‥ああ、‥‥ああ、‥‥‥あああ‥!」
などと突然に呻き出すおっさん。きもっ。
「‥‥‥‥思い出したよ。あの時、私はブラジルに行こうと思っていたんだ。–––ああ、そうだった。私はあのお尻大国の現地美女を見に行こうと思っていたのだよ! ‥‥素晴らしい。なんて事なんだ! 私にすべてを思い出せてくれるなんて、なんてお尻なんだ! 感動だ。顔を
ジョークなのだろうか? おじさんがいきなり発情して興奮しだす。ホストがこんなあからさまに女性の体型や部位を、下品な物言いで喋るなんて、三流もいいところだ。
アキコは全力でセクハラをしてくる中年の男を見る。
そして理解した。ああ、このおじさんだからか。これはホストとしてではなく、このおじさん、個人の発言だ。つまり品性の問題。
よくある中年男特有のただのセクハラ発言なのだろう。気持ちわる。
「残念でした。おじさん、誘惑してもダメ。私は身も心もキョウヤのものなんですから」
この程度のセクハラなど会社では社交辞令だ。
アキコは品のある微笑みでそれをいなす。
「キョウヤくんも罪だねー。このお尻はキョウヤくん専用か」
彼女は微笑みを絶やさない。
おじさんは「うんうん、すごいね。やるねー」などと言っている。
叱りつけたい無礼な男だが、なるべく店のスタッフと波風を立てないようにしようと考えていた。
アキコは、こんな男には構わず背を向け、颯爽とキングダムの正面の扉へ向かおうとした。
レロレロレロ
レロレロレロ
––––!
急に悪寒がしたのでアキコは後ろを振り向く。
何か気持ちの悪い、えも言われない存在を背後に感じたのだ。
「どうしたのかな? お嬢さん」
しかし、そこには冴えないおっさんが何事もなかったように、相変わらずニコニコしながら自分を見つめていた。
アキコはおっさんを不審気にじっくり見る。
実に無害そうで、–––実に無能そうな男だった。
女は本能的に男の社会性をランク付けする。
アキコはこのおっさんを本当に相手にもならない存在だと鼻で笑った。
さっきからのセクハラ発言はデリカシーが欠如しているだけだろう。
–––仕方ない。私がキョウヤの妻になったらこのおじさんもコキ使うことになるんだから。
注意は自分が経営者側に回った後ですればいい。接客に大いに問題がありそうだが、今は指摘せず、表面上だけでも仲良くしておこう。こんなのでも、キョウヤと自分の為に後々には役に立ってもらわないと。アキコはそう考えた。
「キョウヤくんが逆指名したのが、なるほどこんなお尻美人とは。私もだんだん楽しみになって来たよ」
あ、やっぱりすぐにクビにするか。
そう思い、アキコは入店した。
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